8月1・2・3日と高野山夏季大学に参加してきました。雨の高野山でした。
高野山教学部長を勤められる小藪実英さん(福知山の観音寺のご住職)は、ぜひにと高野山へ招かれたことで高校教諭退職後の人生設計が狂ってしまったと、ユーモアを交えながら本音に近い?胸の内も覗かせてくださるお話がありました。(「弘法大師に学ぶ前向きな心」)
4歳で父親と死別、後に寺が全焼するなど苦しいことが多かったけれど「嫌だと思えばストレスに。負けないぞ、負けないぞと思えば根性になる」。不幸があるから生きていく力がつくのであって、「人の値打ちは心の状態で決まる」「心の偏差値を高めよう」とお話でした
最も楽しみにしたのは、最終日の姜尚中氏の「心の力」と題したお話です。
9時からの開始に合わせ8時半開場と案内でした。眠くなる脳みそにつける薬はなく、負けっぱなしの二日間でしたが、この日ばかりは気力充実!? 「6時の鐘」で8時の鐘が撞かれ始めたのを聞きながら会場に向かいましたところ、すでに長蛇の列。ゲストお二人への期待度の証しか、予定より少し早い目の開場でした。
テレビで拝見しているだけだった姜さんが目の前に。あの声です! ソフトな語り口はそのままですが、マイクにのって声もよく通り、メリハリがあってテンポも良く、心の中に収まっていきます。
「相続とは、亡くなった人の人生、つまり物語、命・魂をいただくことなのです」ということばは印象に残りました。
漱石の『こころ』も然り。先生の遺書を私が受けて、第三者に渡していく物語であること。母親の愛情を知らずに、自分は余計者意識のまま「不安」の虜で生きた漱石。「人間一生に一度 真面目になれ」(『虞美人草』)のことばをひいて、「悲劇は人を真剣にさせる」、どうしたら良いのかと、考え抜くことが心の力をつける。最後に、「自分は次の世代に何を伝えたいか」ということになるわけだが、と投げかけられて…。遺書を残すことは一つの形だと言えそうです。
由紀さおりさんは、あの美しい歌声を時々ご披露くださりながら「日本語の美しさ」を説かれました。「日本語は旋律」と。童謡に見られる日本語のやさしさ、美しい響き。濁音と鼻濁音を区別をすることなど、改めて意識させられた点でした。
2日午後から、今回大きな願いでもあった女人堂へ足を運ぶことができました。宿坊からは歩いて20分ほど。すれ違う人もいない道を傘をさしながら一人ぶらりと訪ねましたら、同じような思いの先客が一人。
高野山は女人禁制の時代がありました。高野山の入り口ですが、この先へは入ることのできない女性のための参詣所として設けられた女人堂。建立以来300年、唯一現存する不動坂口(京街道口)のお堂です。女性たちの信仰の篤さ、そんな思いをちょっと想像しながら、ゆっくり時間を過ごして戻りました。
いつだったか、姜さんの『ニッポン・サバイバル』を購入していたのですが、読むのも忘れていました。
取り出してページを繰っています。
ですが、それ以上に漱石文学をいま一度と思わされました。
1時間10分のお話があっという間でした。
こう感じるだけでも、満足(笑)、おかげさまでよい時間を過ごさせていただきました。
心の糧をいっぱいに満たされて又通常の日に戻られた
keiさん、その素晴らしさを私にも届けて下さいました。
今、刺激を受けて以前に友にもらった姜氏の「在日」を
読み始めました。惹きつけられる内容です。
keiさん有難うございます。
一年に一度、こういう機会があってもいいなと思ったりします。
本来ならウォーキングツアーで目指した女人堂でしたが、不本意ながら中断しました。」
禁制にもかかわらず高野山を目指した多くの女人の思いをちょっと想像してみたり…。
眠気との戦いの中にも得るものはあった三日間でした。
素敵な時間を過ごされた様子を拝見させて頂きました。
講師の方も色々なのでしょうが、姜尚中氏の「心の力」や、自らの体験と歌を交えた由紀さおりさんのお話など、満足されてのお帰り、なによりでしたね。
こういった自らを奮い立たせる講座など、なかなかお目に掛かれませんが、積極的にチャレンジされるkeiさんに心から拍手をお贈りしたいと思います。
柔らかな語り口ですがリハリの効いた話しぶりでして、
ソフトなよく通る声で素敵でしたよ。
ものすごく漱石を研究なさってるのですね。
濁音と鼻濁音の使い分けも日本語の一つの魅力なのを改めて思いました。
実際に歌って見せて下さるのでした。
由紀さんも素敵な方でした。
姜さんと由紀さん、そして女人堂の夏季大学参加になってしまったような今年でした。
姜尚中氏の「心の力」はあの声で心に深く
響いたことでしょうね。
話された言葉もどれも私の心にも響きます。
由紀さおりさんも来られていたのですね。
女人堂も興味深く、高野山の空気を嗅がせていただき
ました。