森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

桜咲く頃

2011-04-15 01:06:16 | 詩、小説

花は去年と変わらなく、綺麗に咲いているけれど

その花を美しいと思う、私の心が欠けている

心はまるで月の様に

満ちたり欠けたりするもんだ

 

何日周期で満ちるやら

何年周期で元通りになるのか

このままそっと新月のように、

消えてしまうと言うのだろうか

 

花は去年と変わらなく、綺麗に咲いているけれど

その花を美しいと思う、私の心が欠けている

 

言い知れぬ悲しみで心の桶は一杯だ

いっそ溢れてしまえばいいんだな

大きな石を投げ入れて

心の桶の水を溢れさせ

隙間を空けよう

 

それとも

泣いて泣いて溢れさせればいいんだな

涙はいつしか塩の固まりになって

その桶に投げ入れよう

 

花は去年と変わらなく、綺麗に咲いているけれど

その花を美しいと思う、私の心が欠けている

 

 


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過激なランチ

2011-04-14 00:53:43 | 梢は歌う(日記)

計画停電の原則不実施が発表されて、なんとなくホッとしています。

停電は、家に居る分には我慢していればいいだけなのですが、お仕事的にはちょっときついと思っていました。これは皆同じ。仕事になりませんよね。特に最初は「計画」とは名ばかりで、その計画もなかなか決まらずお知らせも遅かったでしたから。

 

でもこの計画停電で、みんなの節電意識が高まった事は間違いのないことです。

続けて行ったファミレスでも昼間は電気が消えていました。中が暗いので窓には大きく「営業中」と張ってありましたが、中は意外と平気でした。これでこのままいけばいいんじゃないかと思いました。

 

奥様ランチも復活して、気持ちもホッとしたのですが、それは取り敢えずの「再会」。みんなそれぞれの近況をちょっとずつ語り合いました。じゃあ、近況がちょっとなら、他は何を話しているのかと言うと、馬鹿話が多いかな。でもその中に結構な情報が含まれていたりするので侮れませんよ、奥様ランチ。でも楽しいが一番なのですよ♪

熱くは語りませんが、自分が見たこと聞いた事が元になり、実はかなり自分の考えを述べているのが中年女子会なのですよね。近況の中には「地震、その時私は」的なものもありますが、買占め目撃の話や義援金の話とかいろいろです。

でも最後は大概がお笑いのネタの様になるのです。

 

「計画停電、なんだかんだって夏やるための練習のような気がするわ。」

←友達「夏やられたら、きついわねえ。死者が出るかも。」

「カキ氷売りにキャンディ売り、金魚屋に風鈴売り、そんなものが復活するかもね。でもみんなでエアコン止めたら、街が涼しくなるかも。冗談でなく、深夜を停電にして欲しい。みんながエアコン使わなかったら、夜は本当に涼しい夜風が入ってきて、いいと思うな。」

「デモさ、それって治安が悪くなるじゃない。みんなが窓を開けて寝るってことよね。」

「人の弱みに付け込んで悪さするって許せないよね。じゃあ、最初に刑法を改正して、計画停電の時に強盗に入ったら、有無を言わさず、この有無を言わさずって言うのがポイントね、死刑。それで泥棒に入ったら無期懲役ね。裁判も一日で終わって節電になるわ。」

「過激だね。泥棒も命がけになってくるわね。」

「それで、万が一つかまったときのリスクを考えて、計画停電の地域を避けようって思うわけ。『なになに~、今日の夜は第5Gが停電だからそこはやめておこう』って。停電の計画に詳しくチェックなんか入れたりして。これが本当の泥棒の『計画停電』ってわけでして・・・」

チャンチャン

 

時々このブログに登場する不思議空間M町。そこは裏が山だった事もあって、夏の夜は窓を薄く開けて寝ていました。大きく開けると夜中に寒くなって震えが来るからです。

今のマンションに越してきた時も、夏は窓を開けて寝るものと思っていましたが、とんでもない事でした。窓から入ってくるのは人様の家のエアコンからの熱風ばかりで、閉めざるをえなかったのです。今では我が家もエアコンに頼って夜を過ごしています。でももしマンション中のエアコンが真夜中には止まり夜風を頼りにしたら、入ってくる風の温度は違うのではないかと、ふと思ったりもするのです。昔のように。

だけど、私がマンションの窓をしっかり閉めて寝るようになったのは、たぶん松本サリン事件からだったと思います。治安の為に窓に施錠がしてあった下の方の階の人は助かり、窓を開けて寝ていた上の方の階の人たちが被害にあいました。

 

人が良かれと思ったスタイルで生きようとしても、それを阻むのは人の悪意だったりするのは残念でなりません。

 

福島の緊急に避難された家々に空き巣が入っていると、姉が電話で教えてくれました。

本当に腹立たしい!!

人の弱みにつけこんで!

許せん!

思わず
「避難した家に空き巣に入った者は、そいつだけ被爆する。今呪いをかけておきました。」と言ってしまいました。

が、そんな人は心が腐っている。私が呪いなどかけなくても、自ら滅びの人生を歩む事でしょう。

と、過激モードで終了です☆

 


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花は桜のみにあらず 2011

2011-04-13 01:42:37 | お散歩&写真日記

 

「お花見に行こう、<その4>」です。
この「花は桜のみにあらず」と言うタイトルも毎年使っているような気がするので、「2011」とつけました。

この花はこぶしです・・・・たぶん。

この花は家のすぐ近くで、毎年咲いていたのだとお思います。それなのに、今年初めて見たような気がするのです。

意識する、だから目に入る。

そう言うことなのかもしれませんね。

 

 

 

下のは普通に水仙です。水仙を見ると、必ず思い出すのが「国営ひたち海浜公園」です。あそこの水仙は本当に素晴らしいのです。連れて行ってと誰かに頼んでも、今はこんな状態だから無理でしょうね。→そこの水仙

 

このはなも大好き。「ゆきやなぎ」です。

下のは「シデコブシ」

それの色違い。

 

今日は花日記。

しかし本当に凄い季節です。


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グラデーション

2011-04-12 09:47:57 | お散歩&写真日記

「お花見に行こう<その3>」の記事ですが、ちょっと日記を付け足したのでタイトルを変えました。

上の花は、桜ではなく花桃。大好きな花です。この花は真っ白だけど、本当は一本の木に白ピンク赤と花が咲きます。なぜそうなるかは、白く咲いたのが徐々に色づくからなんですが、本当に綺麗なんですよね。

 

昨日の夕方はまったく参りましたね。最大余震は、4月7日の夜のじゃなかったのでしょうか。でも震源地が違いました。今回のは、福島。

私、本当に疲れてしまいました。でも疲れたのは地震のせいばかりではないと思います。

昨日はちょっと心が重くなるような事がありました。

今度の震災で、皆価値観が少し変わってきたと言います。それはそうかも知れません。今よりもさらに心強く生きていかなければなりません。多少の事には動じてもいけません。でも、ヘナチョコである私はやっぱりヘナチョコ。そんなに人は急に変われるものではありません。やっぱりヘナチョコのままで良いやと思います。ピンと糸を張るのは止めましょう。駄目なときには布団を被って寝てしまいます。

心が本当に疲れたときには眠る事が大事です。

寝ていた時にも、大きめの余震が来ましたが、「もう、うるさい。」と寝ていました。

「良く寝るなあ・・」と夫が起こしに来ました。顔も洗っていなかったので寝る準備が出来ていなかったのです。

ようやく起きてお茶を頂き、お風呂に入って、また寝てしまいました。

 

起きた時に、思わず言ってしまいました。
「もう、いい加減にしてよ!」
別に夫に言っているのではありません。地震に言っているのです。

夫、
「人じゃないんだから、ハイハイとは言ってくれないよ。」

分かっていますよ。でも言ってやりたい。

「しつこいんだよ~!!」ってね。

だけど、全体的にプレートが動いているじゃないですか。

自分の人生はとんでもない時に、ぶつかってしまいました。地盤の変動期。人の歴史の右往左往なんて小さなレベルに感じます。私たちは土地を自然から間借りしているので、大家の変動に右往左往とする事は、まだまだ続きそうです。

ああ、それなのに、私は私の家庭の右往左往に布団を被って寝込んでいるのです。

 

良いのです。

徐々に強くなるのです。

負けない私になるのです。

みんなを守ってあげる母になるのです。

 

ここまで書いて「おひさま」を見ていましたが、また来ましたね。今度は震源地は千葉。
「おひさま」も途中で終わってしまいました。
やっぱり、嫌だけどまだ続きそうです。

ふん、負けないぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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お花見に行こう<その2>

2011-04-11 10:56:07 | お散歩&写真日記

 

毎年心引かれる寒緋ざくら。
前にも書いた事だけど、これはヒカン桜とも言い、
だけど彼岸桜と言葉の音が似ているから間違えやすいため、
カンヒザクラとして定着したんだよね。
下の桜は「ヨコハマザクラ」何かを交配させたもの。
その何かはいろいろ説があるので、パス。濃いピンクが可愛い。

 

 

 

 

 

 

それで、あの桜は・・とか言っていると、妹が
「この日のために調べたのか。」と聞いてきました。
「うん、調べた。でもそれはこの日のためじゃなくて、前にね。」

だって毎年来ているんだもの、この場所に。
あなたはだあれって言いたくなってしまうもの。

 

 

この日は時々小雨の土曜日。

花はこんなに綺麗なのに誰もいない。

桜の木の下にいるのは、私の妹二人。

「おねえちゃーん、みんな、来てごらん。こんな桜の一等地を独占だよ。」

 

 

ほんと

この季節、こんな桜の真下から写真を撮ったことなんかないかもしれない。

 

その日は母と姉と妹二人が我が街、我が家にやって来ました。

「誰が降らした、この雨を」
「それは私。」と私が言った。

↑クックロビンだな、このノリは。あっ、「パタリロ」の方じゃなく「ポーの一族」の方ね。

妹と母は究極の晴れ女らしい。

でもね、奈良に行ったときも雨だったじゃない。

ああ、あれも私のせいだったのか。

でもあの時も虹を三回も見ることが出来たじゃない。
雨が降らなくては見ることが出来なかったのよ。

今日だって、こんなお天気だから、花を独占出来たのよね。

いつだってポジティブ我が家。

 

だけど晴れ女たちのお陰で、ほとんど雨には濡れなかったのでした。

 

 

 

今日は4月11日で、あれから早くも一ヶ月が過ぎてしまいました。
あまりの被害の大きさに、奇跡を信じてずっと「ご冥福を」と言う言葉を言う事が出来ませんでした。まだまだ不明者の数が膨大です。一刻も早く家族の元に帰ることが出来ますようにと祈ってきましたが、御霊は愛する人たちの元に帰られたに違いありません。そう信じて心からのご冥福をお祈りいたします。

 

 


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お花見に行こう

2011-04-10 11:44:48 | お散歩&写真日記

過度のお酒に酩酊し、周りの者の苦笑にも気付かずに、他者に迷惑をかけ、朝になったら飛ぶ鳥後を濁しっぱなしでゴミの山のようなお花見は、震災がなくても自粛していただきたい。

だけれども花の季節は短くて、上空から見たら日本がほんのりピンクに染まるこの季節から元気を分けてもらう事は、とっても大切な事だと思います。

此処に載せた画像は4月9日のものです。

それより一日前、自転車に乗って買い物に出掛けた時に、町に溢れる花々にちょっと心奪われたりもしましたが、薄曇に咲く桜の花に無感動な自分に気がついて愕然としました。感性が死ぬと言うのはこういう事なのかと恐ろしくも感じたりしました。

心が疲れているのです。

昔は「地震・雷・火事・おやじ」。これを最初に言った人は天才ですね。

今は「地震・津波に火事・原発」。雷も怖いけれど、今はちょっとランク外。それよかおやじだ。おやじ共、元気だし原発の恐怖なんかやっつけちゃってくれたまえ。そして再びランク入りしてくだされ。

ナニナニ、こんな時だけおやじに頼るというのもいけないかな。ではでは女どもも元気を出そうではないか。

花に力を借りて。

老若男女昼夜問わずに桜の木の下に場所取り、カツレツ良くなる程度に酒を飲み、気の利いたジョークで笑いあう。

または花の下を歩きその英気を吸い取ってくる。和菓子と抹茶のおまけ付きで。

自粛のお話は、敢えてこれ以上言わなくても良いですよね。他の方も一杯言っていますし、テレビでも言っているし。だけどこんな事はお上に言われる事じゃないと思いますよ。自分で考えましょうよと思うのですよ。すぐに流れを読もうとしちゃうんですよね、日本人って。

地震・津波・原発・・・

だけれども第4の波には飲まれてはいけないのです。日本を沈没させてはいけないのです。この、波・飲まれる・沈没と言うような言葉は、今までずっと意識して避けてきました。でも此処では敢えて使いました。経済の疲弊は怖いです。私たちは元気を出し、働き続け、そして援助し続けていくべきだと思います。・・・って、敢えて言わないと言いながら書いてしまいました。

と言うわけで、しばらくは花の写真日記です。

あっ、そうそう。今日の私は花から元気を貰ったので、元気です♪

 

 

 

 

 

 

 

 

明日もお花見

ブログのお話~・・・☆

そう言えば、今日は真夜中にも記事をアップしていたのでした。
ルート君の誕生日」、単なる家族ネタですが、お暇なら覗いてみてくださいませ。


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ルート君の誕生日

2011-04-10 03:09:19 | 家族スナップ

これぞ、我が家の日常日記で、何でタイトルを「日常!その4」にしないかと言うと、そろそろ何に何を書いてきたのか分からなくなる頃で、読んで下っている方も、開ける度に「日常!」と書いてあり、この先「その48」だの「49」だとか書いてあったら、何がなんだか分からなくなる事間違いなしと言う事で、「その3」で止めておきました。

でもアレは、今の非日常的な日常、つまり「今」日記、だから「なう日記」(しつこい!)と言うわけで、復活するかもしれません。
・・・・・、でも復活しないで欲しい、出来るものならば。もう非日常的な日常と言うのは疲れました。

 

そんなこんなで、今年もルート君の誕生日がやってきました。(数日前のお話・・)
「ルート君」などと可愛らしく書いていても、彼もすっかり大人です。なんといってもこのブログは意外と長く続いているものですから、すっかり育ってしまったのです。

それに伴って、私もとしを・・・
そこの部分は触れてはいけませんね。だって確かに皆平等に歳は取っているのですから。私がひとつ歳を頂けば、あなた様にも配布されるわけですから。
「いいえ、ワタクシなどに勿体無い。どうぞ、他のところにお分けしてくださいませ。」と言っても、歳の神様が
「それでは申し訳ない。皆平等にひとつずつ差し上げよう。」と置いていく「歳」。

いらないと言っているのに、迷惑なこった。

まあ、それはともかく大人になってしまった彼には、誕生日の盛り上がりがなんとなくないのです。あまり物事を深く考えるタイプではないのかもしれませんが、人生の節目としての何かを決意する日とかそんな雰囲気すらない彼。なんか寂しいな、親としてとか思っても、それこそはた迷惑な事だと思います。いつ何を考えたり行動するかなんて、もう親の思うことではないのです。でも誕生日って、やっぱり普通の日ではないと思うのですよね。

 

私もこれといって、誕生日のスペシャルディナーなどの企画はなかったのですが、ケーキなどを買って彼の好きなメニューを作ろうと思っていました。

でもあまりに彼が普通の日っぽかったので、思わず昼間にはピザなんかを取って、誕生日なんだよと言う雰囲気を醸し出してしまいました。ピザを取って嬉しそうだったのはラッタ君のほうだったかもしれませんが。

ところが、近頃の私はなんとなく体調が悪いのです。何がどうと言うわけではないのですが、突然体温調節が利かなくなり、熱くなったり寒くなったり、物凄くだるくなったりします。その日もそうで、とても買い物に行く元気などありません。でも明日食べるパンもないし・・・

こういう時はルート君です。

「ルート君、パンを買ってきてくれませんか。それから、あなたの誕生日のケーキも買ってきてください。」

「な、何それ。自分の誕生日のケーキを自分で買いに行くという悲しい展開

ちょっとでも面白そうな雰囲気を逃さずキャッチのラッタ君も登場。

「良いじゃん、お前。いっそホールで買って来いよ。」

「俗に言う、バースディケーキと言うやつですね。あれ駄目ですよ、ルート君の場合は。なんたってイチゴとかフルーツが駄目でしょ。イチゴは真ん中に挟まないでくださいとか、注文が多いケーキ屋の客だったんだから。食べる時も、上のフルーツを外すと、見た目もちょっと悲しいケーキになってしまうしね。好きなチョコレートケーキとか買ってきたほうがいいじゃない。」

「『注文の多いケーキ屋の客』、めんどくさい男だ。だから罰としてやっぱり自分で買いに行きなさい。」ニタニタ・・・

「ひ、酷い。」

「あっ良く考えてみれば、私は帝王切開だから、君たちは生まれるときに狭い産道を苦労して出てきたと言うわけではないのよね。××前のあの日、生みの苦しみは私だけにあったのよね。考えてみれば、私が頑張った日なんじゃないのよ。もうこれからは自分の誕生日が来るたびに、私に感謝してケーキを買って私の差し出しなさい

「母上、その節はすみませんでした。お手数をお掛けしました。」
「と言うわけで、ルート、そのケーキはお前の誕生日のケーキじゃなくなったみたいだ。」

「何で今、良く考えちゃうのかなぁ~

もちろんルート君、最初から買い物、noではありません。ラッタ君はこの後お仕事に行きました。

「ちなみに、ケーキなんだけれどね。パパさんは、あそこのショートケーキは好きじゃないって。それからモンブランは昔から嫌いだって。私は抹茶ケーキは絶対に駄目だから。」

「なんと注文の多い・・・・」

 

私はラッタ君といると楽しくて、ルート君といるとホッと心が安らぎます。
君たち、生まれてきてくれてありがとう。

 

 

 


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日常!その3

2011-04-08 11:37:33 | 梢は歌う(日記)

また、昨晩の午後11時32分頃大きな地震。震源地は宮城県・牡鹿半島の東約40キロ。
夫がもう寝るというので、テレビも消してしまった直後です。我が夫殿は、自分が寝るときにはテレビを平気で消してしまう自分勝手なやつですが、寝つきが悪いので仕方がないと思っています。加えて、彼には働いて貰わなくてはいけないので、彼の就寝と共に我が家のテレビタイムは終わりです。

そんな話はどうでも良かったのでした。(これって前にも書いたかしら。よほど心の奥底で根に持っているのかも)

昨晩の地震の話です。テレビも消えてパソコンも開いていなかったので、行き成りの揺れにかなりビビリました。かなり大きくて本当に疲れました。宮城で震度6強、余震M7.4。でも私の地域は震度3でした。

ええ、あれでって思いました。そして、こういうときの数字ってあまり意味がないなと実感しました。それとも震度には大きな幅があるのでしょうか。すっかり余震慣れしてしまって、多少の揺れには鈍感になってしまった私ですが、久しぶりに恐怖を感じた夜でした。こんな私でも疲れを感じてしまうのですから、被災地、震源地にいらっしゃる方の恐怖、心の疲れはいかばかりかと思います。

既に目一杯に頑張られていると思うので、頑張ってくださいという言葉は控えるべきなのかもしれませんが、そのような言葉しか掛ける事しか出来ない自分を情けなく思うのと同時に、やはりそれが自分の心の中の言葉なのかと思います。

傍にいらっしゃる方と寄り添い、この不安と困難に負ける事のないように、心が折れる事のないようにと祈っています。

 

                                                                           

 

今日も前回の続き、今の我が家周辺の「日常」を書き留めます。

先日ラッタ君が水のペットボトルを片手に持って仕事から帰ってきました。
仕事から帰ってくるような息子でも「ラッタ君」・・・。
まあ、それはさておいて。

「あれっ?」と言うと、
「もう、いくらでも売っているよ。」と彼は言いました。

摂取制限も解除されて、ペットボトルの販売も需要に追いついたのですね。良かったです。

実は彼がペットボトルの水を飲むのは、昔からの習慣です。もちろん外で飲む為に買うのですが、お茶とか他の飲み物ではなく、彼はいつも水を選択するのです。

この水を飲むという事は良い事なのですね。

今はライフサイクルに合わなくてやめてしまったカーブスのコーチにも、水を飲む事を勧められて、一時期は意識して飲んでいました。まあ続かないのが私なのですが。

少し前の数日、そのラッタ君が寝る前に飲んでいるのが、大きめなグラスで飲んでいる水道水なのでした。

乳児の摂取制限が出てから、ああやっぱりと言う感じで、コンビニやスーパーからお水のボトルがなくなりました。本当に乳児のいるご家庭は大変だったと思います。それに、こういう制限が出たら、不安になるのは乳児のお母さんばかりではないはずです。1歳1ヶ月のお子さんを持つお母さん、2歳近くても体が小さい子供のお母さん、みんなさぞや不安に思ったことでしょう。

市が配布してくれるのは1歳未満の乳児の家のみですし、不安に感じたご家庭では買いに走るしかないですよね。それなのに売っていないような状態が続いたら、不安は募るばかりですよね。

えっ、なあに?
またまた、愚かなり、アレは乳児の基準値を超えた数字だから、乳児以外の家では関係ないんだよ、分かってないなって思いましたか?
でもこんな事を、もしリアル会話で言う人がいたら、私はうんざりした顔を隠せませんよ。
分かってますよ、もちろん。みんなも分かっているのです。
私は「不安」のことを言っているのです。

ここでは、本音トークでいきましょうよ。

「不安」って言ったら、乳幼児のお母さんだけじゃなくて、小学生のお母さんだってみんな不安ですよ。だって、その水は普通の今までの水ではなくて、特定の人、つまり乳児は飲む事が「出来ない」水なんですよ。

日本人は水はタダで安全が当たり前と思っている。昔、そんな風に言われていなかったでしょうか。水が豊かな国、そんな日本に生まれて、飲み水に不安を感じるなんて、初めての経験ではないでしょうか。誰だって不安にはなるのです。ただ本当に困っている人のために、その不安に扇動されて行動をしないだけで我慢をしているのです。(我慢していない人もいるような気もしますが)

入ってくる情報を正しく理解して、正しく行動しようとしているのです。

 

でもサイドのツイッター記事を読んでくださった方もいらっしゃたようで、気が付いてくれた事が嬉しかったのですが、後出しじゃんけんのように、あの日の水は汚染されていたみたいなニュース記事が出てくると、またも不信感が募るじゃないですか。

それはこちらで→ここ

上のことは、もう遠い過去の出来事同様に「なんと!」と思うしか出来ない事なのですよね。
だからと言って、もちろん我が家は水を買いに走ったりもしなければ、お料理もお茶などもみんな水道水ですよ。

そう言えば近頃すっかり常連になってしまったサイゼリアも、ドリンクバーは水道水を使っていますと明記してあって、気にせずがぶ飲みしてきてしまいました。

これは中年以上の人には、後々にも影響が出にくいという情報が元になっている行動なのかも知れませんね。

と言いながらも、春休みのサイゼ、どうしたのかと思うくらい混んでいました。幼稚園とかお休みでしたので、若いお母さんや小学生のお母さんたちが家族連れでたくさん来ていたのですね。

上には皆さん不安だったでしょうと書いてしまいましたが、まったく不安に感じていない人たちもたくさんいらっしゃるのかもしれませんね。このジュースは水道水で作られているなんて意識していなかったのかもしれません。(まだ摂取制限解除前のお話です。)

 

ペットボトルの水が一時期、スーパーやコンビニの棚からなくなると、水を習慣的に買って飲んでいた人たちも我慢が強いられる事になりました。友人も旦那さんがお弁当といつも決まったお水を買って持っていったので、なくて機嫌が悪いと言っていました。
「大丈夫よ、大人なんだから、本当は状況をわかっているわよ。」と私は言いましたが、贅沢な悩みだなと、私は思いました。

 

ある人は聡明であり、ある人は愚かである。ある人は情報弱者ゆえに自分の不安に振り回されて行動している。ある人は情報過多ゆえに扇動するような発言を振りまいたり、自分自身の不安をあおっている。

考えようによっては、それはいつもと同じ日常の光景かも知れません。でも今の日常は、ある意味非日常。こんな毎日の中で、自分らしく自分に言い訳しないように生きていきたいなと思います。

ところで、なぜ私がラッタ君の水道水を飲む姿に驚いたかと言うと、これは微妙な感覚です。

彼はどちらかと言うと情報過多な人。愚かな行動をする人ではありませんが、不安指数は私よりも上なことは確かです。そんな彼なので、乳児の摂取制限が出ている間ぐらいは、神経質になって水を素で飲むなんてことをしないんじゃないかなと言うイメージを自分の子供に持っていたのですね。

「水を飲んでいるの?」
「そうですが、それが何か。」
「いえ、なんでもありません。」

寝る前のお水、美味しいですよね。意識した事、なかったけれど、実はそのままお水を飲む事って結構あるんです。

当たり前のように蛇口からお水が出てくる、これって凄い事なんですよね。この前の夜、思わず「ありがとうございます。」とか言いながら、夜の寝る前のお水を飲みました。このお水がいつまでも安心出来るものでありますようにと祈るばかりです。

コメント (2)
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日常!その2

2011-04-05 02:35:07 | 梢は歌う(日記)

昨日の朝からの「おひさま」を見ましたよ。まだ一回目なので、なんとも言えませんね。ただ予告編の陽子の微笑が素敵で、それが「てっぱん」の次も見てみようと思ったきっかけです。若さを失ってくると、綺麗に微笑むと言う事が難しくなってくるようにも思うのですが、少し影響されて、優しく微笑むように努めたいと思います。

しかし今年は、安曇野、ブレイクしそうです。美しいところですね。

 

と言うわけで、前回の続きです。

私がどちらの水菜を買ったのかと言う話ですが、あなた様の予想通り茨城産を買いましたよ。風評被害に負けるkiriyさんじゃないと思っていただけましたか?それとも安い方を買ったに違いないと思いましたか?それとも、ブログにわざわざ書くくらいだから新しいもの好きの癖に、「どう、あたし偉いでしょ。ちゃんと茨城産を買ったわ。」と言う自慢の展開だと推理しましたか。

最後に書いた自慢はちょっと違います。なぜなら、私はちょっと迷いましたよ。時間にしてみれば秒の世界ですが、ちょっとどうしようかと思ってしまいました。高いけれど違う産地のものが置いてあれば二者選択を迫られているわけですね。

でもスーパーに置いてあるものは安心なのですよ。いつものおなじみの物を買いました。やっぱり安い物を買ったのです。だって相場ってあるじゃないですか。水菜の値段はそんなものですよ。平常心でいようと思っているのに、此処で崩してはいけないなと思ったからです。

 

だけどね、この迷った数秒は、ワタクシの本音部分だと思います。不信感、しっかり芽生えています。

あの言葉、良くないですよね。

「直ちに健康を害するものではありません。」と言うやつ。

あれは「だけどそのうち害するかもしれません。」に脳内転換しますよ。そんな事をツイッターで呟いたら、そう言うことをいっているのだというお返事が返ってきました。

ひとりが感じる事は多くの人が感じる事なのですよ。不安をあおる言葉だと思います。

テレビでは専門家の人たちが数字を羅列して「大丈夫」を連呼しているでしょう。
私、ちょっと思っちゃうのですよ。

10年後20年後に大丈夫でなかったら、腹切るぐらいの覚悟でその「大丈夫」を言っているのかいってね。あの数字の羅列も分かりづらいのです。この数字なら大丈夫でって事は、やっぱり野菜等には大丈夫と言われている程度の放射能の影響があるわけで、その後にキャベツの場合は外葉を何枚か取るとか根をどうするとか説明しちゃうとか、それって本当は大丈夫じゃないんじゃないのと言う印象になってしまうのですよ。

大丈夫と言うのなら、ドーンと今までどおりに食えと言ったら良いじゃない。わけが分かりませんよ。

はっきり言って、ジジババは良いの。「後々に」って言ったって、もうその時寿命ですよ。だから、そこのかなり年配のおばさん、お水買い占めなくたって良いからねとか言いたくなっちゃう。私たちおじさんおばさんももう良いの。もう子供を生まないし。

問題はそれ以下のお若い人たちの事ですよ。

心の奥底で心配しているのは乳幼児だけじゃないのです。

えっ、何?

「愚かなり」とか思った?

うん、そうかもね。

でもね、こういうこと、もしくはもっと馬鹿なことを言っている人がいても、その発言をねじ込んじゃいけないよ、って思うの。あっ、でも分からないな、これ。原発は天災・・なんて信じられない事を言う人も居るから、微妙な事を言うのは止めたほうが良いですね。(・・のところはちょっと言葉を省略しています)

ただ、何が利口で何が愚かかは簡単には言えない、「今」なんだと思うのですよ。

とにかくテレビはね、画面の向こう側にはいろいろな人がいると思って、「直ちに健康被害に及ぶものではない」と言う変な日本語は使わずに、「微量+微量+微量≠大量」「蓄積しない」「3年後、5年後10年後に影響があるなんてことはない。」と言う事が、愚かな人(自分のこと)にでも分かるような明言が必要だと思います。

専門家の人の説明と、私たちの知りたい事とは何かがずれているように思うのです。例えば私たちは、自分たちの体を水が溜まっていくビーカーのようなイメージで考えていると思うのです。だけど専門家の人は体は流れるホースのようなもので、一度に大量に入ってきて詰まらなければ問題がないと思っていると思うのですね。このイメージの違いを説明していかなければ不安感は取り除けないと思います。

 

と、水菜を手に取り思ったわけですよ。で、次は白菜。えっ、豚シャブの話ですよ。昨日は豚シャブだったのですから。夫が白菜は要らないよとか言ったのになんか食べたくて買いました。もうあまり売っていなくて、6分の1で108円もするものを買ってしまいました。後からしみじみと、なんて高いものを買ってしまったのだと後悔しても後の祭り。

白菜がスーパーの棚から減って春近しと感じてみたり。

 

ところでラッタ君、最近良く水を飲んでいます。もちろん水道水。これって意外。だって彼はとても神経質な人で・・・って、時計を見たらこんな時間か。
じゃあ、この話はまた次回。


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日常!その1

2011-04-04 01:54:02 | 梢は歌う(日記)

夕食時間の、昨日の話題。

テレビのWOWOWで「ザ・ウォーカー」とかやっていました。

PG12指定。これは小学生の子供は見ても良いけれど、保護者同伴である事が義務付けられているというもの。

するとラッタ君、

「横で解説してあげてくださいって事か。」←もちろん分かっていますよ、わざと言っているのです。

「ううん、傍に居て、見ないほうが良いシーンには『目をお瞑りなさい』って言ってあげてくださいって事よ。」

「だけど見てから、まずいと思うわけだから、間に合わなくて少しは見ちゃうだろ。」

「だからこれはまずそうとあらかじめ予想して、『目を瞑りなさい』と言うわけで、親力が要求されるわけよね。」

折りしもその時、主人公が猫のような動物と向き合っているシーン。

ああ、なんか残酷なシーンになるような予感。予感が当たってその動物は射抜かれて夕食の食材に・・・・

「猫を殺すなよな。」

「いやあ、猫じゃないと思うよ、あれは。でもほらっ、早速「目をお瞑りなさいシーン」だったじゃない。」

「こんな冒頭からじゃ、そのまま寝ておしまいって感じだな。」

映画を家で見ると、関係のないところで賑やかに盛り上がれたりするから、「それもまた楽し」ですね。

 

昨日の夕食は、豚シャブ。寒かったので体も温まって美味しかったです。

豚シャブには水菜が必需品。でもスーパーで手に取ったものは、なんだかいつもの水菜と見た目が違ったのです。丈がちょっと短く色も濃いのです。これ、水菜?良く見ると産地が九州。なんか南の水菜は形状が違うのかとしみじみと見てしまいました。そして次に値段も・・・「238円」
えええっ、そんなに高いのと驚いていたら、違ったワゴンに別の水菜がありました。

「茨城産98円」ああ、いつものだわ。

前にパパさんが「茨城」と言うだけで売れないらしいと言っていたので、それで別の産地のもあるのかしらと思いました。俗に言う「風評被害」と言うやつです。一瞬、そのいつもと違う水菜に気持ち惹かれていたので、迷いました。98円、いつものと・・・・と、ここまで書いたら眠くなってしまいました。

 

と言うわけで続きは次回。私はどちらを買ったのかってところから。

 

今週はちょっとばかり忙しいので、だらだらおしゃべりモードでいきますよ。

 

 

 


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