きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

お給料

2015-04-21 | 今の会社
自分の給料は上がらないものだと思っていた。実際に今までほとんど上がらなかった。
でも仕事柄、見たくなくても他の人の給料が分かってしまい、自分一人だけ上がらないことが何回もあったから、正直、4月の昇給も夏冬の賞与の時期も憂鬱だった。自分はどうせ上がらないのは分かってる、他の人も上がらなければ傷つかずに済むのに、とずっと思っていた。

そして今は昇給も賞与もほとんどなくなって、みんなが文句タラタラと言う感じで仕事をしていた。
何が文句タラタラかと言うと、自分達は給料が上がらないのに社長が高級な車に乗り、服やカバンを身につけている、それが面白くないのである。そんなに金があるならボーナスも少しは出せるだろうと言いたいのである。まるでそれまでの自分のようだ。

こういう不満は他人との比較とその妬みから始まるようだ。「あの人はこうなのに自分はこうでない。」「本当なら自分はこうあるべきなのに。」この権利の主張から文句タラタラが始まるようである。人の姿を見て(これじゃいかんな。)と分かった。
こういうモノも見方を続けると、周りの出来事が思うようにいかないといつも不満になってしまう。

「誰それの旦那さんはどうなのに、うちはこう。(なんでアナタはこうしてくれないの?)」
こういう発想をすると、男女関係も、親子関係も、みんな崩れていく。

私は今までそのことに気づかず、いつもこういうことを言って男からも子供からも嫌われ続けてきた。
長い年月で培われた性格はなかなか直せないが、それを自分で意識することで、ここから先は変わると信じたい。


まずは給料からだ。

もう人の給料と比較しない。
自分はこれだけもらって当然だ、なんてことも考えない。

今、仕事があること、今月も給料がもらえることを考えよう。
そして、あまり根詰めずに私なりにできることをやっていこう。

頑張りすぎるとどうしても「これだけやっているのに」と言う意識が頭を持ち上げて来るので、私なりに、できることを、喜ばれるようにする。
それで充分、自分にOKを出そうと思う。
給料と言う数字や人からの評価に振り回されず、私なりにできることをすればいい、自分が自分をほめてあげることにしよう、と思った。
(ある意味、それは権力者への反抗心もあるかもしれないが。)


文句タラタラでない人は他に二人いて、一人は私と似た考え方で「やるべきことを喜ばれるようにしていけば、それでいい。」と割り切っている(ように見える)人で、もう一人の人は「それがイヤならもう自分が辞めるしかない。」と考えている人である。
考え方は違うけど、相手を変わらないことを責めるより、自分ができることをしていこうという考え方をしている。

私もこれからはいさぎよく生きていきたい。
人と比べないことと、人が思う通りになると期待しないことである。
その範囲内でささやかに暮らしていけばいいのだ。

でもそれでも給料が上がればうれしい。



これは昨日のお弁当。
回鍋肉と筑前煮、カブの葉のごまあえ。
まだ食べきれていないので今日も同じお弁当。
回鍋肉は見栄えが良くないからか、kekeが食べなかった。