(真言宗飯沼山圓福寺 千葉県銚子市馬場町)
神亀元年(724)当地の漁師の長蔵と清六が夢告により左脇に瑪瑙を挟んだ十一面観音を網ですくい上げ、その後二人は出家して草庵を結び、十一面観音を祀ったのが始まりという。天平年間(729-49)には行基によって厨子が造営され、弘仁年間(810-24)には空海により台座と光背が造られ改めて開眼されたものという。天正六年(1578)に至り、海上長者(千葉氏族)が伽藍を造営し、安永二年(1773)更に伽藍が造営され繁栄したが、第二次世界大戦により伽藍を焼失し、寺域も二つに分断された。境内に鎮座する銚港神社は、明治2年(1869)の神仏判然令までは龍蔵権現と称し、十一面観音の脇に挟まれていた瑪瑙を神体として祀り、圓福寺の鎮守であった。また、高さ5mの露座の銚子大仏は正徳元年(1711)に開眼したものである。

























