孫娘は今日から高校1年生です。
2005年10月にオーストラリアで生まれました。
生後半年で初めて日本にやってきました。こちらで幼稚園にも通いました。3歳でのデビュー当日から、お弁当は完食の連続。小学校生活も聴講生として2回ほど体験しました。
オーストラリアでは現地の小学校に通い、土曜日は日本語補習校でオベンキョー。日常、母親と日本語での会話もありますし、おしゃべりに不自由はなかったでしょう。
そして、5年生になった春先から日本での暮らしが始まりました。地元の中学校へ進みました。
高校進学を考えるようになってきて、「学ぶ」には日本語のハンディが大…。書かれたことの読解がすべての入り口となる段階で今躓くよりはと、英語圏での学習を選択したのでした。
中学2年生を終えて再びオーストラリアへ戻ることを決めました。実際は昨年来のコロナ騒動で、オーストラリア入国の門戸が閉じられる前にと急遽2月に帰国の途に就きました。父親と二人の暮らしです。
中学3年生を過ごし、高校生に「進級」です。
このお正月にテレビ電話で弟たちも加わって賑やかなおしゃべりをしました。「もっと学校以外でいろいろしておけばよかった」ということばが漏れました…。たとえば?と聞きたいところでしたが、弟組がうるさいこと! で、気になったままスルー。
やはり大きな節目です。3年後には将来を見据えた選択をすることになります。ぼんやり生きていたらあっという間の3年間。
今日はひとまずお祝いのメールをしましたが、週末にでもまたちょっと思いを伝えようかな?と。
Jessieは「高校生」になりました。 (15歳、写真がありません)
0歳
2005年10月にオーストラリアで生まれました。
生後半年で初めて日本にやってきました。こちらで幼稚園にも通いました。3歳でのデビュー当日から、お弁当は完食の連続。小学校生活も聴講生として2回ほど体験しました。
オーストラリアでは現地の小学校に通い、土曜日は日本語補習校でオベンキョー。日常、母親と日本語での会話もありますし、おしゃべりに不自由はなかったでしょう。
5歳 10歳
そして、5年生になった春先から日本での暮らしが始まりました。地元の中学校へ進みました。
高校進学を考えるようになってきて、「学ぶ」には日本語のハンディが大…。書かれたことの読解がすべての入り口となる段階で今躓くよりはと、英語圏での学習を選択したのでした。
中学2年生を終えて再びオーストラリアへ戻ることを決めました。実際は昨年来のコロナ騒動で、オーストラリア入国の門戸が閉じられる前にと急遽2月に帰国の途に就きました。父親と二人の暮らしです。
中学3年生を過ごし、高校生に「進級」です。
このお正月にテレビ電話で弟たちも加わって賑やかなおしゃべりをしました。「もっと学校以外でいろいろしておけばよかった」ということばが漏れました…。たとえば?と聞きたいところでしたが、弟組がうるさいこと! で、気になったままスルー。
やはり大きな節目です。3年後には将来を見据えた選択をすることになります。ぼんやり生きていたらあっという間の3年間。
今日はひとまずお祝いのメールをしましたが、週末にでもまたちょっと思いを伝えようかな?と。
Jessieは「高校生」になりました。 (15歳、写真がありません)
幼い頃から国を跨いで、いろいろな環境でもきちんと生活していかれて、すばらしいお孫さんですね🌈
自分が高校生になるまでの15年間とは全然違うので、とても尊敬します。
これからの成長も、すごく楽しみですね🍀
友人にも恵まれ、うまく順応して見えましたが、
「オーストラリアに帰りたい」とたまに小さく口にする子でした。
学年が上がるにつれて、問題文が問いかけていることを「どういうこと?」と
何度も聞くようになりました。ただ一つ?彼女に欲をかければ、
日本語で深く読めるようになってくれたらなあという思いがあります。
親の環境、時代の違いは大きいですよね。
tampopo_cafeさんはまさに子育て中でしょうか。
金曜日に帰宅したランドセルは玄関に置きっぱなし
のまま、
月曜の朝を迎えることもある弟の9歳児なんですよ。
母親も「片づけなやー」ってくらいです。
一人の人間が様々な姿を見せながら成長していきます。それを見るのは楽しいことですね。
幼いころにはオーストラリアまで子守りの出かけられたこともあったように記憶しています。
あれから幾年。日本での学校も経験され、二つの国のお友だちに恵まれる幸運。
大変なことも乗り越えて今がある彼女。そばで眺めてこられたkeiさんのお慶びは、彼女の思い以上なのでしょうね。
益々寄り添って、成長を見守っていかれるのでしょうね。
国により教育のシステムは違いますが、めでたく進級、進学しましたと喜ばせてもらっています。
友人の影響を受けて「君の膵臓を食べたい」の文庫本を手にしていました。
give upだったのではと想像しています。
もっと映画やハイキングや買い物やらを一緒に…、
「もっともっと」が続きますが、いつかの楽しみにしておきましょう。
どんな夢を見つけるのか。見つけた道を応援することになるのでしょうね。
少女から大人の女性になられました。
長い目で将来を見て、お決めになつたことでしょう。
コロナ禍がなければ往来もなされますのに。
オーストラリアと日本、誰にでもできる経験では
ありません。
広い視野を持って人生を歩まれることでしょう。
心からおめでとうと申し上げたいです。
この1年、選択の語学は希望が通らず「日本語」になったそうです。
中学3年次でも日本語だったようです。これは編入でしたので仕方ないところでした。
日本語で何ができるか。いずれにしましても何か目標ができるといいのですが。
恵まれた環境を無駄にするのはもったいないですね。
自由に夢を描いて道を見つけてくれれば応援するばかりです。
Jessieちゃん高校入学おめでとうございます。元気で魅力的なお嬢さんになられて素晴しいですね。
いつの頃からか、見聞きしてきましたね。本当に月日の過ぎるのは早いですね。なんだか嬉しくなりました。
高校卒業まではこの世に居たいものです。
ありがとうございます。とにかく高校生三日目です(笑)
家族そろえば申し分ないのですが、おかれた条件の中で健やかに、
大事に毎日を過ごしてほしいとは思っています。
のんびりしすぎないように、たまにはこちらからつつかないと駄目でしょうか…。
日本では10キロに近いような?リュックを背負って中学校まで徒歩30分、の2年間を過ごしました。
それでも友人にも恵まれ楽しそうでした。
それが「高校生」。この響きにやっぱりまだ今一つ馴染めずです(笑)