京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 高野街道ウォーク ①

2013年03月10日 | 高野街道ウォーク
真夏を避けて全8回、11月終了を目指す「高野街道ウォーク」の第1回目は、9日、京都駅八条口を19名で午前7時30分出発した。
  
8時には石清水八幡宮のある京阪八幡市駅に近い場所にバスは到着、ケーブル乗り場へと向う。ケーブルからの眺めはなんとなくもやっとしているが一の鳥居が見えだした。
 
仁和寺の法師が勘違いした高良神社や極楽寺も当時は立派で、特に極楽寺は豪壮な構えであったらしいが、鳥羽伏見の戦いで長州軍の猛攻を受け消失したとある。高良神社はこの鳥居をくぐって西側に再建されている。お山は神仏習合時代だったこともあって多くの寺があったと伝わる。今回はケーブルであっという間に「男山山上駅」到着。


             南総門 
     
八幡市が整備に力を入れたことで道標もあちこちに設けられ、街道としての雰囲気を感じながら歩ける区域だという話だ。風情ある道から街道への一歩を記した。摂津の国に生まれた松花堂昭乗は10代半ばで石清水八幡の社僧となり、やがて真言密教を極め阿闍梨になったそうな。「松花堂などお弁当ぐらいしか知らん」という声を耳にしながら、【松花堂庭園・美術館】の前を通過 → 【枚方企業団地】 → 【山田池付近】→【枚方市から交野市へ】車の排気ガスを吸いながら南下していく。

「ここにも碑があります」と言われても何の碑なのかはさっぱりだ。通過してしまうし、立ち止まれば案内板を各自で確認する。説明がないので、とりあえずは写真だけでもと撮っておくことにした。昼食はバスで移動、靴を脱いで2階に上がり、デザート・飲み物付きでたっぷりと休憩した。【郡津(こうづ)駅】 → 【交野市・星田】 でようやくのゴール。
 古くから人が行き交う道で休憩所としての茶店も多かったと案内板にあった。描かれていた江戸時代の文献に記された茶店の図。
出だしから終始遅いペースで、一日中ぶ~らぶら、ぶ~らぶらとした歩きだった。このカメのような歩みでさえも列は分断されるのだ。そのたんびに待たされて…。次回の申し込みには迷いが生じている。
約13キロ弱のコース、25164歩だった。
コメント (8)
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