今日は西日本的な話題で、EF61をお届けしたいと思います。
EF61は、新性能機関車で初めてSG(蒸気暖房発生装置)を搭載した旅客用電気機関車です。外見は先輩格であるEF60型に似ていますが、SGを搭載した関係で車体長が長くなっています。また、サイドのフィルター(ヨロイ型の通風孔)が細長いものとなっており、車体の長さと相まってスマートな印象を与えます。登場当初は時代の流れで茶色一色塗装でしたが、カラー塗装された際にはEF60500番台のような特急塗装とはならず、新性能直流機の標準色である貨物塗装となりました。
東京発着のブルートレインにも使用されたことがありましたが、活躍はあまり続かず、急行列車や荷物列車など、機関車からの暖房が必要な列車に使用されるようになりました。また、一時期は、瀬野~八本松間で補機を務めていたこともあるようです。EF61の活躍は主に西日本で、東京へは夜行急行(銀河以外)がなくなってからは姿を見せてはいないと思います。
昭和49年8月 大阪駅にて EF61のラストナンバー18号機の牽引する急行「阿蘇」
名古屋~熊本を結んでいた急行「阿蘇」。新幹線博多開業(昭和50年3月)以前は、寝台車・自由席車を旧型客車で編成した列車でした。私が大阪に行ったとき、山陽方面の客車列車は特急列車も含めてEF58又はEF65500が牽引しており、EF61を見たのはこの「阿蘇」だけでした。実は、この「阿蘇」を牽引していたEF61は私が見た初めてのEF61型であり、同車に興味を持つきっかけとなった列車でした。
昭和58年4月16日 豊橋駅にて EF615牽引の東海道荷物列車
久しぶりに逢ったEF61。飯田線の撮影に行った帰り道のことでした。EF61の写真が撮りたかったのですが、両数も運用も少ないようで、なかなかキャッチすることが出来ませんでした。このとき、偶然にも待避中だったらしく、しばらく停まっていてくれたので何とか撮影することができました。
昭和59年8月19日 小郡駅(現新山口駅)にて EF611のナンバー
その後もEF61に逢えることを楽しみにしていたのですが、昭和59年2月のダイヤ改正を境として、徹底的な大合理化による大量の余剰車が出てしまい、EF58やEF60に混じって、EF61も廃車される運命となりました。
この写真は、山口線のSLを撮影に行ったとき、小郡駅構内に20両ほど連結して留置されていた廃車群の中で、偶然見つけたEF61のトップナンバーでした。同車の前後は他のEF61やEF60に挟まれており、撮影が難しく危険でもあったため、ナンバーのみ記念に撮影した次第です。
EF61は、興味があったにも拘らず、結局この3回しか逢うことが出来ませんでした。
後に、EF61は瀬野八のEF59の後継機として活躍する計画でしたが、EF60初期型改造のEF61200の改造が一段落したところで技術的な問題が発生してしまいました。結局、EF61100化計画は頓挫してしまい、彼らの寿命を早めることとなってしまったのです。
EF61は、新性能機関車で初めてSG(蒸気暖房発生装置)を搭載した旅客用電気機関車です。外見は先輩格であるEF60型に似ていますが、SGを搭載した関係で車体長が長くなっています。また、サイドのフィルター(ヨロイ型の通風孔)が細長いものとなっており、車体の長さと相まってスマートな印象を与えます。登場当初は時代の流れで茶色一色塗装でしたが、カラー塗装された際にはEF60500番台のような特急塗装とはならず、新性能直流機の標準色である貨物塗装となりました。
東京発着のブルートレインにも使用されたことがありましたが、活躍はあまり続かず、急行列車や荷物列車など、機関車からの暖房が必要な列車に使用されるようになりました。また、一時期は、瀬野~八本松間で補機を務めていたこともあるようです。EF61の活躍は主に西日本で、東京へは夜行急行(銀河以外)がなくなってからは姿を見せてはいないと思います。
昭和49年8月 大阪駅にて EF61のラストナンバー18号機の牽引する急行「阿蘇」
名古屋~熊本を結んでいた急行「阿蘇」。新幹線博多開業(昭和50年3月)以前は、寝台車・自由席車を旧型客車で編成した列車でした。私が大阪に行ったとき、山陽方面の客車列車は特急列車も含めてEF58又はEF65500が牽引しており、EF61を見たのはこの「阿蘇」だけでした。実は、この「阿蘇」を牽引していたEF61は私が見た初めてのEF61型であり、同車に興味を持つきっかけとなった列車でした。
昭和58年4月16日 豊橋駅にて EF615牽引の東海道荷物列車
久しぶりに逢ったEF61。飯田線の撮影に行った帰り道のことでした。EF61の写真が撮りたかったのですが、両数も運用も少ないようで、なかなかキャッチすることが出来ませんでした。このとき、偶然にも待避中だったらしく、しばらく停まっていてくれたので何とか撮影することができました。
昭和59年8月19日 小郡駅(現新山口駅)にて EF611のナンバー
その後もEF61に逢えることを楽しみにしていたのですが、昭和59年2月のダイヤ改正を境として、徹底的な大合理化による大量の余剰車が出てしまい、EF58やEF60に混じって、EF61も廃車される運命となりました。
この写真は、山口線のSLを撮影に行ったとき、小郡駅構内に20両ほど連結して留置されていた廃車群の中で、偶然見つけたEF61のトップナンバーでした。同車の前後は他のEF61やEF60に挟まれており、撮影が難しく危険でもあったため、ナンバーのみ記念に撮影した次第です。
EF61は、興味があったにも拘らず、結局この3回しか逢うことが出来ませんでした。
後に、EF61は瀬野八のEF59の後継機として活躍する計画でしたが、EF60初期型改造のEF61200の改造が一段落したところで技術的な問題が発生してしまいました。結局、EF61100化計画は頓挫してしまい、彼らの寿命を早めることとなってしまったのです。