横浜の「イングリッシュガーデン」の薔薇と共に、10月24日のスノウさんの家に訪れた時の日記などを書いてきましたが、いつまでも引きずってないで、終わらせようと思います。
今回は薔薇の花の画像は少なめです。
10月24日の日記。
の続きで、その中の
>『またある時は、彼女は言います。家に行った時も言いました。
「もう生きていたくない。もう死にたいの。」』
の続きで、文は、花の画像の下からです。
昨年の最後にみんなで会って、やっと会えた24日の日までに、スノウさんにどんなことがあったのか、あまりにいろいろあり過ぎて、ずっと応援してきたのに、パッとは答えられません。
それでもいつでも強気で明るかったスノウさん。
だけど彼女は会った途端に泣きました。
「最近涙もろくって。もうみんなには感謝しかないんだけれど、それでも涙が出てくるの。」
私は思わず席を立ち、彼女の肩を抱いてハグをしました。
―ああ、私はずっとずっとこれをしたかったんだわ。
そう思いました。
あの夢の中でしたようにー。
そして彼女は言ったのです。
「もう生きていたくないの。死にたいっていつも思ってる。」と。
本当は、やっぱり抱き合って姉妹でオイオイと泣き、そんな事を言わないでとか言えばいいのではないかと思うのです。
でも私たち姉妹には、いや、私にはそれが出来ないのです。
私は顔色一つ変えずに言いました。
「大丈夫よ。死にたい死にたいって、そんなに念じていなくてもいつか死ぬから。」
「スノウさんも私も、蝶子さんもみんないつか死ぬ。いつか死ぬのに、そんなに念じたり考えたりなんかして、無駄じゃん。ただでさえ体がだるいってのに、そんな面倒くさいこと、今する事ないよ。」
「そうよ。」と蝶子さん。
「死ぬのに、今まで失敗した人は居ないっていうから、心配する必要もない事よ。」
そこでまた私。
「そうねぇ。失敗したって言ったら、『ポーの一族』の皆様ぐらいなんじゃないかしら。」
などと言って、笑い合いました。
それから辞世の句についてもお喋りしました。
「私さ、光源氏のモデルになったと言われている、在原業平が好きで、その人の辞世の句がまた凄くいいのよ。『ついにゆく・・』えーと、え~と、ちゃんと言えそうもないけどさ、つまり、『それ、知ってたけど、今か~』ってやつ。」
ちゃんと言うと
『つひにゆく道とは かねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを』
「なんかね、その句を思うと、ちょっと怖くなくなるなって、知った時にそう思ったんだ。」
辞世の句を詠むのは、もしかしたら死の恐怖への緩和という目的があったのではないかと、私は思っているのです。
病気でヨロヨロのスノウさんとの会話が、こんな会話。
でもこれ、姉妹の笑いながらの楽しいお喋りの会話で、実はその辞世の句と同じような効果があったような気がしました。もちろん相手とその状況に依る事です。
その日のスノウさんは2時間も起きていたので、帰る時にベッドまで一緒に行きました。
そして帰る時に、私は本当に思っている事を、彼女のひんやりとしたほっぺやおでこをペタペタと触りながら言いました。
「あなたがいなくなったら、本当に寂しいよ。寂しくて寂しくて、毎日泣いちゃうよ。だからね、私たちの為に生きてね。お願いだから生きてね。」
スノウさんは、
「今日は久しぶりに凄く楽しかった。」と言ってくれました。
だけど帰りの電車の中で、私は不意に泣きそうになりました。
「電車の中なのに涙がこぼれそうになった。」とラインに書き込みました。
「会えて嬉しかった。」と書き添えて。
すると一番下の妹の名都さんから「吃驚したよ。何か悲惨だったのかと思っちゃったから。うれし泣きだったんだね。」とお返事がきました。
だけど家に帰るころ、名都さんにまたお返事しました。
「悲しかったから」と。
☆ ☆ ☆
本文中にある「あの夢」と言うのは、「なぜその夢を見たのか・・。」
と言う記事に書いた夢の事です。
最初は体調が悪いのに、膀胱炎だからと侮って病院に行こうとしなかったスノウさんに警告を送るために見た夢だと思っていました。
だけどその時の検査で、また新たな腫瘍が見つかって、その月に又も手術をする事になったのでした。
「なんだか正夢になってしまった。」と嘆く私に友人が、たまたまの偶然と言いましたが、この記事を書くのに、またその記事を読み直してみて、私は吃驚しました。
まったくの同じ。
胸が、胸が痛いです。