(浄土真宗久遠山成信坊 愛知県津島市本町 2008年5月4日)
明徳二年(1391)七世慶専のとき、天台宗から浄土真宗に改められたという。天正三年(1575)長島一向一揆の際、教如の身代わりとして戦い討死した慶専の孫祐念の功により、津島御坊の称号が与えられたという。
(静岡県磐田市池田 2008年5月3日)
天竜川池田の渡しの袂に鎮座する天白神社は、奈良時代に創建し、猿田彦命を祀る。古東海道及び鎌倉街道、本坂通(姫街道)の池田宿があった地であり、往時は池田宿大明神と呼ばれた。毎年秋の祭礼には山車の曳き回しが行われる。
(浜松市東区天龍川町 2008年5月3日)
旧東海道沿いに鎮座する、永禄年間(1558-69)に創建された旧長上郡(1896-浜名郡)橋羽村の鎮守である。昭和54年(1979)までは東海道時代の「お宮の松」が存在したが、台風により倒死した。
永禄元年(1558)それまで天台宗であったものを曹洞宗に改められている。天正八年(1580)竹ヶ鼻城主不破広綱が父の綱村の菩提を弔うため再興された。竹ヶ鼻城主が杉浦氏に変わり伽藍が整えられるが、慶長五年(1600)竹ヶ鼻城落城と共に兵火に遭い焼失した。その後三度再興されるが、木曽川の氾濫や濃尾地震等によって被害を受け、その都度再興されている。
(大峯奥駆道七十五靡第七十番愛染宿 奈良県吉野郡吉野町吉野山 世界文化遺産 2008年4月21日)
明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となった天台宗飯高山宝塔院安禅寺は、平安時代前期、天台僧相応によって金剛峯寺の奥院として創建したものという。宝塔はそれ以前に金剛峯寺で修業した快賢芳賀坊(報恩大師)によって建立されたものという。廃仏毀釈の際、本尊は金峯山寺に、本堂は吉野善福寺、山門は桜本坊にそれぞれ移転した。
(奈良県吉野郡吉野町吉野山 2008年4月21日)
金峯(きんぷ)神社東側には、行者の初入峯者がこの暗闇の塔に入り、鐘を鳴らされ気を抜く儀式が行われる小堂がある。かつては三重の塔であり、文治元年(1185)源義経と武蔵坊弁慶らが追ってから隠れたため、「隠れ塔」と呼ばれる。現在の塔は大正時代に建てられたものである。