昨日、今日と雨が降り続いた。『熱源』を読み終えて、その余韻のままに再度ページを繰り直しては思い巡らせた。
樺太アイヌのヤヨマネクフ。サハリンに流刑となったポーランド人でロシア国籍のプロニスワフ。彼らを軸にしながら、多様な人間模様が世界の各地で交錯する壮大なドラマを編み上げた作者の熱量に打たれて興奮気味だったみたいだ。夜、横になってから2時間ほど寝つけずにいた。
(少数)民族には同化への圧力、異化、疎外、蔑視、憐憫など様々な困難がある。だが彼らには、「環境に適応する叡智があり、よりよく生きようとする意志があり、困難を前に支え合おうとする関係があった」。「原始的に見える生活は、当地の風土や気候に適した合理的なもの」。
「我々が掲げる文明は、暗闇を照らす光を装って隣人たちの営みを灼いている」のだ、ということへの想像力も働かないでいると訴える。
文明の理不尽「古来からのアイヌの生き方を文明がそぎ落としていく」。
自分が誰なのかを忘れて、何が、「誰」が残るのか。文明の波に、また政治にさらわれない「民族」、「個人」の存在、生き方、‥在り方など考えさせられた。
二つの国籍を持つ孫たちのことが頭をよぎったりもする。人はいかに生きるべきか。どうあるべきか…。あれこれ刺激を受けた頭の中を今日は一日鎮めていた。
「滅びゆく民と言われることがある。けれど、決して滅びません。あなたの生きている時代のどこかで、私たちの子孫は変わらず、あるいは変わりながらきっと生きています。出会うことがあれば、私たちの出会いのような幸せなものでありますように。そして、あなたと私たちの子孫歩む道が、ずっと続くものでありますように」。未来に向けたメッセージだったが、今、この世で受け止めるなら…。
必ずアイヌ問題が起きてきます。
明治時代に強い同化政策がとられましたが
大和民族が先住したとは限らなくて
アイヌ民族は古い歴史(奈良時代?)にすでに出てくるようです。
川越宗一さんは相当調べ研究されたと思いますから
ますます読んでみたくなりました。
私の能力以上に読みたい本が多くて困ります。
「世界は読みたい本に溢れている」
樺太(サハリン)、北海道、欧州、日本、南極、オーストラリアのメルボルン、と舞台は変わります。
金田一京助、長谷川辰之助(二葉亭)、啄木まで登場です。
同化政策の問題は熊谷氏の作品にもありました。米作りなど一つですよね。
「多文化共生」が掲げられて久しいですが、実際はそう順調ではなく、掲げるほうの
一方的納得感ばかり伝わっている気もします。アイヌの問題にとどまらず…。
史実をもとにこのドラマとしての構成力、すごいなあと感心、感動でした。