京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「しれ者」でも、待ってみるか

2021年02月06日 | 日々の暮らしの中で
「徒然草」にも出てくる楝(おうち)の木。
5月5日に行われる上賀茂神社の競馬の行事を、この木に登って見学する僧の話がある。
僧はやがて居眠りを始める。落ちそうになっては目覚める姿を見て、あんな高いところで、どうして安心して眠っていられるものなのかと、人は僧を「世のしれ者かな」とあきれてばかにするのだが…。(41段)
神社にある楝の木(センダンの木)は何代目かになるらしい。映画「獄に咲く花」の中で知り、実物はここでしか目にしたことがなかった。

ところが時折歩く道にあったのだ。その下をくぐったこともあったとは。昨年の5月になって初めて花に気付くというボンヤリ。

秋。すっかり葉を落とし尽くした木には、鈴なりの実がぶら下がっていた。

頭上にアーチをかけるように枝が大きく張り出しているが、下から手が届きそうでいて届かない。
神社の木はすくっと直立。高いところに咲く花は見づらく、ましてや実になど気づけなかった。

3日前、たくさんのヒヨドリが実をついばんでいた。


今日、その実が一つ残らず消えていた。まさかヒヨドリ!?

たたき落とし、掃き集めたのではないかと想像できるほど下も周囲もきれいになっていた。
拾った実。食べることはないから毒については問題ない。


土に埋めて置けば、いつか芽を出す日が来るだろうか。なんて気の長い話を、「とんでもない あきれたばか者だ」と笑われるだけだろうか。

待ってみるのもいいかな。
コメント (6)
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