6月20日に観てきました。
私は最初はこのタイトルに躊躇するものがあって、見る気持ちにはなってなかったのですが、姑に誘われて、それから気になるようになり出演者たちをチェックしました。
樹木希林・リリーフランキー・安藤サクラなら逆に是非見たいものだと思うようになりワクワクしつつ出掛けたのです。
雨の日の平日だって言うのに、映画館の客席は一杯に埋まっていました、おじいさんとおばあさんで。
私なんて、この中に居たら若者ではないかしら・・・(笑)
映画なんかだと、出演者に惹かれて観に行く事もあるじゃないですか。藤原竜也が出ていたら、ほとんど見に行っている私もそのようなものですが、義母は樹木希林さんに惹かれて見に行ったのだと思います。
きっと他にも同じような方がいらっしゃったのではないかと思います。
雨の日でもジジとババを呼び込む樹木希林。彼女は凄いですね。
と言ってもこの映画は、ジジとババのための映画では決してないですよ。
むしろ・・・・いあや、何でもない・・・・
映画が終わったとたん、ジジの一人が、ものすごい大きな声で、
「なんだ、さっぱり分からねえ映画だなあ。これが本当に賞を取ったって言うのかよ。カンヌの審査員大丈夫なのか。」
と、さながら自分が世界の代表で意見を言うかのように言ったのです。
本当に嫌よ、こういうの。
『俺は馬鹿だから、』もしくは『もう、理解能力が劣っちゃっているものだから、よく分からない部分があったなあ。」と言え、アホ !
加えて言うと、大きな声で映画館中に向かって言うなって。もしくは否定的な感想を述べたい時は「私的には」と言いたまえよ。
と、少々過激な雰囲気で書いてしまいましたが、だけどこう言う事って本当に大事な事だと思うのですよね。
と言うわけで、私的感想ですが・・・・
「私的」と言っても否定的な意見などではありません。
ただ思いました。
これは今日と言う日が終わっても、また明日が続いて行くように、物語が終わっても映画の中の人々はずっと生きて行くようなそのような感じがして、幾つものクエッションに答えが無い映画だと思いました。
だけどゆっくりと考えてみると、本当は大きな設問に正しき答えと言うのがちゃんと出ていたのです。それなのになんだか腑に落ちない気持ちになってしまうー。
その気持ちのギャップの中に、この映画が描きたかったことがあったのだと思いました。
「なんだかさっぱりわけの分からない感想だなぁ。」と言われてしまいそうなので、以下はネタバレ感想です。
が、その前に、リリー・フランキーさんのインタビューで
「子役ふたりは瑞々しいというか、台本をもらっていないから、ある意味でケダモノの状態でそこにいるわけですよ。女優さん3人にいたっては、化け物だし(笑)。みんなお芝居を越えて、生き物なんです。すごく動物に囲まれている感は俺の中であったんだけど、なんだか居やすかったですね」彼が言っていたことには頷けました。
みな素晴らしかったです。
子役の二人も、その他の俳優さんもみんな。そしてやっぱり安藤サクラはまた格別に良かったです。
安藤さんは審査員の女優さんたちに、彼女の泣き方が凄くて、これからの映画で審査員の女優の誰かがあの泣き方をしたらそれは安藤サクラの真似をしたと思ってくださいと言わしめたのですよね。
私、あの面会室で去りゆく信代に、祥太に「母ちゃん」と呼んでもらいたかったです。
そして、転がるようにバスを追いかけて来た治に、やはりバスの窓を開けて「父ちゃん」と叫んでもらいたかったです。
そしたら滂沱の涙だったかもしれません。
だけど祥太は呼ばない。だって彼らはお父ちゃんではないし、お母ちゃんではないから。
だけどパッと見つめる彼の目に、呼び名などでは測れないものを感じると言う命題を見ているものに与える是枝監督・・・
(ちょっと文末文体がコロコロ変わります。)
バスの中でふと振り返る祥太。その先に彼が見た治の姿…を見せない。
亜紀は、刑事におばあちゃんが亜紀の両親からお金をもらっていた事を知って、
「おばあちゃんは、本当にお金だけが欲しかったのかなあ。」と呟くけれど、おばあちゃんは彼女の両親に亜紀の存在をほのめかす事をしなかったわけだし、あのお金はそう言うものではないと、誰も彼女に長々と説明してあげる者もいない。
4番さんのこれまでの人生などは、ほとんど皆無。池松壮亮のセリフなんか「あっ、あっ」しかない。
(が、ううッという気持ちになる。役者は凄いなあ。
もう何も語らなくても、君の事は分かるよみたいな気持ちにさせちゃうものね。)
だけどその4番さんと亜紀のその後はどうなるの。本当の家族との物語はどう紡ぐの。
5年後に出てきた信代を待っているものは誰。
もちろんそんな後日談なんかくっついてないよ。
なんとなく今まで自分が見続けてきた類型的な流れを、ことごとくぶっ壊している是枝作品だと思います。
モヤモヤするでしょう。そのモヤモヤ感を家に持ち帰ってですね、表をじっくり見たり裏にひっくり返して考えたり・・・
ああ、だから映画って面白いんですよね。
義母が言いました。
「やはり少し難しい映画ではあったわね。」と。
だけど
「あの子はあの雑貨屋さんで『妹にはさせるなよ。』と言われて気が付くのね。」
そう。
すべてばれて居たのに、見逃してくれていた雑貨屋のおじさん。
祥太は初めて自分の世界の外の世界に触れたのかもしれません。そして優しさと自分の知っている世界以外の常識を知ったのかもしれません。
後の会話で国語が得意と言っていた祥太。彼は言葉を理解し深く考える能力に長けていたのですよね。
だから彼はたった一言の、外からの言葉からいろいろと気づき始めたのかもしれません。
「しれません」と言う言葉のオンパレードだけれど、ここは単なる私の感じ方なので、そう書くしかないのです。
気づいてみると、治の言っていた言葉の矛盾に気が付いたり、大人二人の行動に疑問を感じたり・・・・・
見ている私たちも、彼らの愛にあふれていたような笑顔だけでは、もう補えないような未来に対しての閉塞感を感じてしまいます。
どうなるの ?
と言う、大きな設問に答えたのは、祥太。
「わざと捕まったんだよ。」と言ったけれど、その真意は分かりません。
だけど今までをぶっ壊して、あるべき姿に戻したのは、やはり少年だったのです。
そしてすべての者に、未来への風穴をあけたと言っていいような気がしました。
祥太の本当の両親が分かったとしても、ゆりが本当の両親の元に帰っても、それはイコール幸せにはならないでしょう。
しかし先に進むためには必要な事だったと思います。
それでも少女は時々思うのかもしれません。
または思いだすのかも。
あの時、私をここから救い出してくれたあの人たちは誰かと。
またはあの時のような、奇跡がもう一度起きないかなと。
ふと思い立ったように、あの時、声を掛けられた通路からふっと外を見る少女。
そしてこの映画はそこで終わる・・・・
子役、本当に素晴らしかったですね。
※ ※ ※
しかし、おばあちゃんの年金が5万円強で治の日雇いのお金がだいたい12万円(テキトーに見積もった)、信代のパート代が少なく考えて6万強。家はあって、ふーむ。
この家に教養費と教育費はないわけで、メインは食費で、その内容も本当に質素。万引きしなくちゃダメかな~。
もちろん、その後の治のけがで仕事を失うのと信代のリストラで一気に貧困になるのは分かるけれど、万引きはその前からだしね。
物語が始まった時、彼らが仕事をしている事にむしろ驚いた。万引きで生計を立てている、窃盗家族ってわけじゃなかったのですよね。
「俺の教えられるものはそれしかないから。」
むしろ、ここなんじゃないかしら。彼らが万引き家族である由縁は。
と言っても、これもまた私が思った事に過ぎません。
こういう映画の感想って難しいですね。
まあ、とにかく映画館で家計管理を考えている人は、あまりいないかも知れませんね。