私にとっては珍しく、年賀状を早々と作成し終えて昨日投函を終えた。こんなことは未だかってなかったことだ。このことはコロナ禍における数少ないプラス面と云えるのだろうか??
日頃よりグータラを決め込む私にとって年賀状の作成はいつも気が重い作業であった。いつも年の瀬が押し迫ったころに、ようやく重い腰を上げるのが常だった。それなのにどこかのテンプレートを借用したような年賀状にするのは嫌だ、という困った性格だった。
だから私の年賀状には、その年の漢字を題材に自ら思いを語ったものが多かった。昨年は“災”を、昨年は“令”を題材とした。(今年の漢字は昨日“密”と発表されたばかりだが…)一
例えば一昨年の“災”を題材とした年賀状は次のようなものだった。(なぜか図案が抜け落ちてしまった。苦肉の策で写真に撮って文案の後に付けることにした)
あけましておめでとうございます。
健やかに平成31年の新年をお迎えのこととお察し申し上げます。
さて、あなた様にとって昨年はどのような一年だったでしようか?
国内的には地震や台風など多くの災害に見舞われ、昨年の漢字は「災」の字が選ばれました。私たちの先達はこれまで幾度も大きな災害に見舞われても、そこから逞しく立ち直って今日の日本をつくってくれました。まさに「災い転じて福」としてくれました。先達に見習い凶事を嘆くだけでなく、逞しく立ち上がり「福」を掴み取りたいものです。
さて、私たちの昨年一年を表すと「凡」という一字になるようです。昨年もこれまでと同様日々平凡に暮らせたことが何よりでした。
私は今年も登山に、講座受講に、コンサートに、コンサドーレの応援にと、これまで同様平凡に生きていきたいと考えています。妻もまた日々平穏に小さな楽しみに生きがいを見つけています。我が家は今年も「凡事徹底」をテーマに過ごしたいと考えています。
平成の世がまもなく終えようとしていますが、来たる世もあなた様にとりまして「福」の多い世でありますことを心より願いながら新年のご挨拶とさせていただきます。
元旦
図案も含め割合と気に入っているものである。(昨年のものは下に載せました。)
さて、そこで本年の年賀状であるが、前述のように今回は「今年の漢字」を題材とはしなかった。ただ、今年のような未曽有の年の場合は割合スムーズに文章が紡げたようにも思っている。その年賀状だが、やはり年前に公開するのは ルール違反(?)だろう。歳が明けてから公開することにしたいと思っている。
明けましておめでとうございます。
令和の新しい世になって八か月。皆さまにおかれましてはいかがお過ごしになったでしょうか?
私たちは意外にもアクティブな八か月を、そして一年を過ごしました。私は冬にはスノーシューを駆って石狩川の河岸を遡り、夏には一五座の山に登頂を果たすことができました。妻も肥満しないようにと日常的にウォーキングに勤めるなど、それぞれアクティブに過ごすことができた日々でした。
さて、昨年の漢字は「令」という字が選ばれました。大方の納得がいく一字だったのではと思います。「令和」と改元され、人々は新しい世に対する期待感が込められていると受け止めました。「令」という字から一見冷たい印象も受けますが、「よい、立派な」という意味もあるようです。世の乱れがいろいろと指摘されることも多い昨今ですが、改めてよい行い、立派な生き方を志向したいものです。
私たちも本格的に坂道を下りる年代となりました。下りてゆく足跡を汚さずに、静かに下りてゆきたいと思っています。
あなた様にとりまして良い一年でありますように!