京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

比丘尼御所・「きゃもじな(美しい)もの」

2021年02月01日 | こんなところ訪ねて
全国皇后杯女子駅伝のコースにも入っている白川通。ランナーは国際会館の折り返し地点までに白川通で高架橋を渡るが、その少し手前から東へ修学院離宮道を音羽川沿いに進んでいくと、
やがて門が閉められたままの林丘寺の門前に立つことができる。


もうずっと堰堤の砂防工事中なので、川を隔ててで近づくこともできない。



「洛中から北東に一里。比叡の山裾に立つ林丘寺」は「歴代皇女を住持にいただく比丘尼御所(門跡)」で、「創建は36年前、後水尾上皇が営んだ修学院山荘の一部を寺に改め、上皇の第八皇女・緋宮光子内親王こと元瑤尼を開山として迎えた」のに始まる。
『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台である。現在元瑤は83歳、姪の元秀21歳に住持を譲っている。

仏事としての役目を担う「奥」と、その運営を司る「表」に大別され、表には朝廷から御内(家来)が派遣されていて、奥の尼たちを守って日々過ごしている。四季折々の行事もすべて宮中に倣うのが慣例だという。駆け込む女がいたり、様々な問題が比丘尼御所内でも持ち上がる。

「なんとまあ、大にぎにぎや(にぎやかな)と思えば、そもじたちであらしゃったか。これ、円照。かようなところで、何をむつこうて(泣いて)おわしゃる。」「いや。おにつこうて(怒って)いるのではない」
よく聴いて、語るだけ語らせて言葉を引き出して、何とも不思議な柔らかさ、あたたかさで受け止める元瑤が魅力だ。彼女の御所言葉の柔らかさが心地よくもあり、『熱源』とは全くの別世界を楽しませてくれる。

青蓮院の里坊から出た火事にまきこまれ下男として働いていた両親を失い、乳飲み子だった静馬は林丘寺に引き取られた。7歳で上賀茂村の鍛冶屋夫婦を養父母としたが、元瑤を慕う静馬は馴染めずに長雨の中、寺まで一里の道を歩いて帰った。その半日後、川は氾濫し養父母の家を含めた数十軒が濁流にのみ込まれてしまった。雨の中、7歳の子が上賀茂の地からここまで歩いて帰って来たのか…と、来た道を振り返った。
25歳になった静馬。〈目の前にある現実を捨てたところで、過去は必ずその身に付きまとってくる〉。自責の念を抱える静馬の思いが物語に大きく投影されている。


修学院離宮を北隣にしたここは歴史的風土特別保存地区となっていて立ち入りが禁じられている。おそらくこの道から右手奥方向に?寺の総門へと向かえるのではないだろうか。と想像。このあたり、赤山禅院へ、あるいは曼殊院から詩仙堂、さらには金福寺へとも足を延ばせるお気に入りの散策路だ。
    7編の連作短編集のうち2編を読み残しているが、堅く閉ざされたままの門の向こうに、そうあったかもしれない描かれた日常を、人の動きを想像するのだった。
京の土地や風土の歴史に縁のある作家が描く。だからこそこの比丘尼御所の物語は私にとって魅力も増す。
金網越しにいつまでも眺めるヘンな人かもしれないが、とても楽しいことのひとつを得た昨日の日曜日だった。
コメント (9)
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