の記事内にリンクした、「想い出のアルバム」は寧ろ、この記事に似合っていたと思います。
だからまた下に違うバージョンの物を貼っておきます。
「その7」「「8年 その8」は、いわゆる番外編のようなものでした。
「約8年 その6」の続きです。
乳癌の手術をした後、かなり苦しい抗がん剤の治療を終えると、やっと私たちに春が来たような気持ちになる事が出来ました。
私たちはその春がずっと続くと信じていました。
なぜなら姉の蝶子さんも乳癌を患い、10年後の最後の診察の時に、また癌が見つかり、約20年の時を経て寛解に至ったからです。
スノウさんもこれから時を経て、完全に治っていくのだと思っていました。
それで、少し良くなった時に、快気祝いとはいかないので応援と言う意味で、みんなで伊東に旅行に行きました。
この時の旅行記はこちらです。→「伊東の旅(2015年7月)」
この時、坂道の向こうに見える海を見ながら、スノウさんは言いました。
「病気が治ったら、こういう所に住みたいわ。」
我が家は結構妄想家族です。彼女がそう言ったので、みんなでスノウさんが海辺の家に住んだ時の事を話し合いました。
スノウさんのお連れ合いさんはフリーランスの方なので、東京に置いてけぼりで、時々通ってもらうとか、逆に私たちが入り浸るとか盛り上がりました。スノウさんはかなりの酒豪なので、新しい土地に来ても、地元のスナックとか見つけていつの間にか常連になり、そしてまた常連客の人気者にもなってしまったりして、ふと気がつくと、そこで働いていたりとか・・・・・・なーんてことを楽しく考えたりしました。
なんだかそれは、非現実的な妄想ではなく、本当にスノウさんの未来に起こり得る現実のような気さえしたのです。
2015年7月のスノウさんは、すっかり元気な人。
何でもすぐ「帰る~」と言う母に従って帰る蝶子さんと名都さん、その時ガソクエンと言う足の病気を患っていて逆に一刻も早く帰りたかった私(翌日病院に行って分かった。)に、スノウさんは駅で言いました。
「私、物足りないから、もうちょっと娘と遊んで帰るわ。せっかく来たんだもの。」と。
― いや、その気持ちは分かるよ。私だって足さえ痛くなかったら、もうちょっとと言う時間だよ。
と、私は思いました。なんだか逆に、スノウさんがそんな気持ちになっていたことが、私は嬉しかったような気がしました。
2015年は、みんなで世田谷散歩にも出掛けました。松陰神社に行ったり長谷川町子美術館に行ったりしたんです。だけど一番印象深かったのは「古無門」と言うお店でスノウさんがもんじゃを焼いてくれたことだったかもしれません。→古無門にて(世田谷散歩その2)
2016年、スノウさんは元気。
皆で街中温泉、つまりスーパー銭湯にはまりだしました。
浅草の「まつり湯」に行ったり(ああ、笑ったね♪ その2)
・「大江戸温泉物語」に行ったりしました。
萩尾望都さんが好きな私とスノウさん。姉妹で「萩尾望都SF原画展」にも出掛けました。もちろんついでに井之頭公演も散策しました。
2017年、スノウさんは元気。
やっぱりスーパー銭湯に行きました。→「おふろの王様」/大井町
この年は、私の節目の年で、やっぱり母の招待で旅行に行きました。→まったく無理をしない「四万温泉旅行記」その1
この「まったく無理をしない・・・」の記事は5記事も書いた旅行記で、かなりいい旅でした。
スノウさんが「もうバスの旅行は疲れるから止めよう。」と後から言い、「何もしないくせに文句だけ言う。」と珍しくさりげなく怒った事を書きこんだ記事でもありました。
その年の7月、上星川にある「満天の湯」に行きました。→「街中温泉マニア」を目指す♪
私たちのお出掛けが、スーパー銭湯が多いのは、そんな理由からだと思います。
この年は、スノウさんとラッタさんと私だけでお風呂に行ったことがあるんです。→「横浜みなとみらい万葉倶楽部」
この記事を読んで、なんとまあ、私はツマラナイお出掛け記事なんかを書いているんだろうかと思いました。実はこの時とんでもない事が起きたのですが、ちょっと1行とか2行とかでは書ききれないので、また別の記事で書きますね。
スノウさん怒らないでね。だってそれは私にとっては大事な想い出なんだもの。
その2017年の年末、私たち4人は行ってみたかった迎賓館に行きました。→「迎賓館赤坂離宮」12月特別参観に行ってまいりました♪
その帰りに、駅の近くのレストランで食事をしました。
私たちはその前に日比谷のクリスマスマーケットに参加してきたのですが、迎賓館から参加のスノウさんは、気合を入れて化粧をしてきたのか、凄く綺麗に見えました。レストランのテーブルの傍を通って出て行く人が、彼女をチラッと見ました。私は姉なので、そういうのはちょっと得意な気持ちになるのです。
だからそれを彼女に伝えると、彼女も得意そうな顔になって「そうでしょう。」と言いました。
でもこの時彼女は薬の副作用もあって、ブクブクに太っていて駅の改札なんかで待ち合わせをすると、彼女の事が見つけられずにキョロキョロしてしまう事もあったのでした。
それで人の悪い私は言いました。
「『おお、なんて美しい人だ。』って顔見て思うじゃん。通り過ぎて、名残惜しいなと振り向くじゃん。『あれっ、さっきの美しい人は何処だろう。確かあの太った後姿のご婦人の辺りに座っていたはずなんだが。』ってなるな。」
「じゃあ、幻の美女って事だね。」と人の悪い事を言っていても、なんとなく笑い合えた私たち。(結局褒めているからね。)
2018年もスノウさんは元気。
8月には綱島源泉湯けむりの庄
9月は「二回目の「万葉倶楽部」」
10月には、母、姉妹、孫たちを引き連れての山梨旅行をしました。一族で旅行に行けたのは、これが最後になってしまいました。
記事もたくさん書いたけれど一応これを載せておきます。→下部温泉に来た理由(母の終活)
この年の2月には、スノウさんと名都さんと三人で「ポーの一族」も見に行く事が出来ましたね。
その6月には実家にて母も姉も交えて、「「ポーの一族」のDVDの鑑賞会(実家にて)」をする事が出来たのでした。
2019年1月、こんな記事を書きました。
でもこれは「お出掛け日記」ではありません。2018年末の検診で肺に白い影が映ってしまったスノウさんの再検査と、その結果を一緒に聞くと言うのが、その街を訪れた理由だったのです。
私たちの春は終わってしまいました。
【まあるいテーブル】童謡・思い出のアルバム