(岐阜県可児市久々利 県指定史跡 1990年4月3日)
天正五年(1577)加藤景成がこの地に窯を築いたことに始まる。 牟田洞窯、窯下窯、岩ヶ洞窯、向林窯、若林窯、八剣招窯の六窯からなり、窯下窯では黄瀬戸を、牟田洞窯では志野が主に焼かれた。
(叡山電鉄 京都市左京区)
八年振りに叡電に乗る。大正14年(1925)京都電燈の軌道線として、出町柳~八瀬間の全線が開業した同線は、洛北の生活路線として今も地域の足となっている。
800系
700系
(岐阜県大垣市)
昭和3年(1928)開業の石灰輸送貨物鉄道である。石灰を採掘する金生山を取り囲む形で敷設され、東海道線美濃赤坂起点の市橋線2.6kmと昼飯線1.9kmを有するが、市橋線乙女坂~市橋間1.3kmと昼飯線全線は自動車輸送化により平成2年頃から休止となっている。旧中山道を跨ぐ手動踏切が残る昼飯線は、短い線区ながら、途中の美濃大久保駅でスイッチバックを行っていた。
(うれがわ 愛知県南設楽郡鳳来町 1990年6月3日)
日本列島の中央を関東から九州まで東西に走る断層、中央構造線は、宇連川(豊川の支流)の峡谷において、形成時期と地質の違う北側の内帯と南側の外帯の境を見ることができる。
黄柳(つげ)川合流点
(ちかみやま 愛媛県今治市近見 1985年6月16日)
瀬戸内海国立公園の一角、標高244mの近見山。この山には室町時代の応永年間頃から、重見氏が居城する城があった。享禄三年(1530)時の城主重見通種は主家河野通直の命に服さず、家老来島通康に攻撃を受けて敗れ、周防大内氏を頼って敗走したといわれる。その後も重見氏が居城していたが、天正十三年(1585)小早川勢に攻められ落城した。また、近見山にはかつて、現在南麓に建つ四国八十八ヵ所巡礼五十四番札所の延命寺があったが、度重なる兵火によって荒廃し、縮小しながら移転していったという。明治時代から公園計画のあったこの近見山は、大正初年からは医師で俳人の楠岡謙吉らが、この景勝地の宣伝をし、整備のための募金活動が行われた。この楠岡氏は、私からみて曾々々祖母の出身家でもある。そして私の父の思い出でもある近見山。父が幼少の頃、この山に登って獣道を歩いていると、猪に突進され突き飛ばされたという話しをしてくれた。
(東京都千代田区神田神保町)
五年振りに訪れたが、周囲は以前よりも綺麗になっていた。この建物は関東大震災復興建築として、昭和5年(1930)に築造された、RC造四階建ての無尽会社建物である。戦後、第一相互銀行となり、平成元年には普通銀行(第二地銀)である太平洋銀行となって平成8年に経営破綻した。その後、さくら銀行子会社である、わかしお銀行が引き継ぎ、平成15年からは三井住友銀行の千代田営業部として使用されたが、平成17年に閉鎖された。
(関連記事:旧相互無尽ビル平成二十一年)
(愛知県一宮市浅井町尾関 県指定史跡 1990年4月2日踏査)
木曽川の南岸に位置する約50基の古墳群である。古くから四十塚と呼ばれてきたが、その多くは滅失し、5基を残すのみとなっている。写真の順に、住宅地の一角に残る桃塚古墳、雑木林にある毛無塚古墳、かつては周濠を持つ前方後円墳であったが、後円部のみとなり河原石で覆われ、モニュメントのように残る愛宕塚古墳、前方後円墳で小塞神社が建つ小塞神社古墳は、小塞宿祢弓張(おせきすくねゆみはり)が埋葬されていると伝わる。
(静岡県富士市 2006年2月3日)
東海道線吉原から岳南江尾に至る9.2kmの路線である。線形からしても、短絡目的で敷設されたものではなく、元々は吉原駅と吉原市街地を結ぶために開業したものである。その後、沼津及び身延線方向延伸の計画が打ち出されたものの、途中の江尾で打ち切られた。 訪れたこの日、岳南鉄道線に乗ろうと辺りを見渡すと、吉原中央駅というのがあった。近づいてみると、バスターミナルであって、鉄道駅ではなかった。ここから500mほど東に行ったところに、吉原本町駅があった。駅では駅員はいたが、非常に寂しい感じ。切符は硬券でホームはニ両分、電車は一両運転ワンマンであり、京王電車からやってきた「あかがえる」と呼ばれた車輌を改造したもので、路面電車並の移動速度であった。
岳南富士岡駅に向かうと、車庫はあるが無人の駅。以前は主力であった、松本電鉄同様の旧東急線車両(赤がえる)が留置されている。錆びた車体は往時からの年月と時世を表すような寂しさを持っていた。暫くすると吉原行きの電車がコトコトとやってきた。
(東京急行電鉄世田谷線 東京都世田谷区)
せたせん、たまでんと呼ばれる軌道線の世田谷線は、玉川線の支線として、大正14年(1925)三軒茶屋~下高井戸間が開業したのが始まりである。その後、玉川線の廃止によって、独立する軌道線である世田谷線となった。軌道線であるが道路併用軌道ではなく、専用軌道を走っている路線である。
306F レリーフイエロー 308F サンシャイン
307F ブルーイッシュラベンダー
玉川線デハ104→デハ87→江ノ電600形の動態保存車両
三軒茶屋
(愛知県海部郡弥富町前ヶ須新田字野方 1990年4月2日)
この日は、近年市町村に代わって大規模な発掘調査を行うようになった、財団法人愛知県埋蔵文化財調査センターを訪れた。同埋文センターは、発掘調査による出土品や調査記録類、資料等の保存及び埋蔵文化財の調査、研究、普及、啓発を行う施設として、昭和62年(1987)に開設されたものである。