田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道の臨床心理士の実状 ~ 「ほっかいどう学」レポート №7

2009-12-14 19:35:36 | 札幌学 & ほっかいどう学
 心の病を訴える人が増加しつつある現代において、カウンセリングはその病を癒す有効な手段の一つといわれています。そのカウンセリングを行うカウンセラーの中でも臨床心理学の学問的な基盤を持った方を「臨床心理士」と呼んでいるようです。 

 道民カレッジ「ほっかいどう学」放送大学講座の第7回講座は「こころの健康のために~北海道における心理臨床を考える~」と題して、北翔大学の稲田尚史教授と北翔大学大学院の村瀬嘉代子教授のお二人による講義でした。
 講義はまだ一般的にはその認知度が低い「臨床心理士」という職についての理解を図るというのが目的のようでした。
 臨床心理士という制度ができてまだ日が浅いこともあり、多くの臨床心理士が札幌圏に偏在している事実があります。北海道のように広大な地域では専門的技量を有する臨床心理士によるカウンセリングが受けられない地域が多数存在することが課題のようです。
 そのことに対する解決策は果たして?

 それでは私の第7回目のレポートをご覧いただきたいと思います。
 なお、第7回目の放送講座の内容をご覧になりたい方はこちらをクリックください。(

 「こころの健康のために~北海道における心理臨床を考える~」感想レポート
社会が複雑化する中で心の病を抱える人たちが増加傾向にあり、カウンセリングの重要性が増してきているようです。そのカウンセリングを行うカウンセラーの中で、臨床心理学の学問的基盤を持ち資格認定協会によって認められた人を「臨床心理士」と呼んでいるとのことです。
 臨床心理士が誕生してからまだ日が浅く、道内では平成4年に北海道臨床心理士会が誕生したそうです。そのため社会的な認知度はまだ低く、私など3年前までオホーツク地方で教員をしていましたが、恥ずかしながら「臨床心理士」の存在を詳しくは知りませんでした。
 その臨床心理士が現在では道内に460余名もいるのですが、そのほとんどが札幌圏に偏在していることが課題のようです。
 例えば現在道内の各小・中・高校ではスクールカウンセラーの配置を進めていますが、札幌圏以外では臨床心理士の資格を得たスクールカウンセラーが極端に少ない現状のようです。
 このように臨床心理士が地方に少ない現状に鑑みて、講師の村瀬氏は北海道の地域性や風土に応じた心理臨床として「統合的アプローチ」が有効であると提唱しました。その統合的アプローチとは、複数の視点から観察し、全体像を押さえながら、個別的に対応することだ、としています。
 統合的アプローチが心理臨床の一手法であることは理解できましたが、そのアプローチ法が臨床心理士が少ない地方になぜ有効であるという点については残念ながら理解することができませんでした。

グローバル化と北海道経済 ~「ほっかいどう学」レポート №6

2009-12-09 17:26:31 | 札幌学 & ほっかいどう学
  国内的にも後れをとると言われる北海道経済が、グローバル化が進む中で成長して行く鍵は何なのか。一つの提言を伺うことができました。はたして?
 
 道民カレッジ「ほっかいどう学」大学放送講座の第6回目は「グローバル化の波に乗れ!~北海道経済の可能性と課題」と題して、北海学園大学の菅原秀幸氏の講義でした。
 経済学はまったく門外漢の私ですが、話題が私たちの生活に直結しているとあって、私の聞きかじり情報と合わせながら興味深く伺いました。
 百家争鳴、さまざまな方々が評論や提言を繰り返す北海道経済ですが、今回の講義を受けた印象は正直に申し上げて、少し楽観しすぎるのでは、というのが私の印象でした。
 はたしてそのあたりが伝わるレポートとなっているでしようか?

 それでは第6回目のレポートをご覧ください。
 なお、該当の放送内容をご覧になりたい方はこちらをクリックください。(

「グローバル化の波に乗れ!~北海道経済の可能性と課題」感想レポート
 経済学には全く門外漢の私ですが興味深く視聴することができました。そして講師の菅原教授が北海道経済の未来をポジティブに捉えられていることは視聴していて気分が悪くはありませんでした。
 しかし、視聴を終えて講義を振り返ったとき「本当に菅原教授が主張されるとおり北海道経済の未来は明るいのだろうか」という疑問が残ってしまいました。
 例えば、経済成長の方程式の三つの要因のうち二つまでが北海道においては期待できないのに、それでいて北海道の成長が見えてくるのだろうかということです。
 さらに氏が提示したSWOT分析において、北海道の強みは<農業、水産業、観光業>であるとしました。このこともあくまで日本国内と限った場合のことではないでしょうか。時代がグローバル経済に移行してきた今、はたして世界を相手にして太刀打ちできる北海道の現状なのだろうかという不安が残ります。
 とは言いつつも、北海道の経済的発展はその強みを除いては何もないということかもしれません。課題は菅原氏が唱えるようにその強みである<農業、水産業、観光業>にいかに「付加価値」を高めて提案できるかということなのでしょう。
 氏は最後に《論ずる北海道から、実践する北海道》の時だと述べました。
 私は大学人もまた論ずるだけではなく、実体経済を体験(試行)しつつ論考を深めていくような姿勢が必要ではないかと思いました。


QOL(quality of life)を高める ~「ほっかいどう学」レポート №5

2009-12-05 21:14:53 | 札幌学 & ほっかいどう学
 生活の質、人生の質、生命の質・・・、こうしたことを高めたいと思うのは全ての人の望みでしょう。私もまたこうした質を高めて、これからの人生を「より良く生きていきたい」と願っています。

 道民カレッジ「ほっかいどう学」大学放送講座の第5回目は「すべての人々に健康と幸福を~ヘルスプロモーションの可能性と課題~」と題して、旭川大学保健福祉学部の松浦智和氏の講義でした。
 私はレポート(下記)の冒頭に「自分の立ち位置をどこに置くか迷ってしまいました」と記しました。というのは、今回の講義はどちらかというと心身の健康を促進する側、施策を講じる側の人々に対する講義であるように受け取ったからです。
 そういう立場にはいない私は上記のように迷ったのですが、個人として今回の講義を前向きに受け止めるべき立場でレポートを作成しました。
 
 それでは第5回目のレポートをご覧ください。
 なお、該当の放送内容はこちらです。(

「すべての人々に健康と幸福を~ヘルスプロモーションの可能性と課題~」感想レポート
 番組の視聴を終えて、私は自分の立ち位置をどこに置くべきなのか正直言って迷いました。そこで松浦先生の趣旨を十分に咀嚼することにはならないかもしれませんが、次のように解釈し、自らの生き方に反映していきたいと考えました。
 ヘルスプロモーションの考え方はコミュニティの仕組みであり、それを推進するための枠組みであると捉えました。
 そこで私個人としては、「より良く生きる」、つまり「QOL」を追求することを第一義的に考えたいと思いました。
 そしてQOLを追求する過程において、コミュニティや行政に希望を述べたり、同じ志を持つ仲間を求めたりすることがヘルスプロモーションの考え方に繋がるのではと考えました。
 オタワ憲章では「健康は人生の目的ではなく、日常生活の資源である」と述べられているそうである。人生60年を過ぎ、自らの健康に留意しなければならないのは当然であるが、そのことが全てだとしたらいかにも無味乾燥な人生となってしまう。健康に留意しつつ、「より良く生きる」ことに貪欲となるくらいの気持ちで生きていきたいと思います。
 そしてそのことを仲間に、コミュニティに伝え、広げていくことが大切なのだと今回の講座を受けて思ったところです。


※ 私の雑学もあちこちへと触手を伸ばします。拡散し続ける私の興味ですが、いつかは収斂していくことも必要かもしれませんね…。

市民カレッジ 「北の大地の羅針盤になった先達」③ 岡崎文吉

2009-12-04 19:22:07 | 札幌学 & ほっかいどう学
  北海道の開発初期に、人間と自然の共生を唱える岡崎文吉という技術者がいたことを初めて知りました。先見の明に優れた彼の理論は時代が早すぎたためか日本においては片隅に追いやられてしまいましたが、環境問題が声高に語られる現代になって脚光を浴びつつあるようです。

 ※写真もない地味レポです。どうぞお付き合いください。
 
 何年か前に、「直線化された標津川を元のように蛇行した川に復元する工事が始まった」というニュースを耳にしたことがあります。それを耳にした私は「川の直線化工事に税金を投入し、今度はそれを元に戻すためにまたまた税金を投入するとは・・・」と思ったものでした。

 市民カレッジの今シリーズ最後の講座は、流水の科学者と讃えられる「岡崎文吉」が取り上げられました。(「流氷」ではありません。「流水」ですよ!)
 講師は長らく北海タイムスの記者や論説委員を務められ、現在は北海道総合研究所所長をしている浅田英祺氏でした。氏は「流水の科学者 岡崎文吉」という岡崎の人間像を深く掘り下げた大作(価格 13,650円)を書き上げた方です。
 その本の惹句には次のように書かれています。
 「『自然に反する技術は到底自然の事業及法則を超越して成功すること能わざるべし』(岡崎の言葉)自然としての河川との共生のあり方、生涯を通じて実践的に追求した先駆的思想家=技術者岡崎の没後50年、歴史の奥底に忘れ去られていた人物が現代に甦る。」

 浅田氏によると、岡崎は札幌農学校(現在の北大の前身)工学科に学び、その優秀な頭脳は若干22才にして札幌農学校助教授に任ぜられるほどでした。その後北海道庁技師として北海道の公共土木事業の総括責任者となり、特に大水害を起こした石狩川治水計画に携わることになります。
 そこで治水理論として当時主流となりつつあった河道の直線化を推進する捷水路派には立たず、蛇行する河道の現状を維持することを前提とする自然主義治水理論を提唱したのでした。彼はその際、弾力性のある鉄筋コンクリート・マットレス(岡崎式護岸工)を考案しています。石狩川にはわずかですが、それを施したところも現存しているそうです。

 ところが国内の治水理論は捷水路派が主導することとなってしまい、岡崎は治水現場から遠ざけられてしまうのです。それは、その後の石狩川治水工事の推移をみれば明らかなことです。
 しかし、岡崎理論はアメリカの大河ミシシッピー川の護岸工事の中に脈々と生き続けていることを浅田氏が知ることとなりました。

 浅田氏の発見はSTVのディレクター(津島氏)を動かすこととなり、STVはミシシッピー川まで赴き一つのドキュメンタリー番組が誕生しました。私たちはそのVTRを見ることができました。
 そこには岡崎が提唱した「鉄筋コンクリート・マットレス」を今もなお敷設しつづけるミシシッピー川の工事の様子が描かれていました。現在それが敷設された距離は総計1,600Kmにいたっているそうです。

 「自然であることは美しい。自然と共にあれ」と唱えた岡崎文吉の思いに、時代がようやく追いついたという感じがします。公の機関をはじめ多くの分野で岡崎文吉の考えや思想が再評価されるようになりました。

 岡山生まれの岡崎が北海道の地に学び、北海道の地から提唱した「自然主義治水理論」が脚光を浴びるようになったことを今回の講座を通じて知ることとなり「またひとつ私の中に財産が増えた」と喜んでいます。
とは言え、最近は同時に私の中から消えゆく知識も増加傾向にありますが・・・。(苦笑)

市民カレッジ 「北の大地の羅針盤になった先達」② 札幌の女傑

2009-11-28 15:10:35 | 札幌学 & ほっかいどう学
  明治の札幌では新聞社が投票によって札幌の女傑ランキングを発表していたそうです。そこから浮かび上がってきた札幌の女傑とは? 

 市民カレッジの講座そのものは3回目なのですが、私は先週欠席したために、私にとって11月24日は2回目ということでカウントすることにします。

 今回の講座は、「札幌の女傑とその時代」と題して、千歳市史編纂主任編集員の西田秀子氏による講義でした。

 明治31年、後発の新聞社であった「北海日日新聞」は販路拡大の話題づくりもあって「札幌三女傑」なる投票を募ったようです。その結果、第一位~秋野保全堂の母堂、第二位~小竹とめ、第三位~サ印越後屋の妻女と決定したようです。
 講座では、そのうち第一位の秋野保全堂の母堂と、第二位の小竹とめを取り上げながらその時代背景に迫りました。

 第一位になった秋野保全堂の母堂キトは、最初渡辺佐五右衛門と結婚し夫婦力を合わせて明治5年、薬種売薬店を開いたが夫に先立たれ、秋野武三郎と再婚して「一の秋野薬舗」として手広く商売を展開したようです。秋野キトの女傑たる所以は、先夫と開業した薬店を再婚してからも引き継いで商売を繁栄させたという点です。つまり商売の主導権はキトが握っていたのではないかと私は推測するのです。
 なお、明治34年に建てられたという「秋野総本店薬局」は今も南1条西1丁目に明治の香りを放ちながら商売も続けられていることは札幌っ子ならよくご存知のことです。

 第二位となった小竹トメは、秋田大館の生まれで29歳の時に兄の高橋紋三衛門を頼って来道し、煎餅屋をしていた小竹和七を助けているうちに夫婦となったようです。明治8年、小竹商店として開業し、米穀・雑貨・荒物・青物など生活物資を何でも取り扱い、使用人を10人も数えるほど繁盛させました。その中で小竹トメの働きぶりはつとに有名だったようです。
 小竹トメの場合も夫に先立たれているが、夫亡き後も店を切り盛りし店は一層の隆盛を誇ったようです。明治30年には帯広伏古に農地81万坪の払い下げを受け農事経営にも乗り出したとのことです。

 明治期に女傑と言われた人たちは上記の二人をはじめ多くは商家の人たちです。
 当時はまだ職業婦人が登場する以前のことで、社会的には男性規範の時代でした。
 そのような中で女性が力を発揮できるのは、個人的経営の商家の場合には夫を陰から支えていたつもりが、いつの間にか二人三脚となり、そのうちにそうした妻女が商売には欠かせぬ存在となっていったということではないでしょうか。(私の推測もかなり入っていますが)

 マスコミが意識的(?)に創り出したとはいえ、封建的風潮が色濃い明治の時代に男勝りの女性が札幌(北海道)の地で活躍していたということは、いかにも新天地北海道という感じがしないでもありません。

北海道と温暖化 ~「ほっかいどう学」レポート №4~

2009-11-26 16:36:12 | 札幌学 & ほっかいどう学
  道東のサロマ湖においても地球温暖化の影響が顕著に表れているようです。サロマ湖の変化というローカルな問題が、地球全体の変化も予感させるグローバルな問題であることを分かり易く指摘してくれる講座でした。 

 道民カレッジ「大学放送講座」は、すでに最終回(8回)まで進んでいます。
 私のレポート作成は遅れ気味ですが、本日第5回までレポートを事務局に提出してきました。
 提出はしたのですが、内容を特に検めることもなく検印を押して直ぐに返されました。ちょっと拍子抜けです。まあ、内容は問わないということなのでしょう…。
 う~ん。でも私はこうしてブログに投稿することによって、みなさんに評価してもらうことにしましょう…。

 それでは第4回目のレポートをご覧ください。
 なお、該当の放送内容はこちら()です。

 「北海道と温暖化~サロマ湖の水質への影響~」 感想レポート
 地球の温暖化が地球の生態系に大きな影響を与えている報告がよく聞こえてくる昨今です。
 今回の講座は私たちのごく身近なサロマ湖に起こっている変化を具体的に論証した貴重な報告です。それは東京農大の塩本教授も述べているように、ローカルな話題でありながらグローバルな問題提起でもあると思います。
 サロマ湖の冬の全面結氷の期間が短くなり、氷自体の厚さも薄くなっているという報告は、明らかに地球が温暖化の傾向を示している証ではないでしょうか。
 そしてそのことがサロマ湖の生態系にも影響を与え、水質の変化にも繋がると塩本教授は指摘します。そのメカニズムについて私たちにも分かり易く説明していただきました。
 ホタテガイの養殖をはじめ、豊かな漁業資源に恵まれたサロマ湖の水質変化は湖で生活する漁業者に大きな影響を与えます。
 それはサロマ湖のことというローカルな問題ではなく、地球全体にも及ぶグローバルな問題の指摘でもあります。
 地球温暖化阻止はこうした事象を見ていくと、「まったなし」の問題のようにも思えてくるのですが、未だ危機感の希薄な層もあり世界中の共通認識となっていないところが気になるところです。
 

新しいウォーキング? ~「ほっかいどう学」レポート №3

2009-11-25 22:10:49 | 札幌学 & ほっかいどう学
  北海道らしい新しいウォーキングの提案でしたが、ウォーキングに多少の興味のある私としては素直に賛成しかねる提案と映りました。
 
 その後も道民カレッジ「ほっかいどう学」~放送講座~に地道に取り組んでいます。
 今回は「北海道らしい健康運動~新しいウォーキングを考える~」と題して、北海道大学の川初教授の講座でした。
 講座は北海道らしい新しいウォーキングのあり方についての提案でしたが、普段からウォーキングに取り組んでいる私としては素直には賛成できる内容でなかったように思ったのですが…。
 私のレポートをお読みください。
 放送内容を知りたい方はこちら()をクリックください。

 「北海道らしい健康運動~新しいウォーキングを考える~」 感想レポート

 今回の講座では「北海道らしいウォーキング」として二つの歩き方が提案されました。
 一つは、「ノルディックウォーキング」、二つ目に「ふともも歩き(ヒップ・ストライド)」の提案でした。二つともなかなか興味のある提案でした。
 しかし、ウォーキングには少なからず関心のある私としては正直に告白すると提案された二つの歩き方に素直に賛同はできかねました。
 なるほど放送ではその効用について詳しい解説がありましたが、二つの歩き方が相当に意識を高くもって取り組まねば長続きしないように映った点です。特に「ふともも歩き」については確かに負荷がかかり脚筋力を強くできるかもしれませんが、見た目にも不自然ですし、とても長続きするウォーキングの方法とは思えません。
 有酸素運動として長く続けるためには、ごく自然に行い、単純な目標設定で続けることが、その目的に近づけるのではないかと私は常々思っています。
 したがって私は現在、歩数計を購入し、「一日一万歩」という単純な目標を設定して自らの健康づくりの一助としています。


市民カレッジ 「北の大地の羅針盤になった先達」① 永山武四郎

2009-11-17 19:49:14 | 札幌学 & ほっかいどう学
 ※ もはやブログホリックと化してしまった私にとって4日間の空白は耐え難いものでした。まだ投薬はしばらく続き、いつまた休止に追いやられる体たらく演じるかもしれませんが、しびれを切らして本日より投稿を再開することにしました。どうぞよろしくお願いします。 

 日本の南端薩摩藩士の子孫であった「永山武四郎」が、北の大地北海道の開拓になくてはならぬ人であったことは興味深いことです。
 
 さっぽろ市民カレッジ2009秋のシリーズが札幌市生涯学習センター(愛称:ちえりあ)で始まりました。私はこれまで同様「札幌学」を受講することにしました。
 その第一回目の講座が体調を崩しつつあった11月10日(火)にありました。
 講座は「屯田兵の父・永山武四郎の業績と人生 ~我が躯は北海道に埋めよ、必ずやかの地を守らん~」と題してノンフィクション作家の合田一道氏を講師に迎えてのものでした。

 今回の講座で私は合田一道氏から講義を受けることを楽しみにしていました。
 合田氏は道内在住のノンフィクション作家として著名ですし、各地の講演でも好評を博している方だったからです。事実、講義室で私の近くに座った3~4人の高齢者の方々は合田氏の「追っかけ」らしく、合田氏から「また来ているのかい」と声を掛けられていました。
 講義内容はまとまったものとは言い難く、話があちこちに飛び火するものでしたが、合田氏の豊富な知識がそうさせたものでけっして不愉快なものではありませんでした。というのも永山武四郎の業績について受講者はある程度の知識があるという前提に立ってお話しされていたように思われたからです。
 その講義の中で私自身が興味を抱いたことを断片的にレポートしてみます。

○武四郎は戊辰戦争の薩長軍の一員として従軍、その後明治新政府により北海道開拓使を命ぜられた。
○屯田兵について、当時の北海道開拓の責任者であった黒田清隆の命を受けた永山武四郎らが中心となって「屯田兵制度」の試案を作成し、それが実現したものであった。
○屯田兵は、北海道の警備(ロシアの侵攻に対する)と開拓を担うもので、戊辰戦争で敗北した東北諸藩の士族出身者を充てたものだった。(後年は平民も屯田兵として徴用された)
○屯田兵の組織は、「伍」が最小単位で準伍長1名、兵卒4名であった。伍が六つ集まって「分隊」、分隊が四つ集まって「小隊」、小隊を二つ合わせて「中隊」、中隊を二つ合わせて「大隊」、大隊三つを合わせて「聯隊」とした。
○西郷隆盛が起こした西南の役には、永山武四郎も率いた屯田兵が鎮圧のために九州に赴き、自らの出身藩である薩摩の人たちと戦うという苦渋も経験した。

 こうしたことが、古文書から、また合田一道氏の話から明らかになっていきました。
 まだまだ得た知識はたくさんありますが、永山武四郎は「屯田兵制度」を作成しただけではなく、その後も屯田兵に関わり続け、全道各地に屯田兵が進出し開拓をしていく際の中心的な役割を果たしたのでした。
 非常に重要な役割を担い功績を上げたにもかかわらず、武四郎に政治的野心はなく、彼の思いはただただ「公」のために尽くす、北海道をロシアの進出から護ることに注がれていたようです。
 このことから派生して、合田氏は「現代は公の意識が全く欠落した時代である」と断じました。
 確かに国を司る立場の人や公に殉ずるべき高級官僚が私することばかり考えている現状を知ったら永山武四郎も嘆き悲しむことでしょう。
 武四郎は1904年、病没しましたがその遺志により亡骸は札幌市内の霊園に眠っているそうです。

 久しぶり(?)のレポートは固いものになってしまいましたなぁ~。
 また、今日は第2回目の講座だったのですが、涙を呑んで今回は自粛することにしました。

蠣崎波響とは? ~「ほっかいどう学」レポート №2

2009-11-05 20:13:12 | 札幌学 & ほっかいどう学
 ※ 昨日260人の訪問があって安堵(?)していたら、今日は184人と急降下です。しかたありませんね。体験レポが伝えられないのですから…。今回もまた写真なしの地味レポです。お付き合いください。
 
  蠣崎波響(かきざき はきょう)いう名を初めて聞いた。
  江戸時代に日本の絵画史上にその名を刻むほどの業績を残した蠣崎波響であったが、江戸から遠い松前にあったために中央からは注目されず、その名が埋もれていたようである。

 第2回の道民カレッジ「ほっかいどう学」~放送大学講座~は、「江戸のリアリズム~蠣崎波響とその時代~」をテーマとしたものでした。
 松前藩家老であった蠣崎波響は藩政よりは画家としてその名を残した人です。
 今回の放送を通じて新たな知識を一つ加えることができました。
 それでは道民カレッジ事務局に届けるレポートを…。

※ 放送内容に興味のある方はこちらを()クリックください。

「江戸のリアリズム~蠣崎波響とその時代~」感想レポート

 浅学な私にとって画家「蠣崎波響」という名は恥ずかしながら初めて聞く名であった。今回の放送を視聴して、その偉大さに触れ、少しく蠣崎について調べ、多少は理解することができたと思っている。
 松前藩家老でもあった蠣崎の絵が世に認められたのは、まるでそこにアイヌ人がいるかのように臨場感たっぷりに描かれた「夷酋列像」(いしゅうれつぞう)である。
 放送で紹介された「夷酋列像」は美しく彩色され、細部までこだわって描かれていて、その緻密な描写には驚かされる。この「夷酋列像」については政治的な意図も絡み、さまざまな評価がされているようであるが、純粋な絵画として見たときにそのレベルの高さを思い知らされる。
 実は蠣崎はこうした技法を松前から江戸に出て学んでいる。それも1773年~1783年までと10年間に及んでいる。蠣崎が10~20才にかけてである。当時においても上流社会においては、子弟を中央に留学させて学ばせるということが当たり前に行われていたということであろうか?


「ほっかいどう学」レポート №1

2009-11-03 18:02:21 | 札幌学 & ほっかいどう学
 体調の不良は私のブログにも大きな影響を及ぼしています。札幌市内へ出向いての取材がままならないためにネタ不足に陥っています。
 そこで窮余の一策、皆さんにとっては面白くも何ともないネタで繋ぐことにしました。

 私は自分の仕事とも関わりがあることから、札幌市民カレッジ、道民カレッジにそれぞれ登録し、興味ある講座をチョイスして受講しています。
 その一つとして道民カレッジ「ほっかいどう学」~大学放送講座~を受講しています。この講座は放送を視聴してその感想レポートを事務局に提出して単位を取得できることになっています。
 そこでそのレポートをブログに投稿してお茶を濁そうと考えました。
 第一回は10月3日に放送があった「歯磨きで医療費ダウン!~鹿追町の健康計画~」についてのレポートです。(感想は400字程度と定められています)
※ 放送内容に興味のある方はこちらをクリックしてください。 


〔内なる声〕
 いつも地味な私のレポートですが、それに輪をかけるように地味なレポートでアクセスは激減するだろうなぁ…。みなさんどうぞアクセスしてくださ~い! お願いしまあ~す! 


 歯磨きを地域住民に奨励することによって町全体の医療費の軽減を図ろうとする鹿追町の試みは興味深い試みである。しかもデータ的に効果が表れているということは傾聴に値することである。
 住民の医療費が上昇傾向にあることはどこの自治体においても深刻な問題だと聞いている。そうした中、鹿追町では「歯磨きの奨励」をシンボリックなスローガンとして、地域住民の食生活や生活習慣の改善をねらいとする「いきいき健康生活21 inしかおい」を策定し、2001年度より実践してきた結果、さまざまな数値が改善傾向にあることがデータから明らかになってきたとのことである。
 放送を視聴して、データがやや弱いかなと思いましたが、鹿追町の医療費の伸びが想定に対して頭打ち傾向にあることは注目すべきことである。
 地域全体を巻き込んでのこのような取り組みには難しい側面があるものだが、勇気をもって取り組んだ鹿追町に敬意を表したいと思います。ぜひとも鹿追町に続く自治体が次々と現れて大きな輪となり、いつか日本全体の医療費の抑制に繋がってほしいものである。