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今日は節分。明日は春が立つ日となる。
歳の神サンが入れ替わるわずかな隙間につけ込んで邪悪な鬼どもが悪さをする。そこで戸口にイワシの頭を挿した柊の小枝を挿し、豆をまいて鬼を追い払うのも、新しい年を迎える大事な行事になってきた。
新しい年へのつなぎ目となる夜だ。
〈母の発案で夜に部屋の中を真っ暗にして、「鬼は外」の言葉とともに、豆に加えてガムやチョコやキャラメル、さらに硬貨の入ったおひねりが投げられた。みんなキャアキャア大興奮で拾ったのは忘れられない思い出です。〉と、朝刊連載のミニコラムで澤田康彦氏(「暮らしの手帖」の前編集長)が書かれていた。
我が家では事につけてアイディア・ウーマンだった義母だが、さすがにこんな名案は浮かばなかったなあと笑った。子供たちが帰ってくる時間を見計らったかのように、火を起こした七輪でガサゴソガサゴソ器具の中の豆をゆすって炒り続ける。当時、下の流しがある三和土は天井が吹き抜けになっていたが、それでも香ばしいにおいが充満したところに「ただいまあ」と顔がのぞくのだった。おひねりまで加わる「豆まき」は初耳だが、もっと早くに聞いていたら真似をしていたかもしれない。楽しそうだ。
子供たちが高校生になって、一緒に豆まきをどんなふうにしたのだったろう…。頭を寄せ合い、義母が炒った豆をそれぞれに年の数だけ食べていたのは覚えているのだが。
「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」
俵万智さんが詠っている。「いつが最後かわからないまま時が過ぎてゆく」。
子育てに限ったことではない。・・いちいち大切に…ということを思った夜・・。