去年アバラ骨を打って診てもらった所の病院から電話がきた。
「本来3割負担なのに1割分の治療費しか受け取っていない。残りを払ってくれ」と言う。
私も実は領収書を見てレントゲンを撮ったにしては安いなとは思ったので、1割負担と間違えているのかな、とは思っていた。が、間違っていれば後日電話が来るだろうと思い、そのままにしていた。
しかし、向こうの最初の言い方は「sakeさんがもう切れているはずのひとり親医療証を使って不正受診した」と言う言い方であった。
だから私は訂正した。「あら?私は3月末で切れた時点で、医療証は役所に返納しました。だから出していません。」
こう言う場合に、私は今まで通っていた医療機関で毎回毎回「3月でひとり親家庭ではなくなりましたから、これからは3割負担です」と断らねばならないのだろうか。
しかし、3割負担だと本当に病院には負担が大きくて、おいそれとは通えない。
また来月も歯医者から半年ぶりの「歯科検診」のお知らせがきた。
これも一度行くと、もう一度はダメだしになるから、3000円ぐらいは払うようだろう。参る。
年収に糸目をつけない子ども手当もよいが(イヤミ)、貧乏人がいつでも満足に医療が受けられるようなシステムもマジほしい。もう私は子供を産めない年なのでこの国に必要ありませんてか、あはは。
マザーテレサは来日の際にこんな言葉を残したと言う。
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
(ネットで拾った話なので、ウソかほんとかは知らん。各自この言葉丸ごと検索して判断してほしい。)
私が言っても自己愛で終わってしまいそうだが、その「ユウ愛」と言うものやらが、格好付けだけに終わらないでいてほしいですな。(これもイヤミ)
さて、そこで先ほどのアバラ骨の病院の話に戻るが、通勤途中にそこを通るのだが、相変わらず門の開く1時間前ぐらいでも入口の前に、じいさんばあさんがたむろしている。
この時間にあそこにいつもたむろできるのは、私のような毎朝必ず仕事に行かねばならなない会社員ではないだろう。
主婦か、定年過ぎたおじいさんか、あるいは有休が取れるような会社の勤め人。
体が痛いのは気の毒だが、私は体をおいそれと痛くもできない。
休んで病院に行く事が長く続けば減給になるだろう。
その覚悟を背負っての治療である。
痛い思いをしている方々には大変申し訳ないが、もし私が将来仕事をリタイアして、あんな風に金の心配もせずに診察受けられる仲間になれたなら、それもシアワセの一つだと受け止めたい。
そして、その時の私は、今の自分をどう思っているのだろうか。
こんな風にそれでも笑っている自分を、「青春の一部」と言うような捉え方をするのだろうか。
20年後がもしあるなら、楽しみにしていよう。
「本来3割負担なのに1割分の治療費しか受け取っていない。残りを払ってくれ」と言う。
私も実は領収書を見てレントゲンを撮ったにしては安いなとは思ったので、1割負担と間違えているのかな、とは思っていた。が、間違っていれば後日電話が来るだろうと思い、そのままにしていた。
しかし、向こうの最初の言い方は「sakeさんがもう切れているはずのひとり親医療証を使って不正受診した」と言う言い方であった。
だから私は訂正した。「あら?私は3月末で切れた時点で、医療証は役所に返納しました。だから出していません。」
こう言う場合に、私は今まで通っていた医療機関で毎回毎回「3月でひとり親家庭ではなくなりましたから、これからは3割負担です」と断らねばならないのだろうか。
しかし、3割負担だと本当に病院には負担が大きくて、おいそれとは通えない。
また来月も歯医者から半年ぶりの「歯科検診」のお知らせがきた。
これも一度行くと、もう一度はダメだしになるから、3000円ぐらいは払うようだろう。参る。
年収に糸目をつけない子ども手当もよいが(イヤミ)、貧乏人がいつでも満足に医療が受けられるようなシステムもマジほしい。もう私は子供を産めない年なのでこの国に必要ありませんてか、あはは。
マザーテレサは来日の際にこんな言葉を残したと言う。
「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
(ネットで拾った話なので、ウソかほんとかは知らん。各自この言葉丸ごと検索して判断してほしい。)
私が言っても自己愛で終わってしまいそうだが、その「ユウ愛」と言うものやらが、格好付けだけに終わらないでいてほしいですな。(これもイヤミ)
さて、そこで先ほどのアバラ骨の病院の話に戻るが、通勤途中にそこを通るのだが、相変わらず門の開く1時間前ぐらいでも入口の前に、じいさんばあさんがたむろしている。
この時間にあそこにいつもたむろできるのは、私のような毎朝必ず仕事に行かねばならなない会社員ではないだろう。
主婦か、定年過ぎたおじいさんか、あるいは有休が取れるような会社の勤め人。
体が痛いのは気の毒だが、私は体をおいそれと痛くもできない。
休んで病院に行く事が長く続けば減給になるだろう。
その覚悟を背負っての治療である。
痛い思いをしている方々には大変申し訳ないが、もし私が将来仕事をリタイアして、あんな風に金の心配もせずに診察受けられる仲間になれたなら、それもシアワセの一つだと受け止めたい。
そして、その時の私は、今の自分をどう思っているのだろうか。
こんな風にそれでも笑っている自分を、「青春の一部」と言うような捉え方をするのだろうか。
20年後がもしあるなら、楽しみにしていよう。