津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

筑紫氏と細川家

2008-01-09 17:06:00 | 歴史
 少弐氏の胤とされる筑紫氏は、関ヶ原戦で西軍に付いて過った。改易と成った廣門は一時期加藤清正の下に流寓し、のち忠興の援助を受けている。その筑紫氏を何かと面倒を見る。廣門の子・重門には忠興の弟・幸隆女兼を嫁がせ、幕府に断りを入れ重門を家臣とする。
 一方廣門女を細川家重臣加賀山可政へ嫁がせている。寛永五年十二月十四日廣門女は中津から舟に乗って輿入れしている。夜に祝言が行われたと翌日の「日帳」は記している。奉行は福地平左衛門・河口九兵衛が勤めるという異例である。十一月四日の忠利の書状によると、「身の回りの道具を三齋が與えた」ことが記されており、輿入れにあたり「女房達二人、小女房達一人、仲居・下女かけて四五人」とあり最期に三齋より遣わされる嫁であるとして、万事仕難かるべしと注意を促している。かっては大名の姫君ゆえの配慮であろうか。
 加賀山可政は、切支丹殉教・加賀山隼人の弟・源左衛門の男である。彼もまた一族同様の切支丹信者であったが、寛永十三年七月に禅宗に転じた「転切支丹」である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする