(愛知県新城市市川字神ノ木 2011年8月15日)
豊川沿いの別所街道から深沢川に沿って市川の集落に向かう途中に佇む石地蔵である。昔、市川の集落で赤痢が流行し、三十人余りの村人が亡くなった。遺体は鍋山で荼毘に付されたが、供養として村の入口に六地蔵が祀られた。
(川崎市高津区北見方)
北見方の鎮守である白髭神社前に建つ地蔵堂は、昭和12年(1937)日本通信工業(1987-日通工(現NECフロンティア))の工場造成によって、それまで北見方古墳の墳丘上に祀られていた石地蔵が移設されたものである。北見方古墳は江戸時代後期の地誌「新編武蔵国風土記」に、田の間に高さ七尺(約2m)、幅六間(約10m)の古塚があり、古陶器が出土し古人を葬ったと思われる場所に、今は石地蔵が建つという記載がある。
(境川 東京都町田市・神奈川県大和市)
八王子市、町田市、相模原市境である標高364mの草戸山より発し、藤沢市片瀬海岸で相模湾に注ぐ延長52kmの二級河川である。中世までは高座(こうざ)郡に沿って流れるため高座(たかくら)川と呼ばれ、近世以降は上流部が武蔵国と相模国の境を流れることから境川と呼ばれるようになった。
(東京都町田市鶴間)
昭和54年(1979)に開園した、神奈川県大和市との境に流れる境川に面する都市公園である。平成29年(2017)隣接するグランベリーモールの再開発に伴い鶴間公園も一体整備が行われ、令和元年に再開園された。
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(東京都文京区本郷 2011年6月3日)
かつて本妙寺という法華宗の寺院が坂下にあったことから名付けられた。本妙寺は振袖火事で知られる明暦三年(1657)の大火の火元とされる。寺は明治43年(1910)巣鴨に移転している。
(東京都文京区本郷 2011年6月3日)
三河国碧海郡上野村(愛知県豊田市上野町)に鎮座した稲荷神社を徳川家康の東国入りに際して吹上(江戸城)に遷宮されたものである。慶長十一年(1606)本郷に遷座され、明治26年(1893)本郷給水所設置に伴い現在地に遷された。
(神奈川県逗子市逗子 旧村社)
誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀る亀岡八幡宮は、創建時期は不詳ながら、かつては神体として阿弥陀三尊の懸仏が祀られ、明治維新の神仏判然令までは逗子の地名由来とされる真言宗黄雲山延命寺が別当寺(神宮寺)を務めていた。