函館市は全国的にも耳目を集める歴史的大事件が起こるところのようである。その中でも「北海道の空の三大事件」は全て函館に集中しているという。函館で起こった三つの空の事件についてお話を聴いた。
道民カレッジの「ほっかいどう学」かでる講座は、残念ながらこのご時世とあってリアル講座が開催されることはなく、今回もネット配信されたものを受講することとなった。
今年度のかでる講座の第5回目(正確には第4回目が中止となったので実質的には第4回であるが)は8月24日(火)に配信された。今回の講座は「北海道空の事件簿」と題して北海道新聞小樽支社長の相原秀起氏が講師を務めた。
函館において戦後起こった全国的な大きな事件を時系列で並べてみると、次のようなことが起こったという。
◇1954年 洞爺丸台風事故
◇1971年 東亜国内航空ばんだい号墜落事故
◇1976年 ミグ25亡命事件
◇1995年 全日空857便ハイジャック事件
◇2017年 陸上自衛隊機墜落事件
これらすべての事件が函館市周辺で起こっているという。講座ではこの中から三つの空の事件について、新聞記者らしい視点から解説いただいた。
※ 函館近郊横津岳山腹に建つ「ばんだい号慰霊碑」です。
まず①1971年7月3日に起こった「東亜国内航空ばんだい号墜落事故」であるが、札幌・丘珠空港から函館を目ざしたYS-11旅客機が函館市北方の横津岳の山腹に激突して乗客・乗員全68名が死亡したという事件である。墜落の原因についてはいまだ原因不明となっている。それは当時はまだフライトレコーダーやボイスレコーダーが搭載されていなかったことから決定的な原因を究明できなかったことによるそうだ。このことによって、日本の航空機にフライトレコーダーやボイスレコーダーの搭載が進んでいったそうだ。
実はこの事故については個人的な思い出がある。2019年5月、私は横津岳登山をした。その際にこの事件の慰霊碑が登山口近くにあることを知っていた。私はその周辺を探したのだが、5月初旬の横津岳登山口周辺はまだたくさんの雪が融け残っており、その慰霊碑を発見できずに引きかえってしまったことをこのお話を伺いながら思い出していた。
※ 函館上空を低空飛行をするミグ25戦闘機です。
つづいて②1976年9月6日に発生した「ミグ25亡命事件」である。当時はまだ米ソ冷戦時代だったが、ソ連軍迎撃戦闘機MiG-25を駆ったソ連軍現役将校ヴィクトル・ベレンコ中尉が函館空港に強行着陸をして亡命を求めた事件である。ベレンコ中尉はアメリカへの亡命を求めていたがMiG-25戦闘機は燃費が悪くとてもアメリカまでは届かないことから当初から千歳を目標としていたらしい。しかし、それも届かず航空自衛隊の防空レーダー網をかいくぐり函館空港に着陸したというのが真相のようである。ベレンコ中尉はその後、希望通りアメリカに渡ったということである。この事件が勃発したことが契機となって、日本は国の防空体制を見直すことになったという。
※ 全日空機857便に使用された機体です。
第三の事件は③1995年6月21日に発生した「全日空機857便ハイジャック事件」である。この事件は乗客365人を乗せた羽田発函館空港行きの全日空機が一人の中年の男にハイジャックされた事件である。犯人は当時世間を騒がせていたオウム真理教の信者を名乗って「サリンをばらまくぞ」と脅して「羽田空港に引き返せ」と要求した事件である。しかし航空機は函館空港に着陸し(燃料を補給しなければならないなどの理由から?)膠着状態に陥った。道警や警察庁の捜査員が大量動員される中、犯人との交渉、背後関係の捜査など慌ただしい動きの中、犯人はオウム真理教とは関係がない、犯人は単独犯らしい、あるいは機内は平静を保っている、などの情報を確認できたことから強行突破を図り、犯人は逮捕され、無事に解決した事件である。
この事件を経て、事件を担当した道警は空港のセキュリティ対策を要望したが、その要望は直ちには顧みられなかったということだ。そのことについて講師の相原氏は、「事件があまりにも見事に解決したことによって、そこから学ぼうとしなかったのではないか」と指摘した。氏はさらに「日本という社会は、失敗からは学ぶが、成功事例からは学ぼうとする姿勢が欠けているのでは」と問題提起した。日本の空港のセキュリティ体制(保安検査)が厳重になったのは、この事件から6年も後のアメリカ同時多発テロ事件後だったという…。
このように私が講座の様子をレポすると味もそっけもない内容に聞こえるが、実際は新聞記者らしい側面から、興味深いエピソードも差し挿みながら最後まで聞かせる話術はさすがだった。