(豊橋市石巻小野田町)
東に入文村、西に三渡野村、南に馬越村、北は賀茂村に接する旧成沢(なるさわ)村。
字北山の台地からは縄文時代や弥生時代の石器、土器が出土し、それ以来の人々の営みがみられる。
室町時代、流路を大きく変えた豊川大洪水の年の文安四年(1447)成沢の高台に受洞寺が創建された。
近世には豊川水運で栄え、明治21年、河岸に牟呂用水が通水するまでは往時の面影があったのだという。
明治11年には東隣入文村と合併し、小野田村となった。
現在は地区の西側を流れる間川が河川改修され、豊川水運で栄えた頃を思い起こさせる光景は残っていない。

(関連記事:入文の水辺)
東に入文村、西に三渡野村、南に馬越村、北は賀茂村に接する旧成沢(なるさわ)村。
字北山の台地からは縄文時代や弥生時代の石器、土器が出土し、それ以来の人々の営みがみられる。
室町時代、流路を大きく変えた豊川大洪水の年の文安四年(1447)成沢の高台に受洞寺が創建された。
近世には豊川水運で栄え、明治21年、河岸に牟呂用水が通水するまでは往時の面影があったのだという。
明治11年には東隣入文村と合併し、小野田村となった。
現在は地区の西側を流れる間川が河川改修され、豊川水運で栄えた頃を思い起こさせる光景は残っていない。


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