札幌に伝わる郷土芸能「獅子舞」は主として富山県から伝わったという。今も札幌に残る「丘珠獅子舞」と「篠路獅子舞」について郷土史研究家からお話を伺った。
今年に入ってから努めて聴講するようにしている「札幌市高齢者市民講座」であるが、コロナ禍のために断続的に開講されている。11月16日(水)午後、札幌市社会福祉総合センターで中央区会場の講座が開講されたので受講した。
この日のテーマは、「ソサエティ5.0とは何か」と「札幌の農村芸能 獅子舞と歌舞伎」の2本立てだった。「ソサエティ5.0」については、拙ブログでも2度ほどレポしているが、内容的には大きく変わるものでなかったのでレポは割愛することにしたい。(そのレポについて興味のある方は2019/02/19分についてはこちら⇒、2020/02/17分についてはこちらをクリックください。⇒)
そこで本稿では「札幌の農村芸能 獅子舞と歌舞伎」についてレポすることにしたい。講師は郷土史研究家で札幌市社会教育協会の遠藤紘之助氏が務めた。
まず「獅子舞」についてであるが、北海道に伝わった獅子舞は主として「富山県」と「香川県」から伝えられたとされているが、「富山県」からの移住者が多かったことから富山流が主流となったようだ。
「獅子舞」には「伎楽系」と「風流系」と2系統があるとのことだが、その違いは獅子の胴体(カヤ)に5~10人が入り胴体に竹の輪を使って胴幕を大きく見せる「伎楽系」と、一人立ち舞の「風流系」があるそうだが、札幌に伝わるのは「伎楽系」だという。
「丘珠獅子舞」は明治23(1890)年頃から行われるようになり、毎年丘珠神社に奉納していたが、昭和30年代に入り祭りが停滞し始めたことで獅子舞も自然消えてしまったという。それを憂えた地元の人々が昭和41年に「丘珠獅子舞保存会」を組織し、以来今日まで丘珠神社祭の折りに奉納されているという。
※ 丘珠獅子舞です。
一方、「篠路獅子舞」については拙ブログで「北区歴史と文化の八十八選」巡りのレポでも触れたが、丘珠に遅れること10年後の明治34年に烈々布地区(現在の百合が原地区)において「烈々布獅子舞」として発足し、烈々布天満宮に奉納したのが始まりである。その後も烈々布地区で継承されてきたが、昭和41年に烈々布天満宮が篠路神社に合祀されたのと同時に「篠路獅子舞」として継承され、現在に至っているそうである。
※ 篠路獅子舞です。
なお、「丘珠獅子舞」と「篠路獅子舞」の違いについても説明があったが、「丘珠獅子舞」は獅子の頭に角があり、胴体が長く、男性的な舞いが特徴だという。対して「篠路獅子舞」は角が無く、胴体が太く女性的な舞いが特徴だという。
その他にも、獅子舞の起源や獅子舞の構成や衣装、舞いの種類などについて説明があったが、複雑なので割愛したい。
私は道東で生まれ人生の大半を過ごしてきたのだが、そこでの獅子舞はいわゆる「風流系」だったのだろうか?一人立ち舞しか体験がなかった。複数の人が胴体に入る獅子舞は未体験である。しかも、同じ「伎楽系」ながら、「丘珠獅子舞」と「篠路獅子舞」では、異なる点がかなりあるようだ。
大変興味深く拝聴した講座だったが、これは来秋に行われる二つの神社祭にぜひ出かけてみて二つの獅子舞を見比べてみたいと思っている。