昭和の初期(昭和11年)、日本中を震撼させた2.26事件の関係者が3人も旭川に住んでいたことがあるという。ノンフィクション作家:梯久美子氏の執拗なまでも史実を追い求め、それを語る姿に圧倒させられた2時間だった。
梯氏の講演を聴いて帰宅したばかりである。まだまだ梯氏のお話を咀嚼出来てはいない。いつか落ち着いてレポできたらと思うが、とりあえず聞いたばかりのお話の概要を綴ってみたいと思う。
本日、午後6時から自治労会館で「労文協リレー講座」の第3回講座が開講され聴講してきた。本日の講師はノンフィクション作家の梯久美子さんだった。テーマは「この父ありて~二・二六事件と昭和史の中の旭川」という演題だった。
梯氏は最新刊として「この父ありて~娘たちの歳月」を上梓しているが、その中で梯氏は9人の女性作家と父親との関りを取り上げているが、今夕はその中から旭川に関係のあった二人の女性を取り上げて語ってくれた。
二人とはノートルダム清心女子大学の学長、理事長を務められた渡辺和子氏、もう一人は歌人の齋藤史氏である。
渡辺和子氏は2.26事件で犠牲となった教育総監の渡辺錠太郎の次女である。
一方、齋藤史氏は歌人として歌会始の召人を務めるなど歌人として名を成した人だが、2.26事件で反乱軍を幇助したとして禁固刑となった陸軍少将の齋藤瀏の長女である。
その渡辺錠太郎は1926(大正15)年から3年間第7師団長を務めるが、その時師団参謀長を務めたのが齋藤瀏だという。
リード文で第7師団関係者を3人と記したが、もう一人は反乱軍のリーダーの一人だった栗原安秀は旭川の小学校で齋藤史と同級生で、成人してからも親交があったという。
梯氏のお話は、梯氏が実際に渡辺和子氏、齋藤史氏の両氏に実際にお会いしてお話を伺ったことについてのお話だった。
特に渡辺和子氏は、9歳の時に父・錠太郎が青年将校に射殺される場面を間近で目撃したという大変な体験をされた方である。その体験を肉声で渡辺氏のお話を伺ったというのだから、それは貴重なお話だった。
また、齋藤氏も父の思いを汲んで昭和天皇に対して複雑な思いを抱いている心の内を聴いたという。
詳しくその内容を今日現在は私の筆力ではまとめきれない。いずれかの日に再度取り上げることができればと思っている。
リード文で「日本中を震撼させた……」と記したが、実は事件発生当時は関係者以外はほとんどその事実は伝えられていず、一般市民や地方の者にとっては無関心状態だった。その後その事実が伝えられたことにより、コトが重大だったことを日本国民は知ることになるのである。
それにしても、このような歴史的事件の関係者が3人も旭川(第7師団)に在住した経験があったとは驚くべき事実である。
実はつい最近、2.26事件をモチーフとした宮部みゆき著の「蒲生邸事件」という長編を読了したばかりであった。不思議な縁を感じつつ、梯氏のお話に耳を傾けた私だった…。