続く毎日の暑さで、どこに行くにも車での外出が増えてしまっている。
運転しながら、「ああ、こんな空の下をよく走ったなあ」としみじみとした思いが湧き上がったりする。
小学校4年生から9年間サッカーに取り組んできた息子を乗せて、試合会場まで、あるいは遠征の集合場所へ送った日々が思い出される。
次第に口数も少なくなり、なんて不愛想なと思わずにはいられないトシゴロを迎えて、それでも幸い息子と私だけに共有する時間があった。
彼がサッカーを始める頃から私は仕事に出だし、中学・高校生の頃には夏休みも塾の講師として夏期講習でほとんど家を空けていた。
私が不在なら父親に頼むという流れになるが、限定される期間を除けば、あまり行きたがらない父親の変わりに母親の出番に恵まれた。来る日も来る日も夏空の下を走っていたことになる。
そもそもこの仕事を始める動機は、じっと家にいたくないとう不純?なものだった。とにかく外に出たかった。ただし、子供達は「おかえり」と迎えたい。そこで過去の経験を活かしてできることを選択したのだった。およそ10年間仕事を続け、我が家の子供たちとほぼ同年代の多くの子供との出会いを得た。学区の枠を超えて、地元以外の教え子が大半だったため、息子にはこの中からやがて高校進学時に先輩だったり同年で出会う顔があった。
そして、夏空に思う。
こんな暑い中わたしは生まれたのだった。