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北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈14〉大森勝山遺跡(弘前市)

2023-11-05 12:30:30 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 こちらの遺跡もまたまた「環状列石」の遺跡だった。本来なら名峰・岩木山を背景とした遺跡として知られているのだが、生憎の天気で岩木山の山頂は雲に隠れたままだった。それより、休日なのに私のために説明をしていただいた弘前市の職員の方の親切に感激した私だった。
       
 この「大森勝山遺跡」を訪れたのは10月16日(月)だった。月曜日は遺跡など公共の施設などは本来休業である。この「大森勝山遺跡」も同様だった。ところが数日前に、「16日、10時30分に本当に来られますか?その際には私がご案内します」という電話をいただいていた。前日15日にも確認の電話をすると、案内いただけるという。
 私はガイダンス施設の「裾野地区体育文化交流センター」に向かった。センターは休館だった。どうやら職員の方は別のところに勤務されているらしかった。問い合わせの電話を入れると「直接、遺跡のところで待っていてほしい」ということだったので、遺跡のところへ移動して職員が到着するのを待った。
  
  ※ 「大森勝山遺跡」の駐車場時です。前に見える小さなプレハブはおそらくボランティアガイドの詰所でしょう。この日はもちろん休日ですので施錠されていました。
 約束どおり10時30分に若い職員の方が到着し、さっそく遺跡の方に導いてくれた。
  
  ※ 遺跡に向かうエントランスのところにモニュメント的な木がありました。枝先を伐採したということですが、やはり遺跡の象徴的な木として植樹されたものだそうです。 
 「大森勝山遺跡」は縄文晩期にあたる紀元前1,000年(つまり現代より3,000年前)の遺跡で、北東北の遺跡の特徴の一つである環状列石(ストーンサークル)の遺跡だった。
 遺跡は岩木山が眼前に聳える台地のところに広がっていた。この遺跡で面白いと思ったのは、発掘され並べられていた石と同じ石質・色・形の石材を利用して当時の様子を実物大表示で行っていたことだ。また、環状列石の周りには竪穴建物跡や炉の跡、あるいは捨て場跡が点在していたことを職員の方に説明いただいた。
  
  ※ 遺跡は発掘当時の様子を同じような意思を配列して再現されていました。
  
  ※ こうした石の配列は、それぞれ意味があるものと思われますが、一つの塊は一つの集落、あるいは家族の墓という意味があるようです。
  
  ※ このような石の配列にも意味があるのでは、との説明でした。
  
  ※ 祭祀の際などに使われたと思われる「屋外炉」の跡を再現したものです。
 この「大森勝山遺跡」から冬至の日に岩木山を見ると、太陽が岩木山の山頂に沈んでいくそうである。そのことから縄文人はカレンダーのように年月の経過の目安にしていたのではないかと推察されているそうである。
  
  ※ 私が訪れた際の遺跡と岩木山です。残念ながら山頂が雲に隠れていました。
  
  ※ 本来ならこのように岩木山が見えるそうです。(ウェブ上から拝借しました)
 弘前市の若い職員の方は、私に対してとても丁寧に「大森勝山遺跡」について、縄文人の生活について説明してくれた。
 そして休館だった「裾野地区体育文化交流センター」にも案内してくれ、内部の展示を見せていただいた。遺跡から発掘された主たるものは「弘前市立博物館」の方に所蔵されているらしく、交流センターには国の重要文化財にも指定されている「猪型土製品」はレプリカということだった。
  
  ※ 遺跡とは少し離れたところにあったガイダンス施設の「裾野地区体育文化交流センター」の建物です。雨模様のため暗く写っています。
  
  ※ センター内に展示されていた「猪型土製品」のレプリカです。
 いずれにしても市井の市民の一人である私に、遺跡・施設が休みにもかかわらず親切丁寧に対応してくれた弘前市の職員と出会えたことは、今回の旅をとても意義深いものにしてくれたことを感謝している。

 ガイダンス施設「裾野地区体育文化交流センター」 
                     青森県弘前市十面沢矕8-9               
  ◇入館料 無料


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