(島根県松江市和多見町 旧県社 2010年9月11日)
延喜式神名帳に名が見える賣布(めふ)神社は、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)を祀り、当初宍道湖の南岸に鎮座し、岩崎鼻(袖師町)、白潟(現在地南西側)、鎌倉時代に現在地へと遷座したという。
(広島県尾道市西久保町 2010年9月7日)
大永五年(1525)御調郡市原村(尾道市木ノ庄町)に浄土真宗の精舎が建立されたのが始まりという。慶長元年(1596)現在地に移転した。本堂は寛永八年(1631)に建てられたが、元禄十五年(1702)尾道大火により焼失。安永十年(1782)に再建されるも、明治22年(1888)再び焼失した。明治44年(1911)現存する総欅造の本堂が造営された。
大永五年(1525)御調郡市原村(尾道市木ノ庄町)に浄土真宗の精舎が建立されたのが始まりという。慶長元年(1596)現在地に移転した。本堂は寛永八年(1631)に建てられたが、元禄十五年(1702)尾道大火により焼失。安永十年(1782)に再建されるも、明治22年(1888)再び焼失した。明治44年(1911)現存する総欅造の本堂が造営された。



(真言宗飯沼山圓福寺 千葉県銚子市馬場町)
神亀元年(724)当地の漁師の長蔵と清六が夢告により左脇に瑪瑙を挟んだ十一面観音を網ですくい上げ、その後二人は出家して草庵を結び、十一面観音を祀ったのが始まりという。天平年間(729-49)には行基によって厨子が造営され、弘仁年間(810-24)には空海により台座と光背が造られ改めて開眼されたものという。天正六年(1578)に至り、海上長者(千葉氏族)が伽藍を造営し、安永二年(1773)更に伽藍が造営され繁栄したが、第二次世界大戦により伽藍を焼失し、寺域も二つに分断された。境内に鎮座する銚港神社は、明治2年(1869)の神仏判然令までは龍蔵権現と称し、十一面観音の脇に挟まれていた瑪瑙を神体として祀り、圓福寺の鎮守であった。また、高さ5mの露座の銚子大仏は正徳元年(1711)に開眼したものである。


























(広島県豊田郡大崎上島町木江 2010年9月6日)
瀬戸内海芸予諸島大崎上島の天満港近くに鎮座する金毘羅宮は、明治22年(1889)海上安全のために香川県金刀比羅宮より大物主神(おおものぬしのこみ)を勧請したことに始まる。







(千葉県銚子市犬吠埼 水郷筑波国定公園)













関東最東端の銚子半島に位置する犬吠埼(いぬぼうさき)は、太平洋に面した岬である。岬には明治7年(1874)イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによって煉瓦造、高さ32mの灯台(国有形)が築造された。














(愛媛県今治市旭町 2010年9月5日)
昭和47年(1972)ダイエーのフランチャイズとして今治デパートが築造開業した、RC造5階地下1階塔屋付、売場面積7,901m2の商業施設である。私自身も従姉妹と開業初期に訪れたことがある。平成10年(1998)ダイエーとのフランチャイズ契約が解消され、その後は今治デパートの食料品部門と専門店テナントによって、部分閉鎖の上営業されている。
(2011年閉店解体)
(千葉県銚子市犬吠埼)
昭和29年(1954)に銚子市によって開設された銚子水族館を起源とし、昭和38年(1963)京成マリンパーク犬吠埼水族館となった。昭和49年(1974)現存するRC造3階の施設が築造されたが、昭和59年(1984)京成電鉄は撤退した。その後は館内テナントが水族館の運営にあたり、施設の改修も行われたが、平成14年(2002)民事再生を申請し、水族館は自主運営となった。その後は来館者の減少や施設老朽化により平成30年(2018)閉館に至ったが、展示動物は残され飼育されている。再開の準備をしていると公表されているが、見通しは立っていない。
