kekeにお給料は幾らぐらい入ったのかねぇ?と尋ねると「6万8,000円」と言う。
「それはすごいねぇ」と私は言うと「すごいのかな?」とkekeは言う。
私は単純に今までそんなに稼いだこと無いから「すごいね」と言ったのだが、kekeはフルタイムで働いていることと比べたのかもしれない。
でも、6万8,000円が年にしたら80万以上になる。
我が家の年収がこれだけ増えるというのは、「とてもすごい」ことではないか。
「美味しいものでも食べに行こうかな。」と私が言うと「えぇ~自分のバイト代を使うのか」とkekeが心配するので、「冗談だよ、お金は私が出してだよ。回転寿司を食べに行かない?」と言うと、「スーパーのネギトロが一番いい」とkekeは言う。
回転寿司を食べに言っても「同じ値段でネギトロがどれだけ買えるかと考えてしまうから、スーパーでネギトロを買った方が心が落ち着く」と言うのである。
言われて見ればその通り。
私は「二人で回転寿司を食べに行きました」と言うステータスが欲しいのかも。
でも相手は恋人でも旦那でもない、息子。
「母親と二人で回転寿司を食べました」と言うステータスなんて、たしかに要らないよね。
スーパーに行くと、この日に限ってネギトロが無いではないかと思ったら、かろうじて1パックだけ残っていた。
520円もするけど約束だからカゴに入れて、半額の冷凍エビフライがあったから買って帰る。
kekeにネギトロを買ってきたけど、この1パックしかなかったんだよ、と言って顔を見合わせると、「あ、またそれか」とkekeは言う。
「そうだ、まさに【ついてる】!」と私は言う。
「でも520円もしたんだよ、これ」と言うと、kekeは「安い時に398円で買えるいつものパックより、ひと回りこれは大きい。」と言う。
いつしか、kekeの方が某スーパーに詳しくなっているようである。
ネギトロはkekeがたくさん食べなさい、私はエビフライも久しぶりに揚げるからと言うと(kekeはエビがキライである)kekeはインスタントの味噌汁を作りに行く。
そして炊き立てのご飯にすし酢を混ぜてもらい手巻き用に海苔を切って、私は揚げたてのエビフライをくるんで食べたが、「やっぱりエビはソースだな」と言うと、kekeは「エビは(普通は)タルタルソースでしょ」と言う。
タルタルと言えばピクルスであり、そう言えば、キューリの漬物がまだあったのを思い出して、kekeにも「食べるかい?」と言うと、kekeはいらないと首を振り「キュウリって栄養ないでしょ、なんでわざわざ食べるのかな?」と言うので、「栄養があまり無いってよく知ってるね、夏は身体を冷やせるからなのかな?」とテキトウに答えた。
そして、こんな風に二人で食べられるのも充分楽しいことなんだな、と私は思う。
私は今まで、自分が不幸だなと思う時に「でも、もっと大変な人だっているのだから」と言う発想をしてきたけれど、そもそも比べること自体が間違っていたのでは。
と考え始めたのも、読んだ本の影響である。
起こった物事は、みんなゼロの状態なのだそうである。
それを大変と思う人には「大変」に映り、「ありがたい」と思う人には「ありがたく」映る。
「もっと大変な人だっている」と思っているうちは、「もっと大変」と言う概念があるから、次もその次も、何かが起こるたびに「もっと大変」なことを探さなければならない。
探し物をいるうちは常に人と比べなければならず、比べているうちは自分の劣った所しか(私にはどうせ)見えないので、しばらくは自分の中だけを見つめていよう。
そう思うと余計な事を考えず、こうして二人でネギトロをノリでくるんで食べていることが、誠に平和。
我が家は今日も無事!
「それはすごいねぇ」と私は言うと「すごいのかな?」とkekeは言う。
私は単純に今までそんなに稼いだこと無いから「すごいね」と言ったのだが、kekeはフルタイムで働いていることと比べたのかもしれない。
でも、6万8,000円が年にしたら80万以上になる。
我が家の年収がこれだけ増えるというのは、「とてもすごい」ことではないか。
「美味しいものでも食べに行こうかな。」と私が言うと「えぇ~自分のバイト代を使うのか」とkekeが心配するので、「冗談だよ、お金は私が出してだよ。回転寿司を食べに行かない?」と言うと、「スーパーのネギトロが一番いい」とkekeは言う。
回転寿司を食べに言っても「同じ値段でネギトロがどれだけ買えるかと考えてしまうから、スーパーでネギトロを買った方が心が落ち着く」と言うのである。
言われて見ればその通り。
私は「二人で回転寿司を食べに行きました」と言うステータスが欲しいのかも。
でも相手は恋人でも旦那でもない、息子。
「母親と二人で回転寿司を食べました」と言うステータスなんて、たしかに要らないよね。
スーパーに行くと、この日に限ってネギトロが無いではないかと思ったら、かろうじて1パックだけ残っていた。
520円もするけど約束だからカゴに入れて、半額の冷凍エビフライがあったから買って帰る。
kekeにネギトロを買ってきたけど、この1パックしかなかったんだよ、と言って顔を見合わせると、「あ、またそれか」とkekeは言う。
「そうだ、まさに【ついてる】!」と私は言う。
「でも520円もしたんだよ、これ」と言うと、kekeは「安い時に398円で買えるいつものパックより、ひと回りこれは大きい。」と言う。
いつしか、kekeの方が某スーパーに詳しくなっているようである。
ネギトロはkekeがたくさん食べなさい、私はエビフライも久しぶりに揚げるからと言うと(kekeはエビがキライである)kekeはインスタントの味噌汁を作りに行く。
そして炊き立てのご飯にすし酢を混ぜてもらい手巻き用に海苔を切って、私は揚げたてのエビフライをくるんで食べたが、「やっぱりエビはソースだな」と言うと、kekeは「エビは(普通は)タルタルソースでしょ」と言う。
タルタルと言えばピクルスであり、そう言えば、キューリの漬物がまだあったのを思い出して、kekeにも「食べるかい?」と言うと、kekeはいらないと首を振り「キュウリって栄養ないでしょ、なんでわざわざ食べるのかな?」と言うので、「栄養があまり無いってよく知ってるね、夏は身体を冷やせるからなのかな?」とテキトウに答えた。
そして、こんな風に二人で食べられるのも充分楽しいことなんだな、と私は思う。
私は今まで、自分が不幸だなと思う時に「でも、もっと大変な人だっているのだから」と言う発想をしてきたけれど、そもそも比べること自体が間違っていたのでは。
と考え始めたのも、読んだ本の影響である。
起こった物事は、みんなゼロの状態なのだそうである。
それを大変と思う人には「大変」に映り、「ありがたい」と思う人には「ありがたく」映る。
「もっと大変な人だっている」と思っているうちは、「もっと大変」と言う概念があるから、次もその次も、何かが起こるたびに「もっと大変」なことを探さなければならない。
探し物をいるうちは常に人と比べなければならず、比べているうちは自分の劣った所しか(私にはどうせ)見えないので、しばらくは自分の中だけを見つめていよう。
そう思うと余計な事を考えず、こうして二人でネギトロをノリでくるんで食べていることが、誠に平和。
我が家は今日も無事!