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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

自分をみつめて

2014-06-10 | 巷の話題
先日、ちらっと育児放棄で子供を死なせてしまった父親にふれたが、さらに細かく分かって愕然としてしまった。
人様のことをあれこれ思わないようにしよう、自分だって大してことはないのだから・・と思っていたが、やはりそれはありえないだろうと思った。


私も欠点だらけ、大したことをしていない人間だけど、一応こうして昨日やったことは書ける。
友達もろくにいなかったり、一人でカラオケしてたり、多少みっともないところもあるけれど、それでも書けないことではない。
離婚したことも言えないことではない。
子供のこと、仕事のこと。
それは本当にありがたいことだと思った。

思えば、私の仲の良い友達はみんなそのタイプ。
少々あけすけなことも話せる友達。
親類の話、お金の話、恋愛の話。

昨日は昔のブログを少しだけ読んだ。

まだkekeが中学生で、周りも若かった。
笑える話がいろいろあった。

でも一番違っているのは私。
kekeが一人前になって、就職して、普通に大人になって家庭を持つと思っていた。

それはあたりまえのことではない。
それだったら、日本全国誰しもがそうなっているだろう。


それがあたりまえでないと分かってから、心がさまよっている気分である。


10年後はどうしているだろう。
いつか不憫で自分で自分を書けなくなる日がくるのかな。
みっともなくて書けなくなる日がくるのかな。

できればこうして自分と素直に向き合っていられたらいいな。
悩みながら、不完全ながら、こうしてずっと自分と素直でいられたらいい。
正直でいられたらいい。

そのことでほんの少し、今は自信を持ってみる。

長雨の午後、低気圧

2014-06-09 | 息子keke
また時間があったので、父の所に向かった。

前の日に比べると落ち着いている様子で熱も下がったようである。
行った時は痰がからんでいて、それを取り除いてもらっていた。
しばらくは落ち着いて寝ていたが、痰がからんでくる。
寝ていても痰がからんでしまうとは聞いていたが、本当にその通りで熟睡できないのである。

今日はそれでも痛いだの何だの言っていたので、前の日よりは良いようである。
ちょっと安心して家に帰る。


家に帰るとkekeが寝ている。
私がいる時は遠慮しているのだが、居ないとこうして寝ているのである。

言いたくないが「先週は履歴書を書いたのか?」と尋ねる。
とってつけたようないい加減な返事が返ってくる。

何もかもうっちゃりたいという気分になる。
言っても言っても何をもなさないのは分かっているが、おそらく平日もこうなのであろう。

私も気まぐれなので、黙って見守れる日と、こうして言わずにはいられない日があるのである。
たぶん、低気圧のせいなのではないか。
それとも更年期のせいなのだろうか。

1人の人間と1人の人間が、一つ屋根の下で暮らすということは、つまりはこういうことなのだろうか。例えば、4人の人間がここにいたとしても、その中の誰かに対してはこういう状態になっているのではないだろうか。
それをスケープゴートと言う。

私は実家で、祖母が死んでからスケープゴートだったので、よく分かる。
そう言う時は何を言っても何をしても、気に入らない。
集団全体がそういうターゲットを作ることで団結するのである。

だがしかし。
この状態は何も言わずに放置しておいて良いものだろうか。
自分の息子ながら腹が立ってやるせない。

父の病室で

2014-06-08 | 父の記録と母の思い出
父が痩せて見えた。

先生の話では落ち着いたら水分から取れるようにしたいと思ったが、また微熱が出てしまったということである。

半年前に病院で作っていただいた「お誕生日カード」には父の写真が映っている。

生まれた時から、いつかはこういう日が来るはず。
誰もがこういう時期を通り過ぎていくのか。


私は妹も居るし、家に帰ればkekeもいる。

でもあの子はどうだろう?
その時、支えになるような人がいるのだろうか。

誰だか忘れたが独身の女優さんで、親が亡くなってしばらくうつ状態になったと言っていた人がいた。
「そんなものかなぁ」と思ってたけれど、たしかに1人で親を受け止めて、1人で見送るのはかなりしんどいことかもしれない。

健康診断

2014-06-07 | 健康とか病院とか
乳がんと子宮がんの検診に行く。

「前に受けてから1年経ったなぁ」と思って予約したら「今年度はもう予約で埋まってます」と言われたので、年度が明けてからすぐに申し込んでみた。
申し込みには悩んだ。

去年、近藤誠さんというお医者さんが書かれている本を読んだ。
「医者に殺されない47の心得」と言う本である。

その先生は「乳がん検診の結果は忘れなさい」と言うそうである。
マンモグラフティが導入されてから乳がんが飛躍的に増えた。それは乳がんと言えないものが乳がんと診断されているからなのでは?と疑念を持っておられるのである。
それでもマンモがあちこちに導入されそれを推し進めるキャンペーン運動が展開されるのも、それでお金儲けしている人がたくさんいるからだとか。

もちろん何が正しくて何が間違っているかは分からない。
「乳がん検診の結果は忘れなさい」と言われても、結果がそうだったら小心者の私は無視できない。だったら最初から受けなければ良いのでは?と思うが、何もせず放っておいて後で手遅れと言うのも後悔しきれない。
その狭間で真剣に悩んでいるうちに時間がどんどん過ぎてしまった。

しかし今まで毎年受けていたものを「本を読んだから」と言う理由で、パタリと止めてしまうのもかなり勇気が要るもので、とりあえず受けてみることにした。

マンモは辞めて触診だけコースにしようかと思ったが、予約の時に尋ねてみると「触診だけは2年連続して受けられない」そうである。今年触診を選ぶと、来年はマンモにしないとならない。
(そこまでマンモにこだわる辺りも金儲けの臭いを感じなくは無い。なんせ診察料が違う。)

それじゃマンモグラフティでお願いしてみる。
何となく今回は大丈夫だろうと思ったからである。
検診1つで死ぬ生きるの決意みたいな心境になってしまう。


早く年を取りたい。
そう思うのはこんな時だ。

五木さんの本にも書いてある。
五木さんは検診が嫌いで、病院も近づくだけで病気になりそうなので近づかないそうである。
そして「手遅れでオシマイ」なってもいいという覚悟をしているそうである。
要はどっちを選ぶか、それによって後悔しないと言う覚悟を決めるか。

70代80代ならそうだろう。
でもまだ私はそこまで行ってない。

今現在「手遅れでこのまま死ぬ」と分かったら泣くほど後悔するかもしれないので、今年はちゃんと受けてみた。
子供の頃は健康診断なんて避難訓練と同じぐらい非現実的なことだったのに、今はやりたくないもののベスト幾つかに入るだろう。小心者なので、検診を受けたり結果を待っている間にストレスでどこかおかしくなりそうな気がする。これでは本末転倒ではないだろうか。
結局、まだ死ぬ覚悟もできていない。

そしていずれ病気が判明して、死ぬ。
このブログの結末も、人の人生も、最期はそんな締まり方で終わるのだ。
余計なことはできるだけ知りたくないと思う気持ばかりが強くなる。

みんな、たいしたことはない

2014-06-06 | 母子家庭だから思うこと
先日、父子家庭のお父さんが恋愛にいれこんでしまい、子供の面倒をみずに亡くならせてしまった、と言う事件があった。
本当に痛ましい事件である。

そりゃ子供の面倒をみるより、恋愛している方が楽しい。
自分が1人で子供を育ててきたから、私はそう思う。
子供を親に預けて恋愛している人はたくさん居るだろう。

「ひとり親は恋愛などせずに子供を育てるのが当たり前」のように思う人が大勢いるが、一人で子供を育てているお父さんお母さんは特別偉いのである。
子供が成人してみて分かった。
一人で育てるのは夫婦で育てるよりずっと大変なのだ。
人は一人で淋しければ、どこかで寄り添いたいと思うものである。
その気持は否定できない。
そこで人に預けるとか、子供を連れて交際をするように考えられなかった、そこに歯止めがなかったことが問題なのだ。

最近、人は誰でも心にそういう弱さを抱えているのではないか。
何かのはずみで、それが表面に出ることがあるのではないか。
大なり小なりいけないことを考えたり、場合によってはしてしまうこともあるのではないか。
そんな風に考える。

少なくても私は心にそういう邪心がある。
「私はそんなことはありません。わき目もふらずに子供の事だけを考えています。」
そう言い切れてしまう方が、逆に不自然な気がする。


夫婦だってそうだ。

私ぐらいの年齢で本当に仲の良い夫婦は全体の3割ぐらいなのでは?と思う。
離婚はもとより、実は浮気してますとか、こんなはずじゃなかった、子供のためには我慢とか、そういうのがどれだけ多いか。こんな素晴らしい相手は後にも先にもこの人しかいないと互いに心から思い合っているのは、どこのおとぎ話だろうという感じがする。

本音をぼかしながら愚痴をかましながら、何となくバランスを取って帳尻合わせて、見た目装いながら暮らしている人の方が多いのではなかろうか。それで年を取ってみたら寄り添いあっていた、みたいな。

「うちに限ってそんなことはありません。」と思っている方が逆に不自然に見える。
その自覚のなさが不自然なのだ。

だからうまくいってなかったとしても失敗じゃない。
理想的な結婚生活ができている夫婦が特別素晴らしいだけ。


周りが見えないと「自分ばかりが不幸」のように思う。
でも周りだって、そんなにたいそうなことはない。
そういう振りをしている人もたくさんいる。

こんな人生は自分だけと思って、自暴自棄になるのはやめよう。
どうしようもないこともあるけれど、何もかも捨てて逃げるなんてやめて、どこかにセーフティネットがあるはずだ。
そう思えたら、何か解決できたかもしれない。

みんな、たいしたことはない。

アリなお話

2014-06-05 | 今の会社
暖かくなるということは、=虫の季節である。
ということは事務所のお茶場にも虫が出るはずである。

予想にたがわず、数日前に小さいアリを10匹程度発見した。
なぜかポットの周りをうろうろしていた。

その前にコーヒーミルクか何かを置いてしまったのだろうか。もう忘れた。
そういうものに惹きつけられて来てしまうのである。
私はシュシュシュと「アリの巣コロリスプレー」みたいなものを撒いて、数時間後に拭き取った。
それで一件落着するはずであった。

その数日後、つまり今日である。
朝いつものようにコーヒーを沸かそうと、サーバーにお湯を注ぐと、埃がぷかぷか浮いている。
はたと思って、気まぐれに覗いてみるとアリが2匹、コーヒーサーバー内を浮いているのである。
そして、よくよく見ると、そのふちをアリがまたまた2~3匹歩いているのである。
これにはギョッとしてしまった。

通常であればコーヒーサーバーにアリは登らない。
たぶん登らないものだと思っていたが、そうでもないのだろうか。
慌てて、水でジャボジャボゆすいだ。
洗剤は怖いので使わなかった。コンセントがついているので大っぴらに丸洗いもできず、自分的には洗剤を口にするよりかはアリの方がマシだと思うのである。
ちなみに私は普段からコーヒーを飲まないのが不幸中の幸いである。

何となく良心の呵責を感じ(でも昨日まで何ともないのだと思いつつ)、トイレ掃除を試みる。
男子トイレの個室(つまり大の方)を開けると、トイレットペーパーのビニールがからっぽになっていて、使い終えた芯が何本もビニールに入っているのがいきなり見える。

そうなのだ、うちの会社はトイレットペーパー8個なり12個なり入っているビニールを、それごと便器の脇にドン!と置くのが習性になっているのである。そして男達はトイレットペーパーが無くなると新しいのを取りつけ、古い芯はそのビニールに捨てるようになっている。
それがすっかりなくなっているということは、このまま誰かが使い続けていたらやがて無くなるということである。最後に取り付けられたトイレットペーパーも見たところ半分以上無くなっている。そこに危機感は誰もないのだろうか。私だったら、最後のトイレットペーパーに付け替えた時点で新たな紙の調達を考えるであろう。なんて度胸があるのか、それとも「紙が無くなった」というのが言いにくかったのだろうか。
(しかし、こうして扉を開けるといきなり目に飛び込む場所にある辺りに隠れたメッセージを感じる。)


予備のトイレットペーパーもなかったので、女子トイレの分を分けてあげることにした。
間に合ってよかったと思う反面、このまま放っておいたらどうなったのだろう?という好奇心も後に残る正午である。

これでよかった

2014-06-04 | 日記
昨日は奥さんを亡くされたご主人の挨拶を聞いて涙してしまった。

その奥様は幼い頃に両親をなくし親類の家で育ったそうである。そしてそのご主人と結婚、息子が授かった時に初めて「家族の幸せ」を感じたそうだ。やがて息子が結婚して家を出て行ってしまい、息子を取られたと嫁に辛く当たった時もあった、と言う話である。

私の母も幼い頃父を戦争で亡くし「にぎやかな家庭を作りたい」というのが夢で、その夢が叶った、夢は願っていれば叶うものだとよく言っていた。あの時代の人はみんなそうだったのか、と言う気持と、息子を取られたという悲しみもそりゃあるだろうなぁと泣けてきた。

そのご主人は、お涙物語を語るつもりはなく、ただ挨拶をせねばならぬと普通に故人の記憶を語ったつもりが、逆に涙を誘うのである。
やっぱりドキュメンタリーに勝るものは無い、と映画もドラマも観ない私が言うのはおかしいだろうか。自分の親の葬式にも泣かないだろうと思ったのに人の葬式で涙するとは。


帰りの車でも「そういうこともあるんだなぁ」なんて思いながら、「嫁と姑」みたいなこと、どっちがいい悪いみたいなことでもないように思う。

私は今まで、見栄とか虚栄心みたいなものを持っている人を、半ばケイベツしていたが、その人にもそれまでの、そこに至るまでの事情があるのだろう。小さな規則破り=例えば駐車違反だって、そうしなければならなかった事情がある場合がある。
罰則はあるにしても、私個人が人様を裁くようなことはなるべくこれからはやめたい。
年を取る、大人になる、ということは、そういう事情を想像しながら、人を赦せるようになる過程ではないだろうか。

kekeが引きこもっていた時にG子は「原因があるから結果がある!」と原因を追究して、悪い所を改めようとした。今になると分かるのだけど、その状況を「悪い」と決め付けることが既に相手をバカにしていないだろうか。でも、当時は私も同じである。G子ほど行動力がなかっただけで、やはり「悪い」と決め付けていたのである。

相手を「悪い」と決め付けて改めさせようとするのと、「相手を理解しながらその先を模索しようとする」とする態度は違うだろう。
会話がまったく成り立たず部屋にこもっていたのも何となく分かる。


簡単に「幸せな人生」とそうでない人生があるように思いがちである。
でも、私がもしもいわゆる「幸せな人生」に恵まれていたら、こんな風には考えなかっただろうな。

だから、私の今までの生き方は、これで成功だったのだ。
世の中にはいろんな人が居て、さまざまな理由があって、今ここでこうしている。
自分と同じように一生懸命日々考えて、生きている。

世の中にはよろしくないと言われていることがいろいろある。
失恋、離婚、倒産、無職、不倫、もちろん駐車違反も。
でも、そこにはいろんな事情が絡みあって、私が一言で片付けられることなんて、何もない。
それが分かっただけで、成功な人生だったと思う。


私はたぶん、kekeがお嫁さんをもらって出て行っても「とられた」とは思わない。
先に死ぬだろう私と一緒にいるより、その方が本人にとって良いにちがいないから。

そう思えるのは、子供時代にちゃんとした家庭に恵まれて両親から愛情をもらっていたからなのだろう。過去に恵まれた「幸せな家庭」は必要ないのだ。(パートナーには今も憧れるけどね)それも分かって、改めて両親に感謝したい。

ネガティブシンキング

2014-06-03 | 父の記録と母の思い出
暑い。
いよいよ暑くなってきた。

それでも朝晩涼しくて過しやすいのがありがたい。
この陽気がしばらく続くと、地面のアスファルトが熱を持つ。
エアコンの室外機の熱風やら。
こうなってくると、夏がうざくなってくる。

今はまだそこまでは来ない。
窓を少し開ければ大の字で寝ていられる。


五木寛之さんの本はもう5~6冊読んだだろうか。
どれも最近のエッセーばかりである。
文章が分かりやすく優しいので、すいすい読めてしまう。
他の年代に書いたものや、小説に手を伸ばさないのは、まだ怖いからなのである。

そうだ、私は大昔から怖がりなのだ。
だから学校のうんていは2段目までしか手が伸ばせなかったし、逆上がりも逆立ちもとうとうできなかった。
「新しく何かを冒険する」と言うことがいつも怖かったのだ。

遠足とか、修学旅行なんて嫌いだった。
山になんて行こうものなら、自分だけ取り残されて二度と家に帰れなくなるのでは、と思ってべそをかきながら登った。子供時代は食べれない食べ物が山ほどあったのも、今から思えば「恐怖」からきたものだったと思う。


そういう意味で五木先生の本は裏切らない。
底の底に優しさがあって、私はそう思うけどそれが正しいとはかぎりません、としている。
そのゆるさが安心させてくれる。

今読み終えた「天命」はこうも書いてある。
50歳まで頑張って生きてきた人間が悲しいことに残りの後半は、「老い」と「病気」でさらに苦しむそうである。「だよな」と私も思う。最初にそう書いてもらうことで、「だよね」と軽く覚悟ができる。

私みたいな人間は人から明るく励まされても、そう言っていただけることは喜ぶが、心のどこかで「自分に限ってそうではないかも」と思ってしまう。それは子供時代に体育の時間や給食で、人と同じ事ができなかった経験が大きいのではないかと思う。
人はそうでも自分は違うのでは、と言う思考回路が定着しているからである。
そういう人にはむしろ、「人生なんて誰もが辛いものですよ。」と言ってもらえた方が横並びで安心できるのだ。
ネガティブをさまよったあげくの「ポジティブシンキング」なのである。

この底辺をさまよい歩く「ネガティブシンキング」は自分の欠点だと思ってきたが、五木さんの本を読んでいると「これもいいのだ」と言う気がしてきた。
少なくても、私は五木さんの「人生は辛いもの」「50を過ぎたら体はだんだんきかなくなる」「健康に熱心な人が必ずしも長命ではない」「国家は当てにならない」こういう文章を読んで、逆に共感するし、安心する。

私みたいな人間が「それでいいんだ」と言う安心感を得られるのはネガティブシンキングからなのである。これはポジティブシンキングを正しいと信じている人には理解できないかもしれない。


今日は妹が病院の先生と話をするというので、帰ってから真っ先に妹に電話した。

妹は「今日は熱も下がったし、これから食事がもう一度取れるように頑張ってみるって。」と、そちらに焦点があるようである。たぶん先生から聞いた内容は同じようなはずなのに、姉妹で受け取る焦点が違うのである。

以前だったら「バカバカ私ったら、そんなだから子育てもうまく行かず・・・」と思う場面だが、私はこういう性格なのだ。怖がりだから、最初に悪い事態を想定して、グッと1度覚悟をしてからでないと前に進めない性格なんだ、と思うことにしよう。
そして、それは決して悪いことではない。

妹も先生から意志を確認されたと言うので、父が痛い思いや苦しい思いを長い間することはさけたい、と言う気持を伝えたよという。

無理な動きをつつしもう

2014-06-02 | 健康とか病院とか
久しぶりに夏服を見に行くことにした。

駐車代が気になっておちおちしていられないので、こういう時は電車である。
スイカで改札口を抜けてプラットホームについたが、何となくおかしい。
きょろきょろ見渡すと駅員さんがいるので「○○行きはこちらですよね?」と尋ねると、ホームを間違えたのである。

やばい、もうすぐ電車が来てしまう!
私はバタバタ走り出した。階段を上り、人込みをかきわけ、ホームに・・。

と思ったら、そこで足がもたついてひっくり返ってしまった。イテテテ。。。

傍にいる親子連れ(の母)が驚きのあまり「大丈夫ですか?」と言うが、あまりの恥ずかしさにそっけなく去る。


イテテ。。。

転んだこと自体は大したことがなかったが、左肩をまたギックリさせてしまった。
自業自得か。。。

それでまたまた調子が悪い。
そのせいではないかもしれないけれど、なお一層不自由になったような気がしている。

ちなみに年を取ってこうして転びやすいのは、脳というのは昔の運動能力を覚えていて同じように走ろうとするのだが、足の筋肉が衰えていてその動きについていけない時にすっ転ぶのだそうである。運動会ですっ転んでいるお父さん等がこれの典型的バージョンである。
「のうだま2」という脳学者さんの本に書いてあった。)←読みやすくてお勧めです。


こういうことがあると、本当に年なんだな、と実感する。

先日もよろめいた時に手を思いっきり壁に叩きつけてしまって、自分でも驚くほどの力だったようで、4ヶ月だった今でも右の小指が完璧に治ってない。最初2~3週間だろうと思っていたが、1ヶ月過ぎてもピアノを弾けるような雰囲気ではなく、2ヶ月過ぎてもイマイチで、4ヶ月経った今は弾こうと思えば弾けるけど、こうなったら完璧に治したいので休んでいる。
(他の動作は何も問題なく行うことができる。グーパーも最初からできている。)

この時も「やっぱり年だから、ちょっと気を付けないとな」と思ったけれど、またやってしまった。
本当に余裕のない猛ダッシュはもうやめよう。しかも日曜の買い物である。約束の時間も何もないのに、狭い日本をそんなに急いでどこに行こうとしているのか。
そのたびにコケて痛い思いをしてる自分にむかつく。


しかも、服は何も買えなかった。
いろいろ見て、「よぉしあの店で見たあれを買おう」と思って最後に行ったら、その店が思っていた所に無かったのである。もちろん探した。たしかこのビルだよな、と思って上から下まで見たがそれらしき店がなかったのだ。
もういい加減歩き疲れていたので、他まで探す意欲がもうなかった。
「縁がなかった」のであろう。

「縁がなかった」
そう思ったら何もかも許せる気がした。
余計なお金を遣わずに済んだのでホッともしている。
たぶん、この日の出来事は「これからは無理な動きはやめましょう」という神様からの再三の注意だったのだと思うことにする。

父の点滴

2014-06-01 | 父の記録と母の思い出
父の所に行くと、今日はまだ点滴を打っている。
先週末、急に熱が出て週明けからは食事に移行するという話だったが・・・。

それから週が明けて、飲み物から取れるようにしようとしたところ、父の熱がまた上がってしまい不安定な状態なので、点滴が続いているようである。遠巻きながら、この状態が続くと(たぶん)飲み込む力がもう無くなるのでは・・・という先生の話であった。「もちろん、また食事ができるようにがんばってみるつもりですが」と言葉を選びながら、今後の方向を相談・・・つまり、管につながれたままを選ぶのかどうか親族の意思を確認したいと言う話である。

「妹さんとも相談することになっています」と言い、それとなく私の意志も確認したいようなので、「父と一緒に暮して面倒をみていたのは妹なので、妹との判断でかまいません。」と言う。

病室で父はグーグー寝ていて、無理に起きるよりもこの方が気持が良さそうであった。
手持ちぶさなので、本を読みながら、しばらく隣にいた。

2週間前まではそれでも「飲み込み力」があったということなのか。。。
涙が出るということは、こうして寝たきりでありながら、その存在は支えになっているのだろうか。
そんな事を考える。

一度だけ目をあけたので「sakeだよ」と言うと、いつものように「何しにきたの?」と言う。
力をふりしぼって、と言う表現が近いだろうか。「穏やか」とか「楽に」と言う状態ではない。

でもその悲しみはどこかまろやかで、親が死ぬと言う問題は、生まれた時から体に刻み込まれていて、女が子供を出産するのと同じように、当然として受け入れられるものなのだと分かる。
窓から見える緑は今日もきれいで、この病室に掛かったイタリア辺りの海辺の絵はもう二度と忘れる事はない。

車に乗れば、こうしてまた今年も夏が来て、寒がりな私には今の過しやすい空気がありがたく、何となく祭りのあとのようなたたずまい、道行く人は何も変わらない。
止まり損ねそうだった交差点で赤信号を見上げると、その向こうに青空が見えた。

妹に今日の話をすると、やはり黙り込んでしまった。
でも、やがて奮い立つだろう。

意思表示を全て妹に任せきりにするのも無責任かと思い、「もう今の状態では楽しいもうれしいもないから・・私はもうそれでもいいと思うんだよね」と言った。妹は「ちょっと前もだめなようなことを言われたけれど、また良くなったから。」と言うので、「そうだね、食事を取れるようにがんばってみると先生も言ってたよ。」と言う。


Aさんは「オレもそこはドライな考えだね、それどころか親はぽっくりいってほしいとさえ思う」と言うので、「何言ってるんですか、両親揃って長生きしてくれれば一番いいでしょう?」と言うと、「そういうきれいごとを。」と言い、「こっちに来て一緒に暮すならいいけど、離れた所で片方1人になられてもちょくちょく面倒みになんていけないから、いっその事ぽっくりでいい。オレはそういうとこドライなんだ。」と言う。

「別にぽっくりいかなくても、身の回りの事ができなくなったら施設や病院を考えればいいんです。そうすれば離れていても安心ですよ。」と言うと、「生きていれば会いに行かなきゃと思うけどsakeさんみたいに行けないからね、そんなのムリ」と言うので、「それは大丈夫大丈夫。介護職のお友達に話によると、会いに来る人と来ない人と両極端なんですって、来ない人は全然来ないそうですから、行けなければ行かなくてもいいんですよ。」

Aさんは「そうじゃないよ」と言い、「会いに行かなきゃと言う罪悪感でしょ、行かないと死んだ後も後悔するでしょ、そういうのがたまらないんだ。」と言うので、「どこがドライなんですか。」と笑った。

二人でカラオケに行った夜、Aさんは誰のなんて言う歌か分からないけれど、その歌を歌って「おふくろへの気持なんだ」と言っていた。「いつかkekeもそういう気持になるよ」
その事を覚えていたので、「オレはドライだから」といちいち繰り返すAさんがおかしかった。

「ちょっと前はぽっくりと思っていたけど、こうしてゆっくりお別れするのも少しづつ心の準備ができてよかったのかも。」と言うけど、私もそう思うようになったのは割りと最近かもしれない。