(のぼりばた 愛媛県今治市登畑)
霊仙山麓、富田川(頓田川)に面するこの地に、三宅川永昌入道越智通常(おちみちつね)は館を構えた。通常は最初、伊勢国宮川(三重県伊勢市)を領していたが、永禄十二年(1569)一条兼定の招きに応じて土佐国赤岡・岸本(高知県香南市)に転じ、長宗我部元親と戦ったが戦い利なく敗退し、越智・河野姓時代からの所縁の地である伊予国の越智郡登畑に転じて館を構えた。天正十年(1582)異端であった通常は安芸竹原(広島県竹原市)で討死し、子の通安はその父の生涯から武門を捨て、父の亡骸をこの地に埋葬、祖先からの菩提を弔うため天祐寺を建立した。
通常の晩年、隣村の高市から遷宮した三島神社
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます