京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

死の島

2022年04月13日 | こんな本も読んでみた

「本当は生きたいのだ。最後の最後まで、おれがおれとして生きられること。それだけが望みなのだ」

澤登志夫は56歳の時に腎細胞がんと診断され、治療はしないと自らの意思で決めた。
そして、再発転移を宣告された。
古稀を前にした、何らかの形で支えてくれる家族や身寄りを一人も持たない彼にとって、「想像以上に長くもつ」という医師の言葉は恐怖にも等しい不安となった。

希望を追いかけて生きていく者もいれば、そうやって生きていくことを拒絶する者もいる。
澤は決めていることがあった。計画を練ってある。かつて大手出版社の選集者だった澤は、取材で聞いた外科医の話を役立てようと企む。

有無を言わせない、巧みな描写。澤の死生観、揺れる感情 ―諦め、悲しみ、切なさ、孤独感…に感情移入し、彼の選択を理解してしまうのだった。

「独りで生き、独りで死んでいく、ということ、その生き方を自分で選び、受け入れていくことの中にこそ真の尊厳があるはず」と投げかけてくる。そして、「自らの意思のもとに時を止めるということは、生きているものの最上にして最後の特権ではないか」と。

理解してしまうのだ。けれど…、とも思いは続く。
例えば、「胃ろうで自らを生きる」(芹沢俊介)、あるいは「胃ろうによって生かされる」。あるいは、すべて拒否して尊厳死。
「いのちが生きている」という。どんなにしんどい状態でも心臓は粛々と動いている。で、生かされている。生きることへのひたむきさも思う。人が生きるとは、…。


死に方、最期を迎える場所を選んだ澤だったが、彼が38歳の時に知り合った貴美子は、在宅のまま尊厳死を選んだ。一人で考え自らの死を構築した。澤に渡してほしいと残したのがスイスの画家、アルノルト・ベックリーンの「死の島」という絵だった。霊廟のような島。棺らしきものを運ぶ小舟…。

 ちょうど1年前に購入しながら今になった。どんないきさつで手に入れたのだったかな。娘がタイトルを見て「暗いなあ」といったことは覚えている。

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