京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

呼ぶ声

2008年09月21日 | 日々の暮らしの中で
朝から大ぶりのおはぎを作って、ズッシリと思い包みを毎年届けてくれていた “Mちゃんのおばあちゃん”もすでにあちらの岸の人です。
お彼岸、仏壇へのお参りは続きますが、世代交代の中、様変わりの多いのは仕方ありません。

とりわけ私もすることはないのですが、心なしか気になる人の声が聞こえてくるのです。夢でも会えないでいますのに。
「keiちゃん、keiちゃん……」

まさか!「こっちにおいで」と呼んでいるのではないでしょうね。
並び咲く彼岸花ロードを歩くうちに、あちらの岸にかなり近づいてしまっているのでしょうか。
この花は、彼岸への入り口のような気がします。
赤く、美しい作りを見せてくれますが、淋しげに映ります。
   
   曼珠沙華抱くほどとれど母恋し  (中村汀女)

秋、大原の里を歩いたとき、友人が口にした一句でした。
友が母への懐古の思いを語るように、何かしら、なくした大切な人へとつながる花のようです。数ある花の中でも、好まない花の一つです。

父は母を見送り3年後、他界しました。
3年間…、不自由な、寂しい思いをさせていただろうことを今更ながらに思うのです。
私の電話を心待ちにしていました。
会いたいなあ、夢にも出てこないねえ……、なぜなのでしょう。
気づくと彼岸の入り、命日も近いことですし、やはり、呼ばれていたのでしょうか。父です。
体に気をつけて頑張れと、ただそれだけを伝えるために?

“センチメンタルジャーニー”は、ここ東本願寺。
堂内いっぱいの人で、秋季の永代経法要が勤まり読経中でしたが隙間に入り込みました。
ここは“ひとり”になれるところ。
少しづつ気持ちが落ち着き出す、不思議な場所です。

雷とともにものすごい雨となり、足止めです。
大屋根から落ちる雨は、風に流されカーテンのようになって、仏様のもと、雨宿りで残る多くの人を堂内にすっぽりと包みこんでくれるのでした。

すべては仏様の「掌・たなごころ」の上で……。守られながら……。

呼ぶ声も小さくなりそうです。彼岸花には近づかないでおこう。

 集中豪雨の繰り返しの一日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする