(愛知県新城市野田字幹徳 2007年2月7日)
応永年間(1394-1427)城所浄古斉が築いた城である。その後、永禄四年(1561)菅沼定盈(さだみつ)の野田城を今川氏真が攻め、定盈は城を退いた。翌年、野田城を奪還し修築の最中、この大野田城を仮の拠点として利用した。然し、元亀二年(1571)武田信玄がこの地を攻めたため、定盈は大野田城に火を放ち、廃城にした。本丸跡に溜池が築造された大正時代までは、城跡に信玄が鎧を掛けたという松があり、また、大野田城の築城の際、湧き水のある場所に不動明王を祀ったという。
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