連日のKitara通いである。前日が札幌交響楽団だったというハンディはあったものの、総勢72名による北海道交響楽団は、分厚いサウンドと共にその実力をいかんなく発揮し、聴衆を満足させてくれる内容だった。
昨日夜(4月16日)札幌コンサートホールKitaraにおいて「川越守記念 北海道交響楽団」の第94回演奏会が開催され、92回、93回の演奏会に続いて参加した。
私は密かに4月3日に聴いて感動した「札幌室内管弦楽団」との比較を楽しもうと思っていた。また、前回の93回の演奏会を聴いて私は拙ブログに「イメージが変わった!?北海道交響楽団」という一文を投稿したが、その印象が違ってはいないかも確かめたかった。
演奏会は前述したように総勢72名というオーケストラとしては相当に多人数での演奏となった。今回94回演奏会で取り上げられた曲目はプログラムの表紙を飾っているとおり、「アントン・ブルックナー」と「ヨハネス・ブラームス」が作曲した曲だった。正式な曲名は次のとおりである。
◆ヨハネス・ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
◆アントン・ブルックナー/交響曲第6番 イ長調 WAR.106
※ この日の指揮を務めた長岡聡季さんです。
道響の演奏会の場合、必ず詳細に曲目についての紹介が載っている。それによると、一曲目のブラームスの変奏曲は主題と8つの変奏、終曲で構成されているという。私は “8つ変奏” という点に興味を持った。おそらく私にとって変奏で構成されている曲目を聴くのは最初の体験ではないかと思うのだ。そうすると、確かに変奏と変奏の間で一応を演奏は止まるのだが、間髪をおかず次の演奏が始まるのだ。交響曲のような場合、楽章と楽章の間に小休止があり、指揮者など時にはハンカチで額を拭ったりした後に次の楽章の演奏が開始される。しかし、変奏の場合にはそうした間はないのだが、曲想には明らかに違いがあり興味深く聴くことができた。
20分の休憩を挟んでブルックナーの交響曲が演奏されたが、この第1楽章が演奏されている中で激しく全ての楽器が奏でる部分があった。その時に私は何の脈絡もなく突然のように故郷のオホーツクの海が激しく荒れ狂うシーンを連想してしまったのだ。そうなると連想は止まらない。曲想に沿うがごとく、演奏が静かに奏でられるときは波の静かなオホーツク海が、ゆったりと奏でられると夕日に染まったオホーツク海の情景が思い浮かんで来るのだった。考えてみると、特に交響曲のような場合、曲の流れと海の情景というのはどの曲においても喩えられるのかもしれない。私はブルックナーの交響曲を聴きながらそんな思いに浸りながら演奏を楽しんでいた。
ところで最初の命題だが、私が前回の演奏会で感じた感想に間違いはなかったと思った。道響の演奏はアマチュアレベルとしては確かな技量の持ち主が集まった集団であることを再確認した思いだった。前回の時にも記したが、オーケストラの演奏では管楽器がソロ、あるいは少数で奏でる場面が出てくる。そうするとどうしても技量の優劣が際立ってくる。ここにおいては残念ながらプロとの差が歴然としているのが私たち素人にも歴然としてしまうところがあるのは仕方のないところか?また、前日の札響のヴァイオリン奏者たちの動きが見事にシンクロしていると記したが、その部分も注目していたがやはり札響の方に一日の長があるように思えた。プロとその差を比較するなどということは邪道と指摘されるかもしれない。しかし見方を変えれば、道響の奏者の方々のレベルがその域に近づいているということの証とも言えるのではないだろうか?道響のメンバーの方々のますますの精進を期待したいと思う。
なお、アンコールではブラームスの「ハンガリー舞曲」第3番が演奏された。
※ プログラム以外はウェブ上から写真を拝借しました。