きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

親孝行

2012-08-13 | 父の記録と母の思い出
kekeが明日休みなので、「服でも買ってあげるから一緒に出掛けないかい?」と尋ねると、「考えておく」と言う。


ここで思い出すのは父のこと。
当時、「服買ってやるから」とよく言ってたっけ。
私がおねだりすれば、毎週でも買ってくれたのではないか?と思う。
私は逆にそう言う父がうっとおしく、親に無駄金を遣わせるのも嫌で、年中断っていた。

今思えば、あそこでウン!と言って買ってもらって喜んだ方が、はるかに親孝行だったかもしれない。
そう思えば、kekeも私も似てるのかも。

そんな私も父が糖尿病で入院した時は悲しくて泣いた。
あれはいつの頃だっただろう?
私が離れていたから、30前ぐらいだったのだろうか。

近寄ってくればウザイ親だったけれど、遠く離れればいとしい親でもあったのか。

そして一昨日もご飯をよく食べていた。
毎日それが仕事のようでもある。

先々週だったか、「賽銭箱の歌を覚えてる?」と言うと、また一番を歌いだして、その後「疲れた」と言った。
(今ではほとんど語彙不明なのに、この時はたしかに「疲れた」と言った。)

もう歌うのも思い出すのも「疲れる」のだろう。
ご飯を食べることだけに、一日のエネルギーを費やしているように思えた。

でも今は悲しい気持にはならない。
今まで充分してもらってきて、とりあえず自分一人で生きて行けるようになったのだ。
ここまで育ててもらったありがとうと、父が元気な頃楽しそうだったのを思い出す。


kekeもいつか、そんな風に思う日が来るのかしら。

今の気持を書くとしたら、別に無理して親に付き合うことはないよ。
一緒に出掛けられたらうれしいけれど、私はまだ元気だし、一人でも充分楽しめるから。

でもいつまでも元気でいるわけじゃないから、それまでには一人で生きて行けるようになってほしいかな。

あぁでもそれも、「絶対」とか「どうしても」ではないかもしれない。
やっぱり、kekeも毎日楽しく過ごせることが大切。
毎日が楽しいことが大切。
家族に望むことはそんなこと。


こう書いてみて、私もいっぱい幸せで楽しくいよう。
父や母のように。
kekeがあとで「よかったな」と思えるように。


ちなみに昨日は久しぶりに首都高の予行練習。
(どこでどっちに曲がるかとか)
久しぶりなので緊張して肩がこった。

事故もなく無事で運転できた。
よかったよかった。

予定のない夏休み。
今日も何か素敵なことが起こりますように。
(ここを読んでいる皆さんにも!)