マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

突然ですが・・・これから出掛けます

2008-04-21 22:05:13 | 写真撮影
ということで、急遽明日・明後日の午前中まで休暇が取れたため、これから旅に出ます。
帰って来るのは明後日の早朝の予定です・・・。

一体何を考えているのでしょうか。我ながら驚きます。

明日はコメントのご返事が出来ないと思います。皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解の程宜しくお願いいたします。
また、予約投稿の機能がありませんので、基本的にはいつもの更新が出来ません。携帯で情報をお伝えするか、インターネットカフェみたいなものがあれば初挑戦してみようと思います。

それでは、間もなく出掛けますのでこの辺で失礼いたします。
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ローカルな風景 第34回 (国鉄:日中線)

2008-04-21 01:55:28 | ローカルな風景
こんばんわ。

Fe4事務局長のlineさんのブログで、C11が現役だった当時の国鉄日中線の記事 http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/186.html がアップされたことに刺激されまして、過去に1度だけ行ったことのある日中線の写真をアップしたくなり、急遽特集を組みました。

日中線の写真はリバーサルのみで撮影していたのですが、今から約10年前、非常に不幸な出来事があり、水没したスライドフィルムを放置したままとなっておりました。
そのとき約200コマほどのスライドフィルムをやむを得ず廃棄してしまったのですが、この大切な記録を諦めきれずにそのまま放置していました。画質がかなりおかしくなってはいるものの、ブログアップ程度では何とか使えそうなので、昨日思い切ってスキャニングしてみました。

国鉄日中線は、磐越西線喜多方駅から分岐するローカル線で、朝、午後、夕方に各1往復の計3往復のみ設定されていた超赤字ローカル線として有名でした。おそらく政治的背景から線路が敷かれたのでしょうが、私が1往復乗ったときも殆どが鉄で、地元で乗降する人は全くと言って良いほどいませんでした。おりしも春休みの期間でしたので、高校がお休み。普段は高校生くらいしか利用者がいないのでしょう。

3往復とも客車列車による運行で、無煙化後はDE10型がその任に当たっていました。
上野からの夜行急行「ばんだい」に接続し、始発列車は会津若松から直通で終点熱塩まで運転されます。私もこのセオリーに則り、季節列車の夜行「ばんだい」で日中線を目指しました。














昭和57年3月21日 日中線 熱塩駅にて

編成は、DE1039+オハフ613034+オハ612926で機関車込みの3両編成です。客車は2両ですが緩急車は1両しか連結されておらず、後部標識灯が1個付けられる純然たるローカル線を醸し出しています。
しかし、この日中線はたったこれだけの運転本数、両数なのになぜ気動車化されなかったのが不思議です。磐越西線は圧倒的に客車列車が多かったのは事実ですが、気動車列車もそれなりの本数があったので、乗務員が手配できないわけでも無い筈です。このあたりは組合との確執があったのではないかなどと想像してしまいます。

最後の写真をご覧いただけるとお判りと思いますが、確かこの日中線はこの山を越えなくては山形方面へ抜けられません。殆ど乗客が望めないような状況の中で、どれだけ資金をつぎ込むことになるのか、結果は考えるまでも無く「無駄」であることは誰にでも想像できましょう。
なくなるべくしてなくなってしまった日中線。無くすべきではないという意見も多々あると思いますが、作るべきではなかった路線が全国にどれだけあったことでしょうか。無くしてしまうことを罪に感じることもありますが、作ることが罪になったケースはこの日中線だけではない筈です。

コメント (9)
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瀬野八のプッシャーEF59 総集編

2008-04-20 01:55:45 | 国鉄・JR機関車(直流型)
昨日は、午前中から夕方まで買い物と映画で、中段でアップすることも整理する作業も出来ませんでした。いわゆる家族サービスに徹してしまったため、ネタ作りもおろそかになってしまいました。

さて、今日は過去ログで1度アップしたことがあったのですが、西の箱根こと瀬野八で活躍していたEF59の未公開画像のアップをもって総集編にしたいと思います。
EF59についての簡単な説明や撮影当時のお話は http://diary.jp.aol.com/marutetsu/42.html で記しておりますので、お時間のある方は是非ご覧くださいませ。



昭和57年10月4日 EF591+EF596 一般貨物列車


昭和57年10月4日 EF591+EF596 一般貨物列車

同じペアで後押しする一般貨物列車。既にEF60改造のEF61200番代も登場していましたので、列車の重量によって1000t未満はEF61200単機、1200tはEF59重連と棲み分けされていたようです。



昭和57年10月4日 EF591+EF596 重連単機


昭和57年10月4日 EF5915+? 重連単機

上り列車の補機を務めたEF59は重連単機で山を降りてきます。日中は貨物列車の本数が少ないため、同じペアが行ったり来たりで変化が少ないようです。リンク先にはカラーの4重連単機を掲載しています。



昭和57年10月4日 EF5916+EF599 コンテナ貨物列車


昭和57年10月4日 EF5916+EF599 コンテナ貨物列車

コキ50000系を主体とするコンテナ貨物列車。高速貨物でも重量がある以上は補機の連結を欠かすことが出来ません。もちろんEF66が牽引していてもダメなんです。



昭和58年5月15日 EF5916+? 高速コンテナ列車

コキ50000系で組成された高速貨物列車。コキ10000系よりもスピードが落ちますが、コキ50000は1両に5個のコンテナを積載できるため(コキ10000は改造後に4個積み)、同じ編成延長でも大量輸送が可能でした。両端をコキフ50000で組成した編成はコキ10000系に負けないくらい壮観でした。



昭和58年5月15日 EF593+21 一般貨物列車

こちらは、上とは全く異なる様々な貨車が延々と連結された一般貨物列車。この時代は編成の整ったコンテナ列車が非常にスピード感があって魅力がありましたが、コンテナばかりの今となっては、このように種々雑多な車両が混ざっていた方が如何にも貨物列車らしく感じます。



昭和58年5月15日 EF59重連回送

こちらの写真は、両方ともテールランプが改造され、PS22Bパンタ化など魅力も半減し、おまけに番号すら判らないのでお蔵入りする筈の写真だったのですが・・・。
実は、国道を走るトレーラーヘッドに”萌え~”だったので思わずスキャニングしてしまいました。当時はトラックなど全く興味はありませんでしたので、完全に偶然の産物であります。



昭和60年3月30日 EF5911 高崎第二機関区にて

最後におまけ画像ですが、高崎二区公開の際に西から呼び寄せた11号機です。こんなところにも高崎二区の職員の方たちの熱意を感じます。このほかにもEF532に復元したカマもあったのですが、テールランプが埋め込み式に改造されていた車両のため、かなりガッカリしましたね。でも、元々は東海道で特急列車を牽いた栄光のカマですから、保存に値することは間違いないでしょう。

今までプリントにすらする気の無かったEF59。その裏には同じ車番のもが多かったこと、カメラのシャッター幕に穴が開いてネガがダメになってしまったことなどの理由があったのです。しかし、フィルムスキャンを通して写真にするコストが省け、電子データ化により画像加工で修正が利くことなどから、これらの枚数が一気に復活することとなりました。25年の歳月を経て復活したEF59。懐かしさでいっぱいです。



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DD13牽引:田端~川口間の貨物列車

2008-04-19 09:57:33 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
おはようございます。
昨夜はAOLの接続があまりにも悪く、更新作業がままならなかったのでこの時間になってしまいました。コメントのご返事も遅くなってしまい誠に申し訳ございません。

さて、一連のフィルムスキャンもほぼ終結に向かい、データ整理は残っているもののカテゴリごとの目安がつきましたので、ネタとしてまとまりそうなものからアップして行こうと思います。

今日は、田端~川口間を走っていたDD13型牽引の貨物列車をご紹介したいと思います。

川口駅までサッポロビール工場からの引込み線もあり、昭和59年頃までは一般貨物とあわせて貨物営業が栄えておりました。サッポロビール工場の移転及び大合理化により貨物営業も廃止、サッポロビール工場跡地は再開発によりイトーヨーカドー(アリオ)とマンション・一戸建て住宅に変貌を遂げ、川口駅構内も駐車場・駐輪場に変わっています。

川口駅の貨物構内は、東北貨物線と反対側の海側に所在しているため、東北本線・京浜東北線を跨ぐ架橋により結ばれています。この架橋は蕨方面のみからしか渡れないため、川口から都心方面へ向かう貨車は蕨駅まで下り、機回し後に田端に向けて上って行くというダイヤになっていました。
この田端~蕨~川口間の運用にはDD13が充てられていたため、全線電化区間を走るディーゼル機牽引の貨物列車となっており、しかも入換専用機のDD13が本線を走る運用としては比較的長いため、特に末期頃には注目を集めていたようです。



昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて DD1320牽引 貨物列車



昭和53年頃 東北本線 西川口~蕨間にて DD1330牽引 貨物列車



昭和54年頃 東北本線 蕨駅にて DD13133牽引 貨物列車



昭和55年頃 東北本線 蕨~西川口にて DD13116牽引 貨物列車


 
昭和55年7月 東北本線 西川口~蕨間にて DD1325 単機回送



昭和55年7月 東北本線 西川口~蕨間にて DD1325牽引 貨物列車



昭和57年5月 東北本線 蕨駅にて 折り返し待機中のDD1336

写真を撮り始めた頃から常に身近にいましたので、特に注目するわけではなく、何となく撮ったものが残っていた感じです。品川にいた1桁車を見たときは喜んで撮りましたが、田端配置の車両は第2陣だったので20番代以降でした。それでも、写真の116や133などの2つ目車はかなり珍しかったので、狙っていたわけではなかったにしても取り敢えず押えていたという感じでしょうね。

貨物の輸送システムの見直しから中間駅の貨物扱いがことごとく廃止され、川口駅も然り、折り返しの拠点であった蕨駅もあっさりと廃止されてしまいました。
ちなみに、蕨駅では日本車両蕨工場と住友セメントがあり、貨物扱い駅としてはそれなりに規模があったのですが、日本車両は物心ついた頃には既に愛知県豊川に移転し、住友セメントもいつ頃か定かな記憶がありませんが、昭和55年頃には移転していたかもしれません。

貨物の度重なる合理化で次々と姿を消していったDD13型機関車。昭和59年2月のダイヤ改正で最終打撃を受けました。その直後の分割民営化に際しては、稼動経歴の浅いDE10やDE11でさえ大量に廃車されてしまったくらいですから、旧型で非力なDD13型が残る余地も無かったと言えましょう。

私自身は川口駅での貨物の様子を撮影したものが無かったのですが、シービーさんのブログで様子が判る記事を掲載しておりますので、是非お訪ね下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/archive/2008/01/19
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165系:急行「佐渡」

2008-04-18 02:25:26 | その他電車
こんばんわ。
昨日はヤケクソで地味ネタを投げたつもりだったのですが、このところに比べアクセス数が伸びており、しかも沢山ポイントをいただきました。大方の予想に反した結果となりましたが、ポイントをいただきました皆さん、ありがとうございました。

で、今日も地味ネタです。
私が住む蕨~西川口の沿線は、東北・上信越の列車が殆ど通る区間であり、昭和57年までは沢山の急行列車も走っていました。

私が写真を撮り始めた頃は既にヘッドマークは廃止され、東北・上越新幹線の開業により廃止されるまで復活することもありませんでした。
そんな状況ですので、ヘッドマークの付かない急行列車は魅力に欠けることもあり、写真もそんなに残っていません。あったとしても、列車名すら判らないので、説明にも苦労します。

さて、そんな区別の付きづらい急行列車の写真の中から、明らかに「佐渡」と判るものを拾ってみました。



昭和57年11月13日 大宮駅にて 165系 下り「佐渡1号」

急行「佐渡」は、準急列車からの格上げで誕生した急行列車。新潟区(上沼垂区)のかなり特徴のある編成でした。
サハシ連結時代は、クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+サハシ+サハ+クハ+モハ+クモハ+クハ+モハ+クモハの13両編成でした。
特急「とき」が同区間で13往復も設定されていたためか、急行「佐渡」は4往復の設定と控えめであり、うち1往復は上下とも夜行列車でした。


 
昭和57年11月13日 大宮駅にて 165系 下り「佐渡1号」 2連グリーン車

上の写真と同日に撮った2連のサロ165。この頃はサハシが廃車になり、編成替えが行われ、クハ+モハ+クモハ+サロ+サロ+クハ+モハ+クモハ+サハ+クハ+モハ+クモハの12両編成となり、3連のユニットのそれぞれの間にサロやサハを挟むという極めてユニークな編成でした。



昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて

こちらは24mmで創作的に撮った写真。見る人が見れば判るというようなものです。
この写真のみ見づらいと思いますので、画像が大きくなるように設定いたしました。


急行「佐渡」は有名ではありましたが、ヘッドマークが無くなってからは脚光を浴びることも無く、地味に特急「とき」をサポートしていたような感じです。ですからあまり写真も残っていません。
上越新幹線の上野開業にあたってその役目を終え、昭和60年3月に廃止されています。
現在残っている夜行快速の「ムーンライトえちご」ですが、元を糺せば夜行「佐渡」の名残であり、今も生き続ける急行「佐渡」であると言えると思います。
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