(三重県鈴鹿郡関町木崎 2006年5月15日)
近隣の加行山(かごやま)に、鎌倉時代、関実忠が紀伊熊野より勧請した笛吹大神社があり、鈴鹿山麓七郷の総社であったが、文明十一年(1479)各郷に分祀された。然し、神社が鈴鹿川を隔てていたため現在地に遷座されている。江戸時代には熊野三所大権現と呼ばれ、明治時代に入ると熊野皇大神社と呼ばれた。明治41年(1908)周辺の小祠を合祀して、現社号に改称されている
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(京都市下京区間之花屋町下ル天神町)
菅原道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、道真の没後に「われを右近の馬場(後の上京区北野天満宮の場所)に祀れ」と啓示を受けたという。然し、当時の文子にはその力はなく、右京七条の自宅に祠を置き、道真を祀り、北野天満宮が創建されたと伝わる。
(静岡市葵区宮ヶ崎町 国指定史跡 2006年4月10日)
浅間神社上方には、賤機山(しずはたやま)古墳があり、静岡県では今のところ唯一である家形石棺を有している。標高50mの尾根上にあって、直径32m,高さ7mの円墳である。明和年間(1764-72)に古墳の上の大木が大風によって倒れ、根の下に穴が開いたため中に下りたところ石積みの部屋とその中に石櫃を発見したと江戸時代の文献に記載されている。学術調査は昭和24年(1949)に行われ、その後復元整備が行われた。
(京都市左京区静市市原町)
五年振りの出町柳から叡電に乗り二軒茶屋に向かう。鞍馬線の「きらら」や叡山線の「ひえい」等、観光車両が導入されてから混み合うようになった列車を降りると、二軒茶屋駅は閑散としている。かつては鞍馬へ向かう道すがらに二軒の茶屋があったことから、駅開業時に名付けられた。現在、茶屋はなくなり、住宅街と京都産業大学キャンパスがある。
(滋賀県草津市渋川 2006年4月8日)
平安時代、この地に疫病が流行した際、村人がその鎮静を願って勝運、病除の神を祀ったのが始まりと伝わる。石長比賣命(いわながひめのみこと)を祀る本殿は、応仁二年(1468)近江守護佐々木六角高頼が武運長久を祈願し造営したものといい、国の重要文化財に指定されている。
(滋賀県草津市 2006年4月8日)
大津市鶏冠山(491m)より発し、琵琶湖に注ぐ、延長約15kmの一級河川である。町より川床のほうが高い、いわゆる天井川のため氾濫しやすく、幾度となく災害をもたらしていた。平成14年に至り、草津川放水路開削により流路が付け替えられたが、市街地には川床の高さを物語る、東海道線や道路が川の下をくぐるトンネルが見られる。
(静岡県浜松市和地町呉松 2006年4月7日)
地質に礫を多く含んでいるため、付近には、いわゆる「石塚」がたくさんみられる。浜名湖に面する呉松地区の北端には、亀塚という古墳が畑の真ん中に残り、前方後円墳で全長24m、高さ2.5m程で、出土する埴輪片から6世紀中頃と推定される。
(京都市左京区 2006年4月7日)
洛北地域の鉄軌道は大正14年(1925)に出町柳ー八瀬間で開業した京都電燈叡山線に始まり、京都電燈と京阪電気鉄道の合弁会社である鞍馬電気鉄道が昭和3年(1928)に開業した。昭和17年(1942)からは電力会社の戦時統制で京福電気鉄道に譲渡され、昭和53年(1978)京都市電廃止後は鉄道連絡のない路線となり利用客が減少。然し、平成元年京阪鴨東線線開業により鉄道連絡が復活し、以降は利用客が増加している。