(岐阜県羽島市竹鼻町 2008年4月29日)
永禄元年(1558)それまで天台宗であったものを曹洞宗に改められている。天正八年(1580)竹ヶ鼻城主不破広綱が父の綱村の菩提を弔うため再興された。竹ヶ鼻城主が杉浦氏に変わり伽藍が整えられるが、慶長五年(1600)竹ヶ鼻城落城と共に兵火に遭い焼失した。その後三度再興されるが、木曽川の氾濫や濃尾地震等によって被害を受け、その都度再興されている。
永禄元年(1558)それまで天台宗であったものを曹洞宗に改められている。天正八年(1580)竹ヶ鼻城主不破広綱が父の綱村の菩提を弔うため再興された。竹ヶ鼻城主が杉浦氏に変わり伽藍が整えられるが、慶長五年(1600)竹ヶ鼻城落城と共に兵火に遭い焼失した。その後三度再興されるが、木曽川の氾濫や濃尾地震等によって被害を受け、その都度再興されている。