6月1日、「レンブラント」の作品に会いに上野に出掛けましたが、その時に実は美術館のハシゴをしたのです。
「写楽展」は年頭の遣りたい事リストにも入れておいた、行きたいイベントでした。震災の為に会期が遅れ今になりましたが、こちらも見逃さずに行く事が出来て良かったです。
しかもレンブラントも版画が中心のイベントで、なんとなくこの東西の比較が自分の中の隠れテーマでもありました。但し、双方とも作品数が多く、版画ゆえに作品も細かく、このハシゴは結構大変なものがありました。
今回のこの記事を書くにあたって知った事なのですが、wikipediaによると
「ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家と激賞したことがきっかけで(“Sharaku” 1910年)、大正時代頃から日本でもその評価が高まった。」とありました。
世界三大肖像画家!
凄いですね。その「レンブラント」と「写楽」を一緒に見てしまいましたよ。意味もなく得意気な私です。
私の中でも「東西の比較」と言う隠れテーマがあったと書きましたが、「レンブラント展」でも洋紙、和紙に印刷した比較展示が面白かったのですよ。(前の記事で書きましたね。)
そしてこの「写楽展」でも、同じ役者を描いた他の浮世絵師との比較展示がやはり面白かったです。
勝川春章、勝川春英、葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川豊国などの作品も見ることが出来て、非常に充実した内容に思えました。
特に歌麿の「婦人相学十躰 ポペンを吹く娘」なんかも展示してあるなんて思っても見なかったので、得した気分になってしまいました。歌麿の美人画、やっぱり綺麗ですね。
比較展示を見ていると、正統派歌川豊国なんかが、その時代には人気だったのじゃないかななんて思ってしまいました。
写楽の大首絵、引き込まれるような魅力がありました。
ただ、私、「写楽」と言うと、あの映画を思い出してしまうのです。映画「写楽」のあらすじと解説は→ここ
その中では写楽(齋藤十郎兵衛)は全身像が描けない男として描かれていました。なぜなら役者であったその男は、いたずら書きの延長で楽屋で筆を走らせていたのです。自分も役者であったからその顔の表情にはリアル。だけどなんとなく筆を走らせるだけだから顔しか描けない。これ、凄くわかります。
誰もが・・・とは言いませんが、漫画好きなら子供の時に好きな漫画家に似せて、ノートに落書きをした覚えのある人は多いと思います。その時顔ばかり描きませんでしたか。そしていざ全身を描こうとすると、バランスが難しくて、特に腕の長さとか、漫画って難しいんだなと痛感するのですね。上に書いた話は、あくまでも映画の話ですが、なんとなくよく出来たお話とは思いませんか。その映画は、「“写楽研究家"としても知られている俳優・フランキー堺が、企画総指揮に当たっている」と解説にもありましたとおり、色々と考えられて作られた物語だったと思います。
そして本題を元に戻すと、この映画のインパクトが強かったので、大首絵がなくなってすべて全身絵になった写楽二期の作品には、かなりの驚きがありました。だって上手いんですよ。歴史に名を残している絵師様に向かって「上手い」とは何事かと叱られそうですが、だって、あの夢にまで出てきそうな強烈な印象の一期作品である大首絵を見ていると、映画の物語に納得できてしまいそうな、奇妙で微妙なバランスの悪さを感じるのです。でもそれはわざとやっているようにも思え、なんだかそれが素敵なんですね。
映画では、何故全身の絵が描けるようになったのかはとんでもない裏話が用意されています。昔の映画ですがいつか見られることもあるかと思いますのでネタバレしませんが、二期の作品の分量を思うと、それは無理だなと思うのです。(それはと言うのは映画のお話)。と言う事は写楽は描きに描きまくりましたね。
と言うより、写楽の活動期間はわずか10ヶ月、その間に140の作品を残しました。一緒に行った友人が、「あり得ない」と言いました。
この時代のほかの絵師の人のお仕事量なんかも気になるところですが、およそ300日で140。ええ!?なんか凄くないですか。
日本の版画は、絵師、彫師、摺り師の分業です。だからこそ出来た事かもしれませんが、それにしてもほぼ二日で一枚描いているようなものでしょう。やっぱり凄すぎる。
一期から四期までの解説は「写楽展」HPに載っています。ご参考に。→ここです。
二期から四期まで、それぞれ感想がありますが、かなり妄想バージョンになってしまうので書かずにおこうと思います。書かないでおくとそのうち忘れてしまう事は間違いないのですが、ろくでもない事なのでそれでも良いやと思います。
ただ間違いがないことは、写楽と言ったら、一期の大首絵。やはり人々の記憶にある作品が写楽そのものだと思うのです。10ヶ月と言う短い活動期間であったけれど、彼が本当に輝いていたのは、寛政6年(1794年)5月、役者大首絵28図を一度に出版し、華やかにデビューを果たしたあの時・・・・。
写楽はその活動期間が短かった故に、謎めいていると言われています。
今では、彼は阿波の能役者である斎藤十郎兵衛であるという説が有力で、何故活動期間が短かったかと言うと、人気が無かったからとも言われています。
だけどそれでも、なんとなく「写楽」と言う名前には、何か隠されたドラマを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
こちらも今月12日まで。お急ぎください。
買ったお土産。
ふせん
一筆箋。これはお仕事でよく使います。宿題メモを書くのですが、ローマ字勉強中の子供に「SHARAKU」は受けましたよ。
毎度おなじみファイル「時は今しかない。」と言う戒めに買ったと友人に言いましたら、何を入れるのかと聞かれました。予定のメモの予定。まあ、コレクションと言うのは、人から見たら「無駄じゃ」と言うものが多いのは事実ですよね。