きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

無敵

2012-08-20 | 日記
今日は朝から無駄口を叩く間もないほど、忙しかった。

でも自分の仕事ができないほど忙しいと言うことは、現場で需要がある証拠だし、何より今はクビにはならないだろう。
つまりは今月も給料がもらえると言うこと!
明日も、kekeとご飯が食べられるということだ。


私はここからクルクルいろんな事を連想してしまうので、このテンションでいつか60歳で定年退職になってから、ある日家に電話が掛かってきて、「sakeさんが居ないと大変なんだ。会社に戻ってきてもう少し働いてくれよ。」とかなんとか言われちゃって、「それじゃもう少し頑張ってみようかしら」と言う展開になり、それから2~3年ぐらい余計にお給料をもらえたら、どんなに楽しいだろうか、と想像してしまう。

それが私の小さい夢だよ。
そんな風になる確率は10%以下だと思うけどでもそんな事を考えてグフフと1人で楽しんでいるんだよ。

って、確率10%以下なのは小さい夢なのか、大それた夢なのか。

夢が小さいか大きいかは、どこで判断すればいいのだろう。
現実に起こりそうな確率が高いか低いかなのだろうか。
それが叶ったら、すごくうれしいかどうか、なのだろうか。

そんな風に考えながら、

・もう少し会社のPCが早く動いたらいいな。
・kekeも10万ぐらい稼げるようになるといいな。
・私も給料が少しは上がったらいいな。
・近くにあるピザ屋さんのピザを今度食べたいな。
・好きな人と手をつないで花火がみれたらいいだろうな。

とか、そういう「だったらいいな」は次々思い浮かぶけど、どれが大きい願いなのか小さい夢なのか、もう既に分からず、究極に考えたら叶うとも思わないけど、想像できるだけでもうれしいね。
だって、仕事や子供がいなかったら、願うこともできなかったから。


そう思うと、私の周りにはいろんな楽しい事が転がっているのだ。
私はそれを拾っては、キュキュッと磨いてみせる。
そうすると、キラキラした夢になるんだよ。

叶うかどうかなんて死ぬまで分からない。
でも、死ぬ前の日まで私は願うことができるし、死んだ後でどう思われようが知ったことじゃない。

今日のご飯がおいしくて、たぶん明日もこうしてご飯が食べられることを考えよう。
それから、今の職場は面と向って意地悪されることも、影でヒソヒソ言われることも無い。
この信頼。

私の人生、なかなか無敵じゃないか。


いつかは好きな人と会えなくなる日も、父に会えなくなる日も、妹や、kekeとも別れる日が来るかもしれない。
そんなことが、私を打ちのめすこともあるだろう。

でも、やっぱりそこには楽しいことも、小さな夢も転がっているだろう。
自分が生きているかぎり。

そして私はそれを拾っては、キュッキュッと磨く。
頭が働いているうちは続けられる。

そう思うと、無敵じゃないか。