落語家の立川談志師匠が亡くなった。もちろん談志師匠は私のことなんぞは覚えていないだろうが、自分には少しばかりの接点があった。大学病院勤務時代、一時期、文京区根津のマンションに自分は住んでいた。そのマンションは廊下の両側に各部屋があるような造りであり、談志師匠の部屋は自分の部屋の廊下を挟んだ向かい側にあった。時々自分が外出するときに何回か顔を会わすことがあったが、何回目かに「おはようございます」と声をかけてみた。すると向こうも自分のことを覚えていたかどうかは定かではないが、まあ向かいの部屋のよしみということもあろう「おぅよ、あんたも早いねぇ」と応えてくれた。もちろん対応してくれた表情は笑顔ではない。近づきがたい人を寄せ付けない目線である。わけのわからぬ若造(当時)の自分にいきなり声をかけられれば、アイドル芸能人じゃあるまいし表情もかたくはなろう。そんな関係が2~3年続いた。もちろん2~3年といっても年に数回程度であるし、それ以外で顔を合わすことはなかった。