津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

町氏「無念の儀」

2008-01-17 08:44:12 | 歴史
 肥後・町家初代源右衛門は、長曾我部元親の二男で、初め吉良左京進と名乗った。元和二年忠興により、江戸で召し出された。長曾我部の「長=ちょう」から、「町=ちょう」と氏を改めたとされるが、侍帳では「ちょう」であったり「まち」であったりで、ハッキリしない。此の源右衛門は、江戸留守居役を勤めたが、光尚室彌々がなくなった折、忠興の激怒をかい、暇を出された。「大日本近世資料・細川家史料」の人名一覧の源右衛門の項には、「無念の儀あり」と説明されている。情報が伝えられなかった事に対する三齋の怒りが原因とされるが、このことは光尚が年老いた三齋を想い、報告を差し控えさせたというのが真実らしい。後の再召し出しが約されていたらしいが、光尚の若き死により源右衛門が再び細川家に仕える事はなかった。まさに「無念の儀」ではある。
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