津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

配流人から銀子五十貫拝借

2008-01-30 18:02:58 | 歴史
 昨年11/1のブログで「春日局三男・稲葉正利の肥後配流」を書いた。徳川忠長の側近であったが故の配流という処分で、春日局の子供であっても容赦なかったことは、将軍家光の、実弟忠長に対する強い意志が見て取れる。一つの温情は、肥後熊本へ送られた事である。寛永十一年三月五日書状案には次のようにある。

 稲葉丹後(正勝)殿舎弟(稲葉正利)、此中迄甲斐大納言(徳川忠長)殿之御衆ニ而御座候、上様(徳川家光)御ちおとヽニ而、春日殿(春日局)猶子ニ而御座候、我等國ニ置候へとのかすか殿・丹後殿頼にて、したちハ上様ご存知ニ而御座候由ニ候(以下略)

 さて本題、三月廿一日書状によると、忠利は三齋から銀子五十貫ほどの在府費用を依頼されたが、残銀がないとして困り果てている。そこに降って沸いたように結構な話が舞い込んだ。

 一昨日稲葉丹後殿弟内記殿(正利)へ丹州(丹後守正勝)より渡し候銀子五十貫目、肥後へ下候様ニと申来候間、幸にて御座候・・

 「ちょっと借用、後で返します」という訳だ。さて五十貫といえば・・・

(追記 1/31AM0:38) 
  この部分に五十貫は幾らなのかを計算して書き込んだのですが、熊本市のF様から
  間違いのご指摘がありましたので、恥ずかしながらの削除です。以下メールの内容
  をそのまま転記します。感謝。こんな大金だと確かにお殿様でも右から左とは行か
  ないでしょうね

『「銀子五十貫」とは銀ですから、銀は秤量貨幣で1貫=1000匁です。
銀50貫=5万匁 金1両=銀60匁 (時代変動ありますが)そうすると5万÷60=833両・・・これはかなり大金です。』
コメント
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