森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」

2017-05-22 09:03:22 | 映画

5月14日に、この映画を見てきました。

カッコいいアライグマさん、またも期待していました。もちろん彼ばかりに期待していたわけではありません。

前作も作品自体が好きでした。

私、SFは大好きで、特にスペースオペラは…って、今時「スペースオペラ」と言う言葉を使ってSFを語る人っているのかしら。

で、前作の感想はなんて言ってるのかしらと思って見たら、単独では感想を書いていなくて「2014年に見た映画の記録」の中で

>「18 【3D吹替】ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
「スターウォーズ」系のスペースオペラに飢えていた人にはぴったりの作品だったと思います。しかもお気楽。最強のアライグマが魅力的。
凄く面白かったんだけれど、お気楽だったせいかあまり記憶に残っていないのが残念です。ただまたwowowとかで見る機会があったら、私は喜んでみますよ、これ。」

とまとめていました。

3Dで見ていたんだなとか、やっぱり「スペースオペラ」って言葉を使ってるなとか思いましたが、「飢えていた人」ってたぶん私の事だったのね。

 

この作品って、音楽が重要な萌えポイントになっているのだと思うのだけれど、私はあまりにも詳しくなくて、ノリノリな気分にはなるけれど気分だけ。

まったくこの映画への評価のプラスマイナスには、私的には関係ないのです。

でも好きな人たちにはたまらない事よね、きっと。

恋妻家宮本」のラストで吉田拓郎の歌をみんなで歌っちゃうシーンが出て来て、私の中でポイントがパンパンパンと上がっちゃうようなものじゃないかしら。

えっ、違うって!?

いや、同じでしょう。

 

私、すぐ泣く人だから、あまり説得力もない話なんだけれど、なんだかラスト、泣いちゃった !!

まさか、この映画で泣くなんてと思って恥ずかしいから黙っておこうかなと思ったのですが、他の人の評価も高くて、同じように「この映画でなくなんて思わなかった。」と言う人も多数いて、「同じ同じ」と共鳴しました。

 

今回はヨンドゥがカッコイイ回だったなと思います。

 

ガモーラとネビュラの命がけの姉妹喧嘩も泣けます。なんたって四人姉妹で育ったものだから、感情移入度も高くなってしまうと言うものなのです。

キャラがみんな良いですよね。

 

近頃、あまり前情報を入れないで映画館に行く事が多いのですが、スタローンが出て来てちょっと吃驚。彼はこの先もこの映画には参戦ですね、きっと。

いろいろな事が隠されているこの映画、それを見つけるのも楽しいかもしれません。

私は分かっているだけでも二か所、意味が分からなくて、同じく感想を書いている人に聞いてしまいました^^;

その後、毎度おなじみ、うきぃ様の所で読んでみたら、カメオ出演の方が多数。この分だけ見るべき(余分な楽しみ)ものがありそうです。

 

 

この後、少々のネタバレ感想。

 

 

この映画って、なんか「ドラゴン・ボール」みたいだなあって思ってしまったのです。

あれって敵がいつの間にか仲間。

どんどん仲間を増やしていくでしょう。

同じだなあと思っていたら、エゴの星で青い「気」、エネルギーの炎を出すじゃないですか。あれを飛ばしたら、まさにカメカメ波じゃないかしらって思ったのですよね。結局、飛ばすシーンはなかったわけですが、私的にはエゴに向かって一度は飛ばして欲しかったです。

 

長いけれど楽しいエンディング。

次回の敵はアポロになるのかしら。

思春期になったグルートの反抗期ぶりも楽しみ。

 

最後にまともな感想らしき事を言います。

会いたかった父親が神レベルの人種で偉大なる力を持っていたと知った時、クイルは本当に嬉しかったと思います。だけどその父親が人間の感情とは全くかけ離れた意識と感情の持ち主、つまり別の言い方をすればクズの最たる人であったと分かった時の落胆と悲しみは半端がないのではないかと思ったのです。そしてその父と言うものが、母を殺した張本人。

もう嫌いになっちゃうよね、普通なら、・・・・自分自身を。

などと余計なことをとっさに考えてしまう私ですが、そうはならなかったのは命がけで助けてくれた、ヨンドゥの父の愛だったのですよね。

 

だけどヨンドゥがずっとエゴの真実をクイルに語らなかったのは、やっぱり彼を傷つけたくなかったからなんじゃないかしら。

 

ガモーラとネビュラのろくでもない父ちゃんと言い、この映画って何気に「父と子」と言うのがテーマなのかしら。

 

「母になる」と言うドラマが、今放送中なのだけれど、母って本当はお腹に子供を宿した時から、逆立ちしたって実は母よ。だけど父は母の

「あなたの子よ。」と言う言葉を信じて、「父になる」と言うものかも知れないよね・・・・って、何をこの映画で語ってるのかって所なので、オシマイです。

 

次回作も楽しみです♪

 

 


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まあまあまあ

2017-05-19 15:51:16 | 梢は歌う(日記)

可愛いでしょう。この形状。球体と言うのは完璧な形らしいですよね。それに近づくものに魅かれるのは自然の事なのだと思います。

だけど彼女の正体は・・・・。

別に彼女じゃあないけれどね。

 

じゃーん。

 

このおぞましい方々なんですよ。

 

まったく~、可愛らしいふりをして、またまた増えるつもりでしょう。

野の花は好きだけれど、どうもこの花は好きになれません。可愛いとも思えないし。

この方々は私の中では、野の花の最強の一族のその一端に名を連ねています。

 

なんかね、昨日思ったんだけれど、人間の世界が滅んでしまって世界中が廃墟のようになってしまったとするじゃないですか。その時の頭の中のイメージってどんな感じですか。それ、みんな共通してると思っていたけれど、もしかしたら皆イメージが違うのかもって、それを昨日思ったんです。

東京なんかでイメージすると、私はやっぱり「東京砂漠」。でも人によっては「東京大森林」かもしれませんね。

でも人も動物も皆死に絶えて・・・・

そこに蠢いているのは、やっぱりアレよね。例のあの人…じゃないけれど例のあの虫よ。

そして空にギリギリで生き残ったのは、やっぱりカラスさん。Gの天敵はカラスで、Gは死に絶えた生き物の腐った死体とかを食べ・・・・あっ、ごめんなさい、気持ち悪かったよね。

私、昨日までは、そう言う世界では草一本生えないと思っていたんです。私のイメージでは「砂漠」ですから。

でも、誰もいない廃墟の街に、雪が降るように白い種がふわーーーーーっと。これでもかって言うくらい舞う。そんな景色が浮かんできたのです。

ある意味美しいし、悲しい。

そして地上に王者として君臨する花たちは、こやつらではないかと私は思ったのでした。

 

とりあえず、今の季節はこの「鬼芥子」。

そして次の季節は「アザミ」かしら。

 

最近、いろいろと出歩き過ぎて疲れ気味でした。今週は家にいて、いろいろと遣ろうと思っていたしのんびりしようと思っていました。

でももしかしたら、そう言う生活、今の私には合わないのかも。

なーんにもやる気が起きないし、仕事を辞めたくなって悩んじゃうし、まあろくでもない毎日です。

昨日なんか不眠になっちゃうし。

 

でもそんな毎日で、私がやってることは近所に買い物などに行くついでですが、よそ様の庭の花、公園の花、道端の草花のさりげない鑑賞だと思います。

「ふーん。」とか「へえ」とか「おお !!」とかやってます。

 

絵画のような花々にも心躍りますが、野の花たちにも本当に励まされたりするのですね。

 

「君の事は嫌いだよ。」と言っている鬼芥子にさえ、

「最後に勝つのは私たちだ。」と感じさせるような強さを持てなどと励まされている私です。

 

ところで2013年のマイブームは、なんと作詞作曲。

まあまあ、笑うなって。

なんかね、歌を作っては病気の父に聴かせていたと言う、まあね、そんな事をしていたのです。別に父のためにしていたわけでもなく、聴いてもらっていたのですね。

だけど父が亡くなった後、いきなりそのブームは私の中で終わってしまったのです。

楽譜に起こせないから、

 このようなものを買って、一応作った歌を放り込んでいたのです。ブームが去ったので電池切れしていました。

 

でもちょっと事情があって、これの電池を交換して昔のそれらを聞いてみたんです。

はっきり言って、

「うん。ブームが去ったのは当たり前だのクラッカーだな。」と納得しました。

恥ずかしいわぃ、これは。

その中のひとつ。メッチャ早口ソング。

歌っては見たけれど、変だったのでそのままオクラ入りしていたみたい。いや、皆オクラに入っているのですが、作った事すら忘れていたのです。

あまりにも早口ソングだったので、真夜中に一人笑ってしまいました。

 

詩はまあまあよ。もちろん私レベルの中での話。

 

「春が来たからと言ってさ はしゃがなきゃいけないわけじゃないよね

 夏が来たからと言っても 心が熱く燃えなくちゃいけないわけじゃない

 ついでに言えば

 秋が来たからと言ってさ 俄詩人にならなきゃいけないわけじゃないし

 冬が来たからと言っても 心まで凍る必要なんかないんだからね

 

 もっともっと自由に生きさせて

 もっともっと自由に息をさせて                           」

 

これ、たぶん歌いながら作ったってわけで、おそらく秒の単位で作った訳。それにしては上手く出来てるかも。(曲は最悪)

あっ、すみません。私、自画自賛の人なんで。

 

だけど今何気に落ち込んでいる私。なんでだか、この変な歌の最後がリフレインする、頭の中で。

 

そして、私は思うのです。

結局、自分の中の閉ざされた扉を開けるカギは自分の言葉の中にあるんだよって。

 

 

近頃、NHKの方向にいらっしゃる鶴ちゃんの記事と映画の感想記事が抜けていますが、次回はそこ辺りから書きたいと思います。

実家に帰るので、明日はお休みです。

真夜中に書いた 「エゴノキ !!」 もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 


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エゴノキ !!

2017-05-19 00:14:41 | お散歩&写真日記

これはいったいどういうわけだ!?

 

昨日の記事「道端の花から学ぶ」で、この花の木の画像を載せて、こんな花があったんだなあと意識したら、なんと家の周りにジャカスカと存在していた事に気が付いたのでした。

今までいったいどこに隠れていたのでしょうか。

 

「エゴの木」ではなくて、「エゴノキ」。 

名前もちょっと面白いですね。実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい所からこの名前が付いているらしいです。鳥などもこの木の実には見向きもしないそうですよ。原産国は中国・日本・韓国辺りで、海外では「Japanese snowbell」と親しまれているそうです。

 

上から三枚の画像は、今日撮ったものです。この公園にこの木がある事があると、昨日知ったので今日撮り直しに来たのです。

 

と言うのも、いつも可愛く咲くこの花が、

 

こんな風にしぼんでいる時間に通りかかり、

 

 

撮った写真が・・・・ ↓         暗すぎてがっかり。   で、撮りなおしたくもなるってものでしょう。

 

 

昨日は、その前日に買えなかった結婚記念日の為のケーキを買いに行ったんです。記念日意識は薄くてもケーキは意地でも買う…てなわけでもないのですが、やっぱりね、ささやかながら気持ちの問題です。

 

それにコンビニにあるポストにも用があったもので。そしたらですね、そこのコンビニの隣の家の庭にも、このエゴノキを発見したのです。

まだ小さかったのでしたが、薄紅色のエゴノキの花でした。よそ様のお庭の木だったので画像はないのですが、可愛いピンクもあるのですね。

 

上の木があった公園は猫の額のような、本当に小さい公園なんです。でも大好きな源平の花桃のある公園で、私はその季節には楽しみにその公園の前を通るようにしていたのです。だけどその季節が過ぎてしまった後に、どんな花が咲いていたのかなど考えてみたことなどなかったのですね。

 

同じように吃驚したのは、やはり昨日マンションの集合ポストに郵便物を取に行ったついでに、大回りしてすぐ横の公園の中を散歩して帰ったのでした。

その時、その公園の中にやっぱり見つけちゃったんですよね。

 

 

木だからね、今年から唐突に出現したと言うわけではないんですよね。

 

これって、自分のうっかりさを晒してるような感じだと思うけれど、花の存在に気が付かなくても、別に「うっかり」と言うわけじゃないですよね。

 

そして私はやっぱり思うのです。

いくつになっても知らない事がいっぱいで、だから楽しいのだって。

それと、

意識して初めて見えて来るものがあるよねって。

 

 

 


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道端の花から学ぶ

2017-05-17 15:14:53 | お散歩&写真日記

昨日の事ですが、夕方の雨も降りそうなお天気の中、買い物に行って参りました。

たいして人の目を引かないような小さな野の花なども好きで、そんな花などを見つけながらフラフラと歩いていました。



いきなりボケた花の画像でスミマセンが、私のスマホ・・・、いや私の腕に問題があるのだと思うのですが、小さな花を撮るのがイマイチです。もっと修練が必要なのだと思います。


全体で見るとこんな感じです。



似ているけれど、こんな花もありました。




この小さな花たちを誰が見つけてくれるのかしら。


きっとこの花が大好きな虫たちが居たりするのかも。
さわさわと揺れて風に花粉を飛ばすのが上手いのかも。



この竹林の脇の道にはいったいどれだけの植物がいるのだろうかと、いつも思いながら歩いています。

そのリサーチ、いつか本当にやってみたいです。



フェンスのある荒れた林の向う側に、綺麗な花を付けた木がありました。





とっても綺麗。
だけど名前が分かりませんでした。

今朝、皆さまのブログ周りをしていたら、同じ木が出てきました。
この花は、エゴノキと言うのですね。

 

また、




さあ、スーパーに着いたので入ろうとした時に、この花の( ↑ )ハッとする美しさに目が止まりました。

この花はなぜこんな所に来てしまったのでしょうか。




街路樹のもう盛りを過ぎてしまったツツジの生け垣の下で必死に咲いていたのです。

自転車などで行きかう人の目には、ハルジオンと間違えられてしまっていたかもしれません。

だけどどんな場所で咲いていようとも、その花はその花である事に変わりはない事だし、私のように気が付く人もちゃんといるのだと思います。



ところで、下の囲みは昨年の5月16日に投稿したものです。



 


若冲地獄

5月12日の木曜日、上野の東京都美術館で開催されている「生誕300年記念若冲展」に行ってまいりました。この記事は、その展覧会の感想ではなく、美術館の中に入るまでの顛末記です。......


 

 

 




「若冲展」に行ったのは昨年の5月12日だったのですね。

私たちはふぅふぅ言いながら、彼の絵を鑑賞していたと言うわけなのですが、この日は蜷川さんの亡くなった日でもあったのですよね。そして告別式が16日にあって、その時の藤原竜也さんの弔事に泣いたと言うのは、上の囲みの記事の翌日に書いています。

もちろん5月15日が彼の(藤原竜也さんの)誕生日であったことも忘れてはいませんよ。

一年はあっという間ですね。


あっ、そうそう。
ついでなので一応書いておくことにしますが(マジにおまけの話です。)、昨日の16日は、とりあえず結婚記念日だったのですよね。
スーパーの特売で両手がふさがってしまったので、ケーキなども買わなかったのですが、(今日、買おうかな。)
その事を夫に言うと、またも

「すっかり忘れていたね。」
「ね。」って、なんか人を巻き込むような事を言う。
「あラッ、私は覚えていたわよ。」

毎年、毎年、アホみたいに忘れたりはしないわよ。←心の声。

だけど本当は私も毎年忘れてしまうと言う似たもの夫婦だったのですが、イベントを大事にしようとする私が忘れてしまうのと、すべての家族イベントをぼんやりとしている彼とは忘れる理由が違うような気がしました。
だけどその分析は、更にろくでもない結論になるので終わりです。



最近、ちょっと憂鬱な事があって気持ちが晴れずに引き籠っています。

だけど花たちの強さや健気さから、学んで生きていきたいななどと思った今日この頃です。



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ずっと母でいよう。

2017-05-16 13:04:05 | 思いつくまま

 今でも私は何でもない日常の生活の中で、例えばキッチンでお皿などを洗っている時などに「おかあさん」と呼んでみます。 母は横浜で姉と暮らしているので、そばに居るわけではないのです。だけど呼んでみるとその存在感を感じる事が出来て、なぜだかホッとするのでした。  

 

2009年に私は 草原のみなしご≪その2≫ と言う記事を書きました。読み返してみると、今ここに書きたいなと思った事が書いてありました。何気に2009年のブログ生活は充実していたようです。(その続きのようなものなので、もし良かったら読んでみてくださいね。)  

 

それから8年経ったわけですが、思っている事は同じです。だけど二人の母は老いて行くばかり。もちろん共に同じ時間を過ごしている私も例外ではないのです。みんなみんなどんどん老いていくのです。 まるで坂道を転がっていくようです。

 

 頻繁にする姉との電話でも、出来るだけ長く生きてもらいたいよねと言い合う事もしばしばです。

 

我が母上殿は、自慢できるような立派な人とは思いません。こんな一行を書いたと知ったら、母は悲しむと思いますが、それでも今の私には大事な人であることに変わりはありません。若い時には私と母は相性が合わず結構苦しみました。ぶつかり合いましたとか書いてみたいけれど、正直に言えば、ぶつかり合う事も出来なかったような気もします。嫌いだなと思う事もしばしば。だけど彼女はいつだって、私の味方だったのですよね。どんな時も。

 

母と娘と言うのは、もういろいろありますよね。 きっと進行形で苦しんでいる方もいらっしゃると思います。 でもいつか、諸々の事はどうでも良くなってきて、とにかく(出来るだけ元気で)長く生きてもらいたいと思うようになってくる日がやって来るのではないかと思います。    

 

その想いは義母に対しても同じです。近頃彼女も元気がなくなって来たなと思ったら、先日一人で家に行ってみると、復活していたんです。もうこの人は100歳まで本当に生きると思います。その一人で行った時に、彼女は私にとても親切にしてくれて楽しい時間をまた持ちました。 だけど母の日に夫と二人で訪問した時に、出掛ける予定が入っていたのもあってお茶すら出してもらえなかったんです。本当はそんな事はどうでも良い事なのですが、私は時々、心が騒めくのです。義母の夫への対応の希薄さに。 まあ、考えてみれば、普通は義母と夫の関係の濃厚さに苦しむことが多いわけだから、何を言っちゃってるんだこの人はってもんかも知れませんよね。

 

だけれど自分の老いた母親には寛大になりつつあると言うのに、更に年上の義母には何やら厳しい要求を無意識にしているのはなんでだろうかと私は思いました。

つまり義母は私の中では昔と変わらずに若いのかも知れません。だけど本当は老いているのです。

夫は何も感じていないし、私だけが自分たちの母と比較してその希薄さにイライラしてしまっていたわけですが、もう何も要求することは止めようと思います。名前を呼んでホッとする、母と言うものは私がそうであるように、きっと夫にとってもそう言う存在だと思うからです。

 

そして存在することでホッとできる者を母と言うのならば、なんなら私が母になってあげても良いやって思います。

妻であり、恋人でもあり(これは既にあまりない部分。2%くらいかな)、友達でもあり、そして母になる…って気持ち悪いからそれはないな、やっぱり。そして後の部分は退職しない掃除人と料理人かも…という話を出してくるとややこしくなるね^^

だけどもともと妻の部分には、特に日本では母のような部分が多分に含まれているんじゃないかなって、私はちょっとだけ思っているんです。

心の中で

「守ってあげる、お母さんが。」と言うとするじゃないですか。

その時なぜか夫の事も心の中の「守ってあげる名簿」の中に何気に入っているってもんですよね。

 

ずっと母でいよう。心の中で

「守ってあげる、お母さんが。」そう想い続ける人でいようと、私は思っているのです。

 

さてさて、今年の母の日の事ですが、下の囲みは昨年の5月9日に投稿したものですが、それを読んで私は夫に言いました。

「どうも昨年は、私は病気で寝込んでいたみたい。そしたらあなたが流しに山積みになっていた食器を皆洗って片づけてくれたのよね。『ありがとう。』と言ったらあなたが『母の日だからね。』って言ったの。良い話よね。」

「俺って優しいな~。」と夫殿が言うので

「ハイハイ。」否定なんかしませんって…ニヤリ。

 

この時期、本当に疲れが抜けなくて午後のひと時、珍しくお昼寝をしていました。途中でガーガーと何やらうるさくなって目を覚ますと、夫殿が掃除機掛けを一生懸命にやっている所でした。ひとりほくそ笑む私・・・・・。

 

トップ画像のケーキは、

「今日は母の日だからケーキを買おう・・・・自分で。」と私が買ったもの。

「自分で買うのか。」って夫が言ったけれど、

「だって、面倒くさい。誰かに何かを期待するのって。そう言うのは性に合いません !!」

男の子がそう言う気分になるのは(どう言う気分?)ごく稀。いや、それは我が家の場合の話だけれど。ごく稀に良い事があっただけで、良いやってものですよ。

だけどこの母は一応言います。

「ルート君、母の日だからケーキを買って来た。」

ざわっとした顔の彼。

「だから君にも食べさせてあげましょう。」ってね。

 

 

 

 
「母の日」に。
ここ数日、ブログ更新をしなかったのは、なんとなく先に貼っておいた、この数枚の画像にどんな言葉を付けたらいいのか迷っていたからです。そんな事で止まるのかと言われればその通りなのですが......
 

 

 


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ひたちなか海浜鉄道湊線

2017-05-15 13:36:54 | お出掛け日記

 

「ひたち海浜公園」にはバスと電車を乗り継いでいきましたが、その行き方を検索していた時に、私は意外とライトな撮り鉄であり乗り鉄かも知れないなってちょっと思ったのです。

 

最初は送られてきたバスパックの案内を見ていて、そこに申し込んでいく事にしたのです。バスパックは座ってれば連れて行ってもらえると言う気楽さがありますが、なんたって時間の制限があるし、その時間割がいつも短く不満足な事が多くてあまり利用しなくなってしまいました。(そんな事を言いながら、たまに利用しています。)

パンフレットが送られてきた時に自力で行くシミュレーションをしてみましたら、お値段が高いし加えて遠いと言う事が分かったのです。こういうのはバスパックが便利なんです。

でも今年は藤を見に行く事が決まっていたしその前は花桃を見に行ったし、流石にネモフィラはないなと思って、そのパンフを棚の上にあげておきました。

だけど藤を見たらネモフィラも見たくなってしまったのです。欲望は果てしなく続くのです。

急いで申し込んでは見たけれど、予想通りいっぱいになっていました。そのツアーは格別に安かったのです。

じゃあ、もう来年で良いやと思いました。そう言いながら海浜公園へのアクセスなどを見ていたら、湊線の画像が出てきたのです。

 

キャー、もうワクワクする !!

こんなの、もう乗るっきゃないでしょうって言う気持ちになってしまいました。

近頃一緒に遊んでいただいている星子さん愛子さんに断られても、ひとりでも行くわって言うくらいのハイテンションな気持ちにもなってしまったのです。。

 

でも有り難い事に、私たちは感性のレベルで(いや、実は違う点でも・(^_^;))似た者同士なのよね。

と言うわけで、めでたく3人でお出掛けできたのですが、いつもなら私、結構面倒な事を言います。つまり夫が仕事に出掛けてから自分も出掛けたいし、夫が帰って来る時間の前後には家に居たいなどと注文を付けて時間を組んでもらっていたのです。

近頃お出掛けの多い私ですが、お母さんはずっと家にいる人だなあと思わせている事は必殺遊び人にとっては大事なポイントです。

でも今回は自分で検索をかけた段階で、そんな事言ってられないなと分かっていたので、夫が家を出る前の7時20分スタートになったのです。しかも帰りは7時半ごろになると夫殿に伝えました。

 

「ひたち海浜公園」で美しい花たちと別れを告げて、「阿字ヶ浦駅」からこの電車に乗り込みました。トップ画像でもお分かりになると思いますが、湊線は看板(?)が面白いのですよね。みんな意味があるようです。その解説もHPに載っています。HPは一番下にリンクさせておきますね。

 

乗った電車は子供たちに人気のあるアニメが描かれていました。きっと喜ぶ子供も大人も多いのではないかと思います。

正直な事を言うと、私はフツーの電車に乗りたかったなあ。

でもこれもこの鉄道会社にとって重要な収益事業の一つですよね。

 

 

 

 

窓ガラスの光が反射してしまいましたが、後方の窓から線路をパチリ。

なんたって1車両ワンマンですから、後ろの窓から走り去る風景を見る事が出来るのも素敵ですね。

 

 

そして、降りなかった駅の風景ですが・・・・・、

ちょっと良いでしょう。

やっぱり私ってさあ・・・・・。 ^^;

そして那珂湊に着きました。

 

那珂湊の市場で遅い昼食を取りました。

後から気が付いたのですが、なんだかすべてうまく行きました。と言うのも、「ひたち海浜公園」を出る時間がもう少し遅かったら、この昼食にはありつけませんでした。

お店がどんどん閉まってしまうからです。2時半ぐらいまでに入ってぎりぎりだと思います。

私たちも名前を書きこんだら、その直後に順番待ちの紙は片づけられてしまったのです。危うい所でセーフでした。

 

海鮮丼、美味しかったです♪

那珂湊に停まっていたフツーの電車です。

「那珂湊」と言う所は、本当は他にも観光をしようと思えばいろいろとあるみたいです。でも今回はお魚市場と駅の往復だけでした。

でもその道を歩いていて気が付いたことがあったんです。

行く道で、自宅で洗っていると思われるクリーニング屋さんを見つけました。今ではあまりないのではと思うお店です。我が街にも一件あって、昔は家も近かったので丁寧にいろいろと洗ってもらいました。ズボンの焼け焦げなども直してもらったり、時には取れかかったボタンを付け直してもらったりとかもしたかもしれません。

そんなお店があるんだなあと思いながら市場に向かったのです。その帰り道、行きには気が付かなかったもう一軒のクリーニング屋さんを発見。そこも自分の家でやっていると言う雰囲気が漂っていました。

「珍しいね。近所に昔ながらのクリーニング屋さんが二軒って。」と私が言うと

「来るときにコインランドリーの大きいのもあったのよ。」と星子さん。

「どんだけ洗うのが好きなの、ここの住人。」と言うと、

「さすが『大洗』 !!」と彼女。

「さすが~!!」と私が言ったのは星子さんのオチに。

(海水浴や海のシーンが美しい大洗町に湊線を利用する場合は、この那珂湊が最寄り駅なんです。)

 

那珂湊から私たちが乗った電車はー。

可愛いでしょ。

 

 

でもその車体は・・・・・!!

 

やっぱし !!!

「さすが大洗 !!」

 

見え辛いのですが、電車の中のイラストです。

 

ところで、「那珂湊」の看板に描かれているのは、猫。

そう言えばここには駅猫がいたはずと思い出しました。

何処にいるんだろうと、見まわしても見つからなかったのでしたが、星子さんが

「猫は何処にいますか。」と聞いてくれました。

そんなこと聞いても良いのかとドキドキしましたが、駅員さんは親切に教えてくれました。

 

お昼寝タイムだったのです。

 

何処が顔かも分からなかった・・・(^_^;)

知ってる人は知っている有名な猫ちゃんだったのですね。

 

 

 

そして終点の「勝田」に着きました。

看板じゃなく「駅名標」って言うのね。

それにカメラを向けている3人の魔女の影が写って・・・うつっ・・・

 

 

あらまっ。

右端のリュックのボブは私でしょ。その隣は星子さん。

ええっ?

その隣は愛子さんよね。

だけど愛子さん、その影は?

 

小さな旅にもちょっと面白い楽しい事とたくさん出会えるなと、私は思っています。

 

「ひたち海浜公園」からの「湊線ミニ乗り鉄の旅」でした。

いつか全駅下車の旅って言うのにチャレンジしたいと思った私です。

 

ひたちなか海浜鉄道のHPは→ここです。

 


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ひなげし・ひなぎく&はまなす

2017-05-14 18:58:14 | お出掛け日記

まだ「ひたち海浜公園」の花の記事です。

だけど先ほどかなりショックな事がありました。書いていた記事が後まとめの言葉を一言と言うところでPCがフリーズ、「自動保存」を信じて(信じたいと言うむしろ願望)強制終了させたら、ダメでした。全部消えていました。こまめに保存って、何年たっても学べない私。でも花の画像に文章付けていただけなので油断したのですよね~。

だけど花の画像に、どんな長い記事を書いていた事やら。

 

花から学ぶことはたくさんあるなって事だったのですが、二度書く気力がありません。

と言うわけで、簡単に「ひたち海浜公園」の花日記です。

 

HPによると「カリフォルニアポピー」が見頃だそうです。

でも私のブログでは、こちらの画像です。

可愛いポピー。ひなげし又は虞美人草。好きな花です。

 

 

 

 

下の画像は「ツマジロヒナギク」です。またの名を「カリフォルニアディジー」。ポピーといいディジーといい、「カリフォルニア」に進出されていますね…って関係ないか。

 

同じカリフォルニア繋がりでなのか、ポピーが混ざっているのも愛らしさが増しているような気がしました。

 

 

花びらが落ちて、まるで蝶のようです。

仲間かと騙されて他の蝶が飛んでくるかもしれません。

 

ハマナスは群れては咲きません。

 

 

 

だけど香りが素敵です。この花の傍らを過ぎる間、幸せな気持ちに包まれました。

 

 

「海浜公園」には古民家もあります。今回は立ち寄らず、遠目で写真に収めました。

手前に見える花はレンゲソウです。

 

この花に野原が埋め尽くされると、それはそれでとっても可愛いのですよね。

 

だけど「みはらしの丘」にレンゲソウがびっしりと咲き誇り、山をピンク色に染めても人はワイワイとはやって来ないと思います。

これは星子さんから教えてもらったのですが、ネモフィラは雨が降ってもその花びらを萎めはしないそうです。どのようなお天気の時でも、やってくる人々を迎えるのにふさわしい花なんですね。

レンゲソウは植える事によって、その土に栄養を与えるそうです。

皆それぞれの役目があるのですね。

 

 

 

と言うわけで、「ひたち海浜公園」の花日記は終わりです。


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チューリップのひたち海浜公園

2017-05-13 17:20:26 | お出掛け日記

花の遅い早いはその年によるものだと思います。

だけどもしもそこに平均と言うものがあるならば、2009年の5月3日と言う日と2017年の5月11日、この8日の違いがこんなにもチューリップの花の盛りに差を付けたのかと思えば、1日と言う長さの重要性を思わざるを得ません。

2009年に「ひたち海浜公園」を訪れた時のチューリップの記事は→「ひたち海浜公園(チューリップ)

その記事の中で私は、

「実は遅咲きのチューリップもまだ園内を彩っていました。私のへたくそカメラ熱が疼いたのは意外やこちらの花々でした。」

と書いています。その時はネモフィラよりもチューリップの花々に、かなり心惹かれたようです。

たった8日の違いで、遅咲きのチューリップのキラキラした美しさを見る事は叶わなかったかも知れません。

よろしかったら、2009年の記事にもお目をお通しくださいませ。

 

だけど園内にはまだ、名残のチューリップたちが頑張って咲いていました。

 

花が散ってしまった種類の傍らで、まだ咲いている花もあれば・・

(こんな橋があったら、やっぱりわたりますよね。)

 

 

遠目なら結構イケル花たち。

アラッ、それって私たちの事じゃない?

 

早咲き遅咲き、いろいろあるけれど、それでも咲き続ける気概と言うものを感じます。

それは単なる勘違いかも知れませんが。

 まだまだ綺麗な花たちも。

「黒いチューリップ」、やっぱりアラン・ドロンを思い出します。

これって、2009年の記事にも書いてあって、私は同じことをずっと言っているようです。

そう言えば、アラン・ドロンは引退ですってね。今81歳。頑張っていましたね。

 花びらが変わっています。

 やっぱりピンクは愛らしいです。

 

※ 今日は月に一、二回ある地域の学習支援のお仕事に行って参りました。

子供と接するのは楽しいけれど、本当にエネルギーを吸い取られるようです。よく「エネルギーを貰う。」と言う方もいらっしゃるけれど、それは常套挨拶ではないかと私は思う時があります。私は疲れます。クタクタです。でも昼食後すぐに、今度やる自治会の役員の仕事との関連で、地域の社会福祉の総会に出てきました。今後のお仕事が結構ある事が分かりました。でもなんか面白そうです。

それは良いのですが、まだ疲れが取れないと言うのに、もう少ししたら夕飯の支度をして、そして今度は自治会の第一回目の集会です。

ちょっと溜め息。

しばしの間、花の写真など見て癒されている私です。

 

 


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ネモフィラを見にひたち海浜公園に

2017-05-12 01:40:45 | お出掛け日記

先日義母に

「11日はネモフィラを見に行くんだ♪」と言いましたら、

「もう、終わっちゃってるよ。」と言われました。

いやいや、姑殿、そのセリフは賞味期限が切れたからと言って、翌日からドロドロと腐り始めるものだと言っているようなものですよ。

 

確かに「ひたち海浜公園」のネモフィラのピークは、恐ろしい事にGWなのですよね。

テレビでもガンガンと紹介してるし、ニュースやネットの記事などを読むと車も人も渋滞と言う、

「良いこと(花が綺麗)と、悪いこと(人もわんさか)があります。」と言う印象を受けました。

 

と言いましても、私自身、前にここのネモフィラを見に来たのも2009年の5月3日で、家を8時に車で出て着いたのが12時過ぎだったと言う事を記事に書いています。

その記事は→ひたち海浜公園(ネモフィラの丘)です。

ちょっとその記事を読み返してふと思ったのですが画像など、そこから転載しても別に花は花で変わりがなかったんじゃないかと・・・・って、やっぱりそれは違いますね。

確かに花は花で同じように見えるのですが、それを見ている私の心の風景が違うと言うもの。そして新たに積み重ねられた想い出も。

本当の事を言うと、一番の見ごろに行った昔の写真と、ちょっと一番のピークを過ぎた今年の画像はやっぱり少々違うのです。

だけど人の部分を切りまくって、さながら居ないかのように作った2009年の画像と、本当に人は多くなかったのでまったく切らないで大きさだけ編集したと言う点においても違うと思います。

 

7時20分に家を出て、バスと電車を乗り継いで10時10分に着きました。

下の画像。

人がいっぱい写っているじゃないかと言われそうですが、だいたいこの程度でピークの時とは比較にならないと思います。でも人の目って言うのは、見たいものだけを見るようにできているような気がします。黒い雲が迫って来ていたのが残念ですが、絵のような構図が凄く好きだなと思いました。

しつこく同じような構図です。

 

 

傘持つ人は絵になるなあー。

 

お天気も不安定で黒い雲と真っ青な青空とが変わりばんこにやって来て、時々大粒の雨の雫攻撃に遭いました。

 

 

 

ネモフィラ、サンクス。

今日は美しい夢を見るね。

 

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閉じた途端に寂しくなったと言う私です。でもちょっとだけ我慢して、このままでいこうと思います。

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楽しさの余韻

2017-05-10 23:49:53 | ちょっと楽しいつまし...

 

美術館に行って本物の絵を鑑賞することは、私が若い時からやっている私の趣味の一つだと言えるでしょう。

すべてとは言いませんが、行くと記念に絵葉書などを数枚買ってくるのもずっとやっている事なのです。

 

いつの間にか数もかなり溜まって、知らないうちに私のコレクションになってしまいました。

 

それらの保管は数年前にふと閃いて、こんな風にやっています。

 

   「ポストカード入れ」、

そのまま利用しています。時々、見かえしたりして楽しんでいます。

 

 

この連休は何をしていたのかと言うと、これもまた知らずに溜まってしまったフライヤー…って面倒くさいのでチラシの整理をしていました。チケットとか目録とかも捨てないのよね、私。

 

 ドーンとこれで10年分。その前はどうしたのかしらと思ったのだけれど、何かの折に書類などの紙ごみを山のように捨てた時があったので、それ以前のは捨てたのかも知れません。

これも見かえすと、凄く楽しいのです。

「あの時は、この時は」っていろいろな事を思い出すこともあり、まったく思い出せないものもあります。

不思議な事に整理してみると、「無い」と言うものが分かると言う不思議な事が起こるのです。あの時は何も買わなかったなとか、あの時はルーラーを買ったんだったとか。

アルバムと一緒ですね。

まあ、はっきり言って完全に個人で楽しむものであり無価値です。ある意味、違う視点で見たらゴミ。

 

でもね、私は思うのですよ。

私が突然いなくなったとしても、このくらいの処分で迷惑かけるとは思いたくないって。

やってもらいましょう。

「あの人、こんな事が好きだったんだよね。」って言いながら。

 

  

 

だけど昔は買ってきた絵葉書で、結構お手紙を書いていました。使えるから買っていたようなものです。近頃まったく出さなくなってしまったけれど、また絵ハガキでお手紙復活してもいいかなと思ったりもします。

 

使えると言ったら、このチラシ類もそうです。

先日、お友達がモネの睡蓮のノートを持っていたので、珍しいなと思って「作ったんですか?」と聞いたら、買ったのですって。

「作ったのか。」と聞く人も珍しいと思うのですが、その時閃いて作ったのが・・・・

 

 

これは、この何の変哲もないノートに

 

これを

 貼っただけです。

 

 

貼ると言えば、このようなものにも、「貴婦人と一角獣展」のチラシを貼って、

 

 こんな感じです。

お薬コーナー、綺麗に整理されていたけれど、こちらの方が楽しい感じがします。

 → 

気を良くして、

 これでもう一つ作ってしまいました。

 

 

 

この先どれだけの本物の絵画を見る事が出来るでしょうか。

それは分からない事ですし、見た絵画や美術展をみな覚えていると言う事は無理な事でしょう。

だから私は心の中のアルバムとして、時々見かえしたりなどして楽しんでいるのです。

 

 

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