flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

恵比寿四丁目の坂

2020-01-16 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都渋谷区恵比寿)
 加計(かけ)塚から渋谷川方面へ下るV字の狭い坂。



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鞍掛神社

2020-01-15 00:00:00 | かみのやしろ

(岐阜県羽島郡岐南町薬師寺 2007年2月13日)
 景行天皇の頃、五十錦命が諸国を行幸し、近江国で曽曽路命を召してこの地で住民に工芸と養蚕を奨励した。それを曽曽路命は喜び鞍掛大明神を祀ったのが始まりと伝わる。

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Yebisu Garden Place Winter Illumination 2019

2020-01-14 00:00:00 | illuminated
(Baccarat ETERNAL LIGHTS 東京都渋谷区恵比寿)















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松原家長屋門

2020-01-13 00:00:00 | 木のたてもの

(岐阜県羽島郡岐南町薬師寺 町指定有形文化財 2007年2月13日)
 江戸時代末期に築造された、旧薬師寺村庄屋松原家の長屋門である。明治24年(1891)発生の濃尾地震にも耐えた木造建築で、先年耐震及び復原工事が施された。

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教育自然園と白金長者館

2020-01-12 00:00:00 | 城郭・城下町
(東京都港区白金台 国指定史跡・天然記念物)
 長者丸の東隣に広大な緑地がある。現在は国立科学博物館附属自然教育園及び東京都庭園美術館となっており、周辺は開発されながらもこの一角は緑が残されている。縄文時代中期からの人々の営みの跡がみられ、応永年中(1394-1427)この地に白金長者と呼ばれた柳下上総之助が館を構えた。現在も残されている堀と土塁はこのときのものである。江戸時代は高松藩松平家の下屋敷、明治時代は陸軍軍用地、大正時代は白金御料地となった。戦後は国立教育研修所所属を経て昭和37年(1962)から現在の所属となっている。
































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笠松競馬場

2020-01-11 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(岐阜県羽島郡笠松町・岐南町)
 一周1,100mの笠松競馬場は、昭和10年(1935)中津競馬場(中津川市)から移転して開設されたものであり、オグリキャップ等を輩出したが、入場者数や土地賃貸等の問題により存続が危ぶまれている。
   

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長者丸

2020-01-10 00:00:00 | 城郭・城下町
(東京都品川区上大崎)
 山手線と首都高目黒線に挟まれたこの一角は、昭和初期に宅地化された場所てあるが、地名は、応永年中(1394-1427)この地に白金長者と呼ばれた柳下上総之助が館を構えたことに由来する。



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旧今泉醫院診療棟

2020-01-09 00:00:00 | 木のたてもの

(愛知県宝飯郡御津町御馬字西 国登録有形文化財 2007年2月7日)
 昭和2年(1927)竣工の木造瓦葺2階建、建築面積221m2の洋風建築である。

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曳舟

2020-01-08 00:00:00 | 街道・宿場町
(水戸街道 東京都墨田区東向島)
 江戸時代前期に通水した葛西用水を利用して舟を川沿いの道から引き、人や物を乗せた曳舟(ひきふね)に由来する。











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佐脇湊

2020-01-07 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡御津町下佐脇 2007年2月7日)

 持統上皇がこの地方に行幸した頃から湊があったというこの辺。音羽川の支流で今は安藤川と名を変えた旧白川には、舟運時代の名残がみられる。

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雷電稲荷神社

2020-01-06 00:00:00 | かみのやしろ
(東京都新宿区新宿)
 源義家が鎌倉街道を通り奥州征伐に向かう途中、この地で激しい雷雨に遭った。義家は小さな祠の前で休んでいると、一匹の白狐が現れ義家の前で三回頭を下げたところ、雷雨がたちまち止んだという。その後、村人たちはこの祠を雷電稲荷神社と呼ぶようになった。昭和3年(1928)近隣の花園神社に合祀されたが、その後も元宮は崇敬され続けている。
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キシ

2020-01-05 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県新城市豊島字キシ 2007年2月7日)
 かつて豊川(とよがわ)は、氾濫を繰り返しこの河岸段丘まで水が達していた。故に「島」「キシ」といった地名が残された。そこを走る飯田線も氾濫を避けるように岸に沿って蛇行して線路が敷かれている。

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玉川上水内藤新宿分水

2020-01-04 00:00:00 | 水のほとり
(東京都新宿区内藤町)
 江戸の飲料水を確保するため、承応三年(1654)に掘削された玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸まで開渠で送水され、それより先は水道管で江戸市中を結んでいた。明治34年(1901)淀橋浄水場(西新宿)が設置されるまで、この水路は重要なライフラインであった。





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大野田城

2020-01-03 00:00:00 | 城郭・城下町

(愛知県新城市野田字幹徳 2007年2月7日)
 応永年間(1394-1427)城所浄古斉が築いた城である。その後、永禄四年(1561)菅沼定盈(さだみつ)の野田城を今川氏真が攻め、定盈は城を退いた。翌年、野田城を奪還し修築の最中、この大野田城を仮の拠点として利用した。然し、元亀二年(1571)武田信玄がこの地を攻めたため、定盈は大野田城に火を放ち、廃城にした。本丸跡に溜池が築造された大正時代までは、城跡に信玄が鎧を掛けたという松があり、また、大野田城の築城の際、湧き水のある場所に不動明王を祀ったという。

関連記事:下り地城


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新宿御苑旧新宿門大木戸門門衛

2020-01-02 00:00:00 | 木のたてもの
(東京都新宿区内藤町)
 新宿御苑の二箇所の門衛建物は、共に昭和2年(1927)の築造である。









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