JR新琴似駅の近くにある「新琴似神社」の境内に「新琴似屯田兵中隊本部」の建物が復元されて展示されている。調べてみると、そもそも「新琴似神社」の設立経過に中隊本部が関わっているということだ。

「新琴似神社」は、JR琴似駅から350m、地下鉄麻生駅からでも700m程度の近さにある。
ここは以前に一度訪れていたが、その時は「新琴似屯田兵中隊本部」の復元された建物の中に入ることができなかった。というもの、この建物は夏季間(4~11月)の月・水・金・日しか開館していなく、以前に訪れた時は閉館日のために入館できなかったのだ。
それでは昨日同様、石碑等を羅列することにする。
① 新琴似屯田兵中隊本部

2回目にして入館なった「新琴似屯田兵中隊本部」を再現した建物であるが、意外に小さな建物だった。内部は新琴似屯田兵ついて説明する資料が展示されていたり、当時の屯田兵の生活の様子を物語る生活用具が展示されているなど、ミニ資料館といった趣だった。
この建物はバルーンフレーム構造といって、アメリカ中西部の開拓期に流行した構法を取り入れたということからも貴重な資料となっているようだ。

※ 中隊本部の建物、前庭を含めたジオラマが展示されていました。

※ 中隊長室と執務机が再現なされていました。

※ 数ある展示の中で、私が最も興味を覚えた展示でした。
また、この建物が新琴似神社の境内にあるということは、そもそもは当地に中隊本部が設置されたときに、中隊の横に神祠が建立されたのが新琴似神社の始まりとされているということだ。
② 新琴似「拓魂」碑
開基100年を迎え、地域発展に尽くしてきた歴代の農業協同組合長を顕彰して昭和61年に建てられたそうだ。
③ 新琴似兵村記念碑
屯田兵入植から50年を迎えたことを記念して、昭和11年に建てられた碑である。
④ 東繁造君学勲碑
人間と家畜の血液を早く確実に見分ける方法に成功した、東繁造の功績をたたえて有志により建てられた碑である。
⑤ 新琴似の馬魂碑
光明寺(新琴似7-1)の前庭にあったものを、昭和50年に新琴似神社境内に移したものである。開墾に貢献した農耕馬を供養するために建てられたものである。
⑥ 吹田晋平歌碑
吹田晋平(本名 菅進)の文学と札幌市政への功績たたえ、有志により建てられたもの。私はここで、江南神社で知った歌人・晋平が札幌の歌人であることを確認したのだった。
⑦ 新琴似「百年碑」
新琴似地区の開基100年を記念し、先人たちの偉業をたたえるとともに、地域の発展を願い昭和61年に建てられた。
以上が、新琴似神社に建てられている石碑類だが、新琴似神社の近くには他に二つほど地域の歴史を後世に伝える跡がある。
⑧ 歌人・若山牧水来訪の地
この表示は新琴似神社の道路向かいにあるはずなのだが、どうしても見つけることができなかった。思い余った私は、近くの「新琴似まちづくりセンター」を訪ねて、職員に伺ったのだが、教えられたところくまなく探してみたが、見つけることができなかった。
⑨ 新琴似歌舞伎の跡地
開拓当時(明治30年頃)、新琴似の周辺では農民芸能として農村歌舞伎が華々しく演じられ、大変な人気を博したという。そして、最盛期には常設劇場「若松館」まであったという。その「若松館」が建っていた跡の歩道上に銘板が埋められている。
「新琴似屯田兵中隊本部」が現在のJR琴似駅と地下鉄麻生駅の近くにあるということは、この辺りの発展が中隊本部を中心として広がっていったことを物語っているようだ。
(2017/10/26)

「新琴似神社」は、JR琴似駅から350m、地下鉄麻生駅からでも700m程度の近さにある。
ここは以前に一度訪れていたが、その時は「新琴似屯田兵中隊本部」の復元された建物の中に入ることができなかった。というもの、この建物は夏季間(4~11月)の月・水・金・日しか開館していなく、以前に訪れた時は閉館日のために入館できなかったのだ。
それでは昨日同様、石碑等を羅列することにする。
① 新琴似屯田兵中隊本部

2回目にして入館なった「新琴似屯田兵中隊本部」を再現した建物であるが、意外に小さな建物だった。内部は新琴似屯田兵ついて説明する資料が展示されていたり、当時の屯田兵の生活の様子を物語る生活用具が展示されているなど、ミニ資料館といった趣だった。
この建物はバルーンフレーム構造といって、アメリカ中西部の開拓期に流行した構法を取り入れたということからも貴重な資料となっているようだ。

※ 中隊本部の建物、前庭を含めたジオラマが展示されていました。

※ 中隊長室と執務机が再現なされていました。

※ 数ある展示の中で、私が最も興味を覚えた展示でした。
また、この建物が新琴似神社の境内にあるということは、そもそもは当地に中隊本部が設置されたときに、中隊の横に神祠が建立されたのが新琴似神社の始まりとされているということだ。
② 新琴似「拓魂」碑

開基100年を迎え、地域発展に尽くしてきた歴代の農業協同組合長を顕彰して昭和61年に建てられたそうだ。
③ 新琴似兵村記念碑

屯田兵入植から50年を迎えたことを記念して、昭和11年に建てられた碑である。
④ 東繁造君学勲碑

人間と家畜の血液を早く確実に見分ける方法に成功した、東繁造の功績をたたえて有志により建てられた碑である。
⑤ 新琴似の馬魂碑

光明寺(新琴似7-1)の前庭にあったものを、昭和50年に新琴似神社境内に移したものである。開墾に貢献した農耕馬を供養するために建てられたものである。
⑥ 吹田晋平歌碑

吹田晋平(本名 菅進)の文学と札幌市政への功績たたえ、有志により建てられたもの。私はここで、江南神社で知った歌人・晋平が札幌の歌人であることを確認したのだった。
⑦ 新琴似「百年碑」

新琴似地区の開基100年を記念し、先人たちの偉業をたたえるとともに、地域の発展を願い昭和61年に建てられた。
以上が、新琴似神社に建てられている石碑類だが、新琴似神社の近くには他に二つほど地域の歴史を後世に伝える跡がある。
⑧ 歌人・若山牧水来訪の地
この表示は新琴似神社の道路向かいにあるはずなのだが、どうしても見つけることができなかった。思い余った私は、近くの「新琴似まちづくりセンター」を訪ねて、職員に伺ったのだが、教えられたところくまなく探してみたが、見つけることができなかった。
⑨ 新琴似歌舞伎の跡地

開拓当時(明治30年頃)、新琴似の周辺では農民芸能として農村歌舞伎が華々しく演じられ、大変な人気を博したという。そして、最盛期には常設劇場「若松館」まであったという。その「若松館」が建っていた跡の歩道上に銘板が埋められている。
「新琴似屯田兵中隊本部」が現在のJR琴似駅と地下鉄麻生駅の近くにあるということは、この辺りの発展が中隊本部を中心として広がっていったことを物語っているようだ。
(2017/10/26)