(今治市東村)
亡き父とは訪れることのなかったこの地。
そして我が家が慶長九年(1604)から万治二年(1659)まで居住した拝志の地。
頓田川沿いの地であるため、その洪水によって悩まされたところである。よってその後我が家も町谷の地に転居した。
東村の名は拝志の東側に位置することから、こう呼ばれるようになった。
東村の南には白鳳元年(672)に越智守興により創建された眞光寺(新興寺・新光寺)がある。
南北朝の頃、細川頼春がこの寺に進駐して、新田義貞の甥大館氏明らの「首実験」(敵方の斬った首を見て人物を見極める行為)をしたといわれている。
崇峻天皇二年(589)に勧請された三嶋神社の近くには、その氏明の首塚がある。
(関連記事:上徳)
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そして我が家が慶長九年(1604)から万治二年(1659)まで居住した拝志の地。
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東村の名は拝志の東側に位置することから、こう呼ばれるようになった。
東村の南には白鳳元年(672)に越智守興により創建された眞光寺(新興寺・新光寺)がある。
南北朝の頃、細川頼春がこの寺に進駐して、新田義貞の甥大館氏明らの「首実験」(敵方の斬った首を見て人物を見極める行為)をしたといわれている。
崇峻天皇二年(589)に勧請された三嶋神社の近くには、その氏明の首塚がある。
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