田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「札幌魅力マップ」発表会

2009-08-24 19:18:21 | 札幌学 & ほっかいどう学
 22日(土)好天の下、藻岩山山頂で札幌青年会議所の「札幌魅力マップ」の発表会に参加し、市民の前で札幌の魅力を少しだけ語らせていただきました。 

 札幌青年会議所が「自然豊かな札幌の魅力を紹介するマップづくり」を有志市民と一緒に創っていく活動を展開していましたが、私もその一員として関わりつづけ(そのときのレポートはこちら⇒8/01  8/12)、先日その完成発表会(トークセッション)が藻岩山山頂(場所はこちら)で行われました。
               
        ※ ロープウェイ山麓駅に掲げられた「札幌魅力マップ」発表会
         の立て看板です。

 山頂展望台には仮設のステージが設けられ、客席にはベンチが配されていました。
 ステージには、私たち一般市民が3名、台湾人留学生が1名、マップをデザインした札幌市立大生が3名、滝野すずらん丘陵公園の課長さん、そして都市秘境探検隊長を自称する青木北大名誉教授の計9名が登壇しました。コーディネーターはテレビのレポーターなどをしている宮田圭子さんが務めました。
        
        ※ ステージに登壇した司会の宮田さんと9名のスピーカーです。

 宮田さんの軽妙かつ適切な司会にも助けられ、それぞれが自らの目で見た札幌の自然の魅力を語りました。
 私は「札幌ウォーク」でほとんどの地域を巡っていたということもあって、ウォーキングと札幌の自然の魅力について語らせてもらいました。

 完成したマップは、10の区からそれぞれ5つのスポットを選定し、計50ヶ所を掲載しました。
 中にはあまり市民には知られていないところもあり、司会の宮田さんが私を指名して「渋い選定個所もあると聞きましたが、どんなところですか?」と突然振られてちょっと驚きながらも「宮の森緑地」と「北野たかくら緑地」を挙げておきました。両者ともあまり手を加えられていない緑いっぱいの公園です。
        
        ※ 完成した札幌の魅力的な自然を紹介したマップの片面です。

 また、私が紹介させていただいた青木教授は私たちとはまったく違った視点からコメントしていただき、トークに上質のスパイスを加えていただきました。
        
        ※ 発表を見守る青年会議所の方や市民の方々です。

 心配された天候も驚くほどの好天に恵まれ、トークもスムーズに進行し、主催した青年会議所のねらいが達成された発表会だったように思います。
 関わった者の願いとしては、ポケット版の魅力マップが市民に活用され、多くの人が魅力スポットに足を運んでいただきたいと思っています。(拡大された魅力マップは藻岩山ロープウエイのケーブル駅に展示されるそうです)

 夜には予想もしていなかった反省会にも招待され、青年会議所の方々と歓談させてもらいました。
 歓談の中で、青年会議所についての理解も深まり、また多くの方々と知り合うこともできました。
 7月末からこのプロジェクトに関わること6回、わずかな期間でしたが楽しく意義ある時を過ごせたなぁ、と振り返っています。
        
        ※ 反省会で歓談する青年会議所の方々と私たちです。

「札幌魅力マップ」づくり その後

2009-08-12 19:04:17 | 札幌学 & ほっかいどう学
 「札幌魅力マップ」の全貌がいよいよ見えてきました。 
 22日の市民に対するプレゼンに向けて、それぞれの考えを出し合いました。
          
 
 「札幌魅力マップ」づくりのためのバスツァーを受けて(そのときの様子はこちら)、8日(土)第3回目のグループワークが中央図書館で行われました。
 集まったのは私たち「おやじの仲間づくり21の会」のメンバー + α と少なかったのは残念でしたが、それぞれの考えを出し合い意味のあるグループワークとなりました。

 まず、主催者(札幌青年会議所)からバスツァー後のアンケート結果が公表されました。
 そして、そのアンケート結果も加味した形で「札幌魅力マップ」に掲載するスポットが提案されました。
 提案は市内10区からそれぞれ5ヶ所をリストアップし、計50ヶ所の魅力あるスポットをマップに掲載するという形です。

 集まった方々は「札幌魅力マップ」づくりに積極的に関わっていこうとしている人ばかりですから、たくさんの意見が出されました。
 提案のスポットを差し替えたところも何ヶ所かありました。そんな中、バスツァーで巡った5ヶ所はやはり全て掲載されることになりましたが・・・。

 そのこととは別に、私から一つの提案をさせてもらいました。
 それは私のブログにもたまあに登場する「札幌秘境100選」等の著者である秘境探検隊長氏をアドバイザー的な立場で関わってもらってはどうでしょう、という提案をさせてもらいました。
 隊長氏ほど札幌を熟知している方はいないのではないかと考えたからです。
 青年会議所の方たちは同意してくれ、その後隊長氏と会い助言をいただくことができました。(隊長氏からは成果を本にして自主出版しないかとの提案もいただきました)

 マップのデザイン、制作は札幌市立大学のデザイン専攻課程の学生に依頼しているそうです。
 そうした経過を重ねながら8月22日(土)に藻岩山山頂において「札幌魅力マップ50選」の市民向け発表会が行われます。
 出来レースの感がしないでもないのですが、関わった以上最後まで責任を果たさなくちゃ、と思っているところです。

「札幌魅力マップ」づくりバスツアー

2009-08-02 23:08:19 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌の代表的な公園・緑地等を再度訪れ、その魅力や特性を確認することができたバスツアーでした。
 
 今日、朝から一日かけて「札幌魅力マップ」に掲載される五つの候補地を巡るバスツアーに参加してきました。
 総勢35名、その中には「おやじの仲間づくり21の会」の4名(私も含めて)も参加し、いろいろ情報交換も行いながら楽しく参加することができました。
        
        ※ 石山緑地を訪れたバスツアーの一行です。

 訪れた公園は、順に
◇ 石山緑地(南区)      ※場所はこちら
        
        ※ 自然と芸術の融合(?)石山緑地の一つの風景です。

◇ 西岡公園(豊平区)     ※場所はこちら
        
        ※ 自然たっぷり、西岡公園の旧水源地の池です。

◇ 平岡樹芸センター(清田区)※場所はこちら
        
        ※ 平岡樹芸センター内に設けられた日本庭園です。

◇ 前田森林公園(手稲区)   ※場所はこちら
        
        ※ ご存知前田森林公園のシンボルのカナール(運河)です。

◇ 五天山公園(西区)     ※場所はこちら
        
        ※ こちらも五天山公園のシンボルの石切り場跡の山肌です。

と市内をグルッと回るツアーでした。
 私にとっては五つ全ての公園・緑地はすでに訪れた経験のあるところばかりでした。
 ですから私にとってはその公園の持つ魅力や特性を再確認するツアーでした。

 ツアーの最後に、ツアーに関するレポート作成がありました。
 つまり訪れた公園・緑地が「札幌魅力マップ」に掲載するに適するか否かということなのでしょう。
 私は「札幌の豊かな自然、魅力ある自然を選出する」という趣旨に照らしながら率直に感想を書かせてもらいました。
 趣旨に照らすと、自然を自然のまま残して公園が造られている西岡公園、自然と彫刻の融合が図られている石山緑地は推薦するに値すると思いました。
 他の三つは確かに公園としては優れているものの、人の手が加わりすぎ豊かな自然、魅力ある自然を謳うには相応しいだろうか、と疑問を呈しました。

 計画では札幌市内の50ヶ所を選出するということですから、あるいは巡って歩いた5ヶ所は当確のところばかりなのかもしれません。
 はたしてどのような経緯を辿り「札幌魅力マップ」は完成するのでしょうか。
 次回は8月8日にグループワークが予定されています。

「札幌魅力マップ」づくり

2009-08-01 21:40:02 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌の青年会議所が「札幌魅力マップ(仮称)」を作成するそうです。その製作に関わらせてもらうことにしました。
 
 先日の北海道新聞に「札幌青年会議所が札幌市内の魅力的な場所をまとめた『札幌魅力マップ(仮称)』の製作作業に参加する市民を募集している」という記事が掲載されました。
 「これは私も関わることができそうだな」と思い、さっそく応募しました。
 さらに、3月以来交流させていただいている「おやじの仲間づくり21の会」(この会のことについてはこちらを参照ください)のみなさんにも呼びかけたところ3名のみなさんから賛同をいただき、一緒に参加することになりました。

 昨日、第一回目の会合が札幌市中央図書館(場所はこちら)であり、趣旨説明などを聞いてきました。
 趣旨は「札幌の豊かな自然、魅力ある自然を選出しマップとしてまとめ、市民に認識していただく一助としたい。ひいてはその魅力を道内、道外にも発信していきたい。そのマップづくりの作業を、青年会議所のメンバーと市民の参加者との共同作業で製作したい。」というものでした。
        
        ※ 第一回目の会合は参加者が少なかったのですが、実際
         の応募者はもっと多いとのことでした。        

 選出の基準や製作日程について意見交流をしましたが、時間的なこともあって十分とはいえずやや不安が残りますがスタートすることになりました。走りながら考えるということでしょう。
 明日(8月2日)はさっそく候補地のいくつかを巡って歩くバスツァーと、その後にグループワークが予定されています。
 はたしてどのような経過を辿ってマップづくりが結実するのでしょう?
 その折々をレポートしていきたいと思います。
            
       ※ 市民へのマップ発表会の日程がすでに8月22日と
        決定していて(えっ?)その告知のポスターです。

市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」④

2009-06-09 18:15:31 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌が豊平川の扇状地に形成されたことは知識としてありましたが、今回の講義で扇状地の地形を生かしてまちが形成されてきたことを理解することができました。 

 今シリーズ「蝦夷地から北海道へ」の最終講義は「札幌の地形とまちづくり」と題して、日本社会教育学会評議員の田山修三氏のお話でした。
 田山氏の話は多岐にわたったのですが、その中から伝えやすい部分をピックアップしてレポートすることにします。

 札幌のまちは扇状地の上に形成された街であり、扇状地は真駒内公園辺りを頂点(扇頂)として、先端はJR函館本線の北側を取り囲むように扇状に広がっています。(扇状地の先端部を「扇端」、中央部を「扇央」という)
 扇状地は山間部から運ばれてきた大小の礫が体積してできた土地のため、水を通しやすく伏流水となるため水が得にくく農地には適さないようです。また、礫が体積しているため地盤はしっかりとしています。
 伏流水は扇端部で湧水として地上で表れます。

 こうした扇状地の特徴が札幌のまちを形成する上ではっきりと表れています。
 まず、鉄道の敷設にあたって地盤がしっかりしているところを調査した結果、扇端部に近いところに現在のように敷設が決まったとのことです。
 さらには伏流水が湧出するJR線の近くに水を大量に使用する工場群ができたようです。
 そして札幌市内の高層ビル群は地盤のしっかりしたJR線の南側に集中していることは地形の上からも理に適っているといえそうです。

 そう考えていくと、水を得にくい扇状地上(札幌市の南側)に農地が広がらず、扇状地を外れた市の北側(伏古、丘珠)に農地が広がっていたのも納得です。
 余談で講師が話されましたが、北側に大きなビルを立てようとするときはかなり地下深くまで杭を打ち込んで安定を図らねばならないということでした。

 こうしたことを知ったとき、札幌のまちづくりの構想を打ち立てた初代開拓使主席判官の島義勇の慧眼に感服せざるを得ません。ただ島義勇が地形学を習得していたかどうかは定かではありません。
 彼の構想は、江戸幕府の蝦夷地開拓掛の大友亀太郎が掘削した大友堀り(現在の創成川)を基準として構想されたということですから…。

 いや~、まちの形成過程もこうして見てくると興味深いものですねぇ・・・。


市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」③

2009-06-03 21:17:53 | 札幌学 & ほっかいどう学
 明治の怪人「駒田好洋(こまだ こうよう)」は日本に活動写真が初公開されたその年(明治30年)に北海道までやってきて上映したということです。

 市民カレッジ「蝦夷地から北海道へ」の第3講は「活動写真隊 明治の北海道を行く」と題して、前回に引き続き札幌の歴史に詳しい北海道新聞出版委員の前川公美夫氏による講座でした。

 今回の講座の主人公「駒田好洋」は活動写真が日本に導入された当初の無声映画の時代に、映写機を担いで全国を巡るだけでなく「活動弁士」として一世を風靡した有名人でした。
 その駒田好洋なる人物を私がなぜ「怪人」と称したかというと(講師の前川氏はそうした呼称を一度も使っておりません)、彼は有名人なるが故に新聞に度々取り上げられるのですが、そこで語る彼の話が大言壮語、虚実入り交じっているものでした。
 そうした彼のことを同業者は「大ぼら吹き」と揶揄したのですが、彼は意に介せず自らもほら吹きであることを認め、そのことが民衆の人気をさらに煽ったということですから、その有り様はまさに「怪人」そのもののように思えたのでした。

 駒田は明治31年に続いて翌32年にも北海道巡業を行い、この年には前年の函館、小樽、札幌のみならず、利尻、礼文、古平、厚岸、霧多布、根室などといった僻地にまで足を延ばしたそうです。
 その時の回顧談がまた虚実入り交じっていて、駒田の面目躍如(?)といったところです。

 講座は講師の前川氏が収集した駒田が上映したフィルムを見せていただいたり、駒田の声を再現した(実際の駒田の声は残されていないため、その声、雰囲気を真似たもの)テープを聴かせていただいたりと大変興味深いものでした。

 記録によると駒田は大正5年まで都合9回北海道を巡業で訪れていますが、僻地を巡回したのは明治31年だけだったようです。(その他の年は函館、小樽、札幌が中心です)
 なぜ僻地にまで足を延ばしたかというと、当時は漁業が大変盛んで景気も良く人口もそれなりにいたという背景がありました。
 それがなぜその年だけだったのかというと、当時の交通事情では重さ60Kgを超える映写機などの機材を抱えての巡業が想像以上に大変だったことがあったのだと思われます。(これは私の推測です)

 蝦夷地から北海道になって間もない明治時代の北海道は、まだまだ未開の地であったということでしょう。
 今回も前回と同様に視聴覚資料を縦横に活用した講義は大変興味深いものでした。

市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」②

2009-05-29 16:09:53 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌の街のもつイメージは大正末期に創られた「時計台の鐘」の中で歌われているイメージが現代にも受け継がれている。「これは希有な例ではないか」と講師は語りました。

 市民カレッジ「蝦夷地から北海道へ」の第2講は「響け『時計台の鐘』」と題して、札幌の歴史に詳しい北海道新聞出版委員の前川公美夫氏の講座でした。

 講座は札幌を題材にした歌の代表曲「時計台の鐘」(高階哲夫作詞・作曲)の誕生秘話、そして「時計台の鐘」に謳われている札幌の街のイメージに関することについてでした。それではまず「時計台の鐘」の歌詞を…、(赤字には私が直しました)
 
一、時計台の鐘が鳴る
  大空(おおぞら)遠くほのぼのと
  静かに夜は明けてきた
  ポプラの梢(こずえ)に陽(ひ)は照りだして
  きれいなあしたになりました
  時計台の鐘が鳴る
二、時計台の鐘が鳴る
  アカシアの木に陽(ひ)は落ちて
  静かに街も 暮れていく
  山の牧場の羊の群れ(むれ)も
  だまってお家へ帰るだろ
  時計台の鐘が鳴る

 「時計台の鐘」は、バイオリン奏者であった高階哲夫は札幌で行ったコンサートの評価が高くなく、落ち込んでいたときに創った曲だそうです。(大正12年)
 歌手であった妻の高階ます子の歌によって評判の高まった「時計台の鐘」はやがてレコーディング(昭和6年)されることになりますが、その時には詩やメロディーの一部が修正されて今に伝わる歌になったということです。

 さて、札幌の街のイメージについてですが、「時計台の鐘」の中に出てくる「時計台」、「ポプラ」、「アカシア」、「牧場の羊」という札幌をイメージする言葉は、今の札幌にも通ずる言葉ではないだろうか、と講師の前川氏は説きます。
 そしてその後創られた数々の「札幌のうた」を実際に聴きながら検証していきました。
 時代と共に街の貌が変わっていく都市が多い中、札幌のような例は希有ではないか、というのが前川氏の結論でした。

 たくさんの音源資料を持ち込んでの講座は興味深く、楽しいものでした。


市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」①

2009-05-20 22:19:17 | 札幌学 & ほっかいどう学
 1853年のペリーの浦賀来航より以前に外国船舶が北海道(蝦夷地)において接触があったなんて目からウロコでした。
 
 札幌市生涯学習センター(愛称:ちえりあ)を会場に開講されている札幌市民カレッジ「蝦夷地から北海道へ」の4回シリーズが始まりました。
 第1講は5月13日、「捕鯨船航海日誌のなかの蝦夷地」と題して藤女子大学の松本講師の講義がありました。

 松本氏は日本の近世、特に北海道が蝦夷地と呼ばれていた頃のことについて研究を深めているそうです。そこで当時蝦夷地に寄港した(しようとした)外国捕鯨船の航海日誌や証言から当時の蝦夷地社会を明らかにしようとしています。
 そこで今回は二つの事例をもとにお話いただきました。

 一つは、1846年に厚岸のウラヤコタンに捕鯨船レディ・ロウエナ号が船底の虫食いと浸水個所の修理のために寄港しようとします。
 ところが当時は鎖国時代であって、幕府は異国船に対しては「異国船打払令」を発していために警備を担当していた松前藩士はこれを押しとどめようとする。しかし、松前藩の警備体制は拙劣なため、捕鯨船からの火器の攻撃に対して為す術なく退却せねばならない状態だった。
 このことは、「ラッセル船長の航海日誌」、「国泰寺の『日鑑記』」を読み比べる中で明かである。

 さらにもう一例は、1850年に同じ厚岸のマヒロ沖で捕鯨船イートン号が座礁し破船します。
 ところがこの頃には幕府は異国船に対する扱いを「薪水給与令」に変えていたのです。
 そこで今度は松前藩は異国人に対して威厳を示す意味もあってか実力以上に背伸びして陣容を整えこれを迎えた。(迎えたといっても鎖国状態なので国内に入れる場合は捕虜として)
 異国人に対する扱いは丁寧であり、三度の食事はもとより、贅沢品まで供したようである。
 そして、警備の松前藩士たちは捕鯨船の船員たちのさまざまな持ち物に興味を示したことも乗組員の証言や国泰寺の日記から明らかになっている。

 こうした史実を史料をもとに読み解き明らかにしていく作業というのはなかなか興味深いものです。
 当時の厚岸地方の人たちが碧眼長身の外国人と遭ったときの驚きを想像すると大変なものだったのでしょうね。

(余話)
 新聞では大通公園で「ライラックまつり」が始まったと報じています。
たまたま昨日、大通公園を通ったところライラックがきれいに開花していましたので思わず足を停めてカメラに収めました。
 今回は紫色のライラックを、次回は白色のライラックの花をアップします。
        

        

市民カレッジ 札幌を学ぶ Part Ⅱ

2009-05-02 21:56:31 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌市には円山、藻岩山、野幌原始林と三つの原始林がありますが、これらは先人たちの英断や英雄的な活動で今に遺されていることを知り、先人たちの偉業に尊敬の念を覚えました。 

 札幌市生涯学習センター(愛称:ちえりあ 場所はこちら)で開催されている市民カレッジ「緑豊かな街札幌」の第3講、第4講をそれぞれ4月21日、4月28日と受講しました。
 それぞれの回のテーマは、
 第3講「『環状夢のグリーンベルト構想』と課題」(4/21)
 第4講「残された自然『世界に誇る-円山・藻岩山・野幌原始林』」(4/28)
というものでした。それぞれの回の講義の概要と感想を簡単にレポートします。

 『環状夢のグリーンベルト構想』と課題
 札幌には全市的に緑で取り巻くように外郭環状を形成するグリーンベルト構想があるそうです。その構想は、現在の市街地(住宅地)をぐるっと緑で囲もうとする構想です。
 まるで夢のような話ですが、実際には南区の森林地帯、手稲区、北区の畑作地帯を結び、その他のところは意識的に緑地を形成するなど、徐々にその構想は具体的な動きを見せているようです。
 しかし、現在利用されている土地を緑化していくという構想ですからコトはそう簡単には進みません。
 とても夢のある話ですが、夢は夢で終わってしまうこともありえます。
 しかし、遠い将来に向けてますます魅力的なマチづくりを進めようとしている札幌市の動きに期待したいと思います。

 残された自然『世界の誇る-丸山・藻岩山・野幌原始林』
 札幌には市街地にごく近いところに三ヶ所の原始林があります。(丸山・藻岩山は厳密には多少人の手が入っているので天然林と称するそうです)
 三ヶ所の原始林は早くから注目されていて、1921年天然記念物制度ができたときにそろってその指定を受けたということです。
 丸山・藻岩山は明治初期に開拓使がいちはやく「禁伐採」にしたことで今もその姿を保っているということで、いわば官主導で保護された歴史があるようです。
 対して野幌原生林は一時北海道(国)の方針で分割・払下げによって伐採される危機がありました。しかし、当時周辺で水田工作をしていた北越殖民社の人々の粘り強い反対運動が功を奏して現在の姿を保ったということでした。

 いずれの原始林とも多様な樹木や野草、そして多くの動物が生息する豊かな森を形成しています。
 身近なところにこうした魅力的な森を保存してくれた先人に思いを寄せるとともに、できるかぎり現地を訪れこうした財産を未来に引き継いでいきたい、とちょっと真面目に考えてみた田舎おじさんでした。

※ 市民カレッジは写真撮影が厳禁です。したがって、とても地味なレポートになってしまいます。でも時にはこうした地味なレポートもいいですかね。

市民カレッジ 札幌を学ぶ Part Ⅰ

2009-04-17 19:19:38 | 札幌学 & ほっかいどう学
 「札幌ウォーク」のレポートが続いていますが、ここでちょっとワンブレイクして違った話題をレポートします。

 緑ゆたかな街を目ざす札幌市の取り組みは、着実に成果を上げつつあるようです。このように札幌市が着々と整備されてきていることを知ることは一市民として大きな喜びです。

 札幌市生涯学習センター(場所はこちら)を会場に開催されている「さっぽろ市民カレッジ」の「札幌学」に関する講座を受講しています。
 この類の講座は、「さっぽろふるさと学」、「札幌の歴史をふりかえる」に続いて、今回の「緑豊かな街札幌」が三講目になります。

 今回の講座は4回シリーズで、毎週火曜夜に開講しています。
 今回は「緑ゆたかな街札幌」というテーマのもとで次のような講座が組まれました。
 ◇「モエレ沼公園~ごみ処理場からの大変身」(4月7日)
 ◇「札幌ならではのユニークな公園づくり」(4月14日)
 ◇「『環状夢のグリーンベルト構想』と課題」(4月21日)
 ◇「残された自然『世界に誇る-円山・藻岩山・野幌原始林』」(4月28日)

 これまで2回の講座が終了していますが、その印象を簡単に記しておくことにします。

1回目の講座はモエレ沼公園についてでした。
モエレ沼公園がゴミの埋め立て地を造成したことは知識としてありましたが、今の姿から想像もできません。私は夏も冬も何度も訪れていますが、北海道らしい広々とした素晴らしい公園です。しかもその公園全体が世界的な彫刻家イサム・ノグチ氏の作品ということですから、世界に誇る公園といっても良いのではないでしょうか。
 23年の工期、250億円の工費を費やして完成した公園は今や内外から年間80万人を超える人たちが訪れる観光スポットにもなっているとのことです。札幌市民のみならず、多くの人に案内したい公園です。

 2回目の講座は公園そのもの、そして札幌市の公園の実状について学びました。
 札幌市は人口が100万人を超えた1972年からも人口が増え続けていますが、公園の面積はそれ以上の勢いで増えているとのことでした。
 1972年から現在までの人口の伸び率が1.8倍なのに対して、公園面積は7.5倍、一人当たりの面積にしても4.1倍の伸び率だそうです。
 全国的に見ても政令指定都市の中で一人当たりの公園面積では神戸市、北九州市に次いで3番目に広い面積を確保しているそうです。
 そして講師は「札幌の公園はこれからは造る時代ではなく、いかに活用するかという時代である」と話されました。さらには公園のリニューアルも必要で、その際は利用者(周辺住民)と一緒になったプランづくりを積極的に進めているとのことでした。

 2回目の講座の終了後、講師の方にちょっと質問があって交流をした際に「札幌の公園数は全国一なんですよ」と話されました。なるほど、私が「札幌ウォーク」で市内を巡っていると、「これでも公園?」というようなかわわい公園に出会います。札幌市では意図的にちょっとした空き地でも街区公園(以前の児童公園)づくりを心がけているようです。

 札幌市の公園づくりには意図を感じましたし、積極性も感ずることができました。そのことが市内に存在するさまざまな特長ある公園として実現したのだと理解できました。
 札幌市内の公園をおおいに活用したいものです。