かぜとなりたや
はつなつのかぜとなりたや
かのひとのまえにはだかり
かのひとのうしろよりふく
はつなつの はつなつの
かぜとなりたや
(「初夏の風」 川上 澄生)
寝姿が、人間の最も生来のままで飾り気のない姿だとすれば、うたた寝で見せる緊張から解き放たれた表情も、またナイーブな一瞬かもしれない。
開け放った窓から入る風がさわやかで気持ちがよい。手を休め一息ついているうちに、うとうとっと…。どんな顔して覚めたくない夢にしがみついていたのかどうか、人の気配、呼んでいる声がする。なんと言うことはない、婆様だった。親指の先のトゲを抜いてくれへんか、って。
夏日を記録した風景の中で、比叡山もなにやら少しもわっとして見える。
「風景」、風は「かぜ」、景は「ひかり」を意味するという。毎年のようにこの好季節には両親がそろって遊びに来ていたのを思い出す。もう20年も前のこと、二人が揃って出かけたお山の根本中堂を最後に、翌年母が、まもなく父もこの世を去った。
ヒエ(韓国語で太陽のことだそうだ)の山。お山を西に見れば落日の美しい山。東に仰げば日の昇る山。太陽の山ということになる。
吹き降ろすはつなつの風にのせて、母の気配を運んでくれないものかなあ。